何となく“夏休み”的な気分が抜けないまま、ぼんやりと最近アップされた判決をチェックしていたら、野村證券職務発明事件の控訴審判決が先週アップされていたことに気が付いて、ちょっと慌ててしまった。
この事件の一審判決が出たのは、ちょうど特許法改正に向けた審議が終盤に差し掛かっていた昨年秋のこと*1。
議論の方向性が見えていたタイミングだったとはいえ、現行法の下で「職務発明規程に基づく報奨金の支払い」の合理性をバッサリと否定した一審判決に対しては相当の反響があったし、今回の法改正を経ても「規程に基づく発明者への利益付与の合理性」が争われる余地は十分残っていることから、知財高裁での判断が引き続き注目されていたところであった。
地裁での職務発明規程に対する評価が、自分にはかなりドラスチックなものに思えたこともあり、個人的には、知財高裁で(同じ結論でも)もう少し柔らかい表現に変わるのかな?、と思っていたところもあったのだが、蓋を開けてみたら・・・という展開となってしまったこの高裁判決。
以下、簡単にご紹介することにしたい。
知財高判平成27年7月30日(H26(ネ)第10126号)*2
控訴人(一審原告) :X
被控訴人(一審被告):野村證券株式会社
本件は、控訴人の職務発明である「証券取引所コンピュータに対する電子注文の際の伝送レイテンシ(遅延時間)を縮小する方法等に関する発明」に関し、控訴人が、特許を受ける権利を被控訴人に承継させた対価として相当対価286億9190万5621円のうち金2億円を請求したのに対し、被控訴人側は「本件発明は特許性を欠くものであり、このような特許性のない発明に対して支払われる額として、被控訴人発明規程により支払われる出願時報奨金3万円は、十分に高額」(6頁)等と、支払いの合理性を主張して争った事例である。
地裁では、「被控訴人規定の定めにより対価を支払うこと」を不合理としつつも、「本件発明に基づく独占的利益は生じていない」として原告(控訴人)の請求を退けており、この点については、知財高裁においても変わっていない。
「本件発明は、本件システムにおいて実施されておらず*3、しかも、本件システムそれ自体が、既に本件発明の代替技術といえる。」
「本件発明には、本件システム以外に多数の代替技術が存する」
「そうすると、本件発明が営業秘密として保持されていることによる独占的利益は、およそ観念し難い」(以上14〜15頁)
「本件発明が特許としての登録を受けられなかった」という事実に加え、「営業秘密」としての価値に関しても、上記のような厳しい評価が下されたことで、控訴人側の精一杯の主張もむなしく、「請求棄却」の結論は維持されることになった。
だが、その前段で争われた「被控訴人発明規程の定めにより相当の対価を支払うことの不合理性」については、被控訴人(会社)側の主張が再び完膚なきまでに叩きのめされている。
ア 協議の状況
「相当対価の定めが策定された後に使用者等に雇用された者との間では,既に策定されている相当対価の定めを前提にして個別に協議をすれば,「協議の状況」としては,同等の考慮要素になると解される。しかしながら,控訴人が被控訴人に入社した際又はその後に,被控訴人が,被控訴人発明規程に関して,控訴人と個別に協議を行ったり,その存在や内容を控訴人に説明の上,了承等を得たことがあったとは認められない。また,平成20年4月1日後の被控訴人発明規程1の改正に際して,被控訴人が,控訴人を含む被控訴人の従業者らと協議を行ったことがあったとも認められない。」
「被控訴人は,控訴人を特定社員へ転換する際の書面(略)に,被控訴人の規程・制度等を確認することを求める記載があり,控訴人がこれに署名して特定社員になっているから,協議はあった旨を主張する。しかしながら,単に,被控訴人発明規程を確認することを求めただけでは,「協議」があったとはいえない。」(8頁)
イ 開示の状況
「被控訴人発明規程2が従業者らに開示されていたとは認められず,控訴人が本件発明に係る特許を受ける権利を被控訴人に承継させる前に,控訴人に個別に開示されたことがあったとも認められない。」
「被控訴人は,被控訴人発明規程1の5条3項に報奨金が支払われる場合が開示され,その額については別に定められていることが明記されているから,控訴人は被控訴人発明規程2の存在を知ることができた旨を主張する。しかしながら,被控訴人発明規程1の5条3項は,「報奨金の額,支払方法等については,別途定める手続きにより決定するものとする。」と定めているのであるから(略),この条項から,被控訴人発明規程2が別途存在するとは直ちに推知し得ない。また,被控訴人は,「特許出願について」と題する書面(略)を開示していたことが認められるが(略),同書面も,報奨金の額,支払方法等について具体的に記載するものではなく,また,別な規程があることをうかがわせる記載もない。」(8〜9頁)
ウ 意見の聴取の状況
「被控訴人が,本件発明の対価の額の算定について,控訴人から意見を聴取したことは認められない。」
「被控訴人は,控訴人が,被控訴人に対する本件発明について特許を受ける権利の譲渡を拒んでいたので,意見を求めようがなかった旨を主張する。当初,控訴人が,被控訴人に対する本件発明について特許を受ける権利の譲渡を拒んでいたことは,控訴人自身が自認しているところであるが(略),「意見の聴取」は,従業者等に対し意見を陳述する機会を付与すれば足りるところ,被控訴人発明規程は,意見聴取,不服申立て等の手続は定めておらず,また,被控訴人が個別に控訴人に対して意見陳述の機会を付与したことは認められない。」(9頁)
エ その他の要素
「被控訴人は,控訴人は給与により十分な見返りを受けている旨を主張する。しかしながら,控訴人は,主に顧客拡大という営業目的で被控訴人に雇用されたものであるから(略),上記給与は,専らそのことに対する労務の対価であるにすぎないし,本件発明がされた後に,控訴人が被控訴人から本件発明をしたことに基づく特別の待遇を受けたことも認められないから,控訴人の給与額は,考慮すべき要素とはいえない。」(10頁)
「イ」については、「一部の規程が現に社員に開示されていなかった」という事実はやはり重大だし、「ウ」についても、「規程に『意見聴取、不服申し立て』の手続きを定めておけばよい」というふうにも読めるから、今回の判決の判断の水準をもって不合理なもの、とまではいえないだろう。
一方、「ア」については、「相当対価の定めが策定された後に使用者等に雇用された者」との間で「個別に協議」を行わないと「協議」があったとはいえない、という論旨になっているように読める。
一般的には、会社の様々な規程の効力が「入社時の包括的な承諾」等で認められることに鑑みると、本判決の論旨は、会社にとってのハードルをかなり高くするもののようにも思えてならない。
いずれにしても、裁判所は、特許法35条4項の各要素に関する前記判断に基づき、
「以上イからエまでにおいて,考慮すべき要素として認められるものを総合して,被控訴人発明規程に基づいて本件発明に対して相当対価を支払わないとしたことが,不合理であるか否かについて判断する。まず,平成16年法律第79号による特許法35条の改正の趣旨は,同改正前の旧35条4項に基づく相当対価の算定が,個別の使用者等と従業者等間の事情が反映されにくい,相当対価の額の予測可能性が低い,従業者等が職務発明規程の策定や相当対価の算定に関与できていないとの問題があるという認識を前提に,相当対価の算定に当たっては,支払に至る手続面を重視し,そこに問題がない限りは,使用者等と従業者等であらかじめ定めた自主的な取決めを尊重すべきであるというところにある。」(10〜11頁)
という一般論を述べた上で、
「上記イからエまでの認定によれば,被控訴人発明規程は,控訴人を含む被控訴人の従業者らの意見が反映されて策定された形跡はなく,対価の額等について具体的な定めがある被控訴人発明規程2に至っては,控訴人を含む従業者らは事前にこれを知らず,相当対価の算定に当たって,控訴人の意見を斟酌する機会もなかったといえる。そうであれば,被控訴人発明規程に従って本件発明の承継の対価を算定することは,何ら自らの実質的関与のないままに相当対価の算定がされることに帰するのであるから,特許法35条4項の趣旨を大きく逸脱するものである。そうすると,算定の結果の当否を問うまでもなく,被控訴人発明規程に基づいて本件発明に対して相当対価を支払わないとしたことは,不合理であると認められる。」(11頁)
と、被控訴人会社における対価算定のプロセスを厳しく指弾し、「被控訴人発明規程に従って本件発明の対価を算定することは。不合理」との結論を導いた。
結果的には原審同様、一銭の賠償義務も認められることなく訴訟を終えたのだから、被控訴人(被告)会社としては「勝利」と言って差し支えないはずなのだが、前記発明規程に基づく発明の取扱い、というのは、本件控訴人(原告)と会社の間だけの話ではない以上、会社の担当者としては、判決の内容を知って、再びいたたまれない気分に陥ってしまったのではなかろうか*4。
現在、鋭意作成が進められている(はずの)ガイドライン策定にも、少なからず影響を与えると思われる事例だけに、今後、本判決をめぐってどういう議論が展開されるのか、実務者としては、しっかり見守っていく必要がある、と思うところである。
*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20141122/1416940805
*2:第2部・清水節裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/282/085282_hanrei.pdf
*3:残念ながら、本判決の本文では「本件発明の実施の有無」という争点について「本判決別紙のとおり」と記載されているのみであり、現時点でその「別紙」の内容は確認できない。
*4:理屈の上では、現に実施されている発明を行い、かつ、未だ十分な発明対価を受け取っていない社員(元社員)が被控訴人会社を提訴すれば、かなりの確率で何らかの支払いを受けられる可能性が高い、ということになる。