24歳のブレイクスルーには、まだ続きがある。

今シーズン最後の四大大会で、4時間超の熱戦の末、シード上位のラオニッチ、ワウリンカ、といった強豪選手たちを次々と倒し、日本人としては約1世紀ぶりのベスト4に進出。
そして、準決勝で、あのジョコビッチ選手を圧倒し、日本人のみならずアジア人としても史上初の決勝進出を遂げた・・・というところで、錦織圭選手のこれまでの選手生活最大のハイライトが訪れた。

新聞を見ても、テレビを見ても、躍るのは、ただひたすら「快挙」の2文字。

確かに、かつて松岡修造選手が、ウィンブルドンで「ベスト8」に入った時点で「奇跡」と騒がれ、その後長らくは、四大大会本戦に日本人男子選手が出場することさえ難しくなった時代が続いていたことを考えると、この全米オープンでの「決勝進出」は、他の表現を思い浮かばないくらいのインパクトだったのは間違いない。

そして、トーナメントのもう一方の山でフェデラー選手が敗れ、決勝の相手が、同じく四大大会決勝初進出、しかも、過去の対戦では相性が良かったマリン・チリッチ選手に決まった、と知った時に、錦織選手が頂点に立つ瞬間を思い浮かべた人も、決して少なくはなかっただろう。

スポーツの世界に限らず、いつも“いいところ”まで行くのになかなか目標としている壁を突き破れない、という状況で、本番直前に思わぬアクシデントに見舞われ、いつもと違う手順で大舞台に臨まざるをえなくなったことが、かえって、途方もないブレイクスルーを生み出す・・・

そんな経験を味わったことがある人は、決して少なくないと思うのだけど*1、今大会、右足親指を手術し、欠場寸前の状況からここまで来た錦織選手などは、まさにスケールの違う舞台で“ブレイクスルー神話”を体現した、と言えるだろうし、決勝戦の試合が始まるまさに直前まで、神話の締めくくりとして、「アジア系米国人のマイケル・チャンコーチとの二人三脚で、四大大会アジア人初優勝の偉業を成し遂げる」という結末が待っているかのような予感すら漂っていた。

だが、現実世界のドラマの筋書きは、そんなに甘くない。

「テニスの全米オープン最終日は8日、男子シングルス決勝を行い、錦織圭(24)はマリン・チリッチ(25、クロアチア)に3-6、3-6、3-6で敗れた。日本選手初の四大大会シングルス制覇は逃したが、男子の準優勝はアジアで初めて。」(日本経済新聞2014年9月9日付夕刊・第1面)

そうでなくても硬くなる決勝の大舞台で、相手が同世代、かつ、勝っても不思議ではない相手になった、ということが、かえって錦織選手の心理に影響を与えた可能性はあるだろうし、

「正直、フェデラーの方がやりやすかった」(日本経済新聞2014年9月9日付夕刊・第11面)

というのが、偽らざる選手本人の心理だったのだろう。

長い目で見れば、ここで一気に頂点に駆け上ってしまうよりも、さらに時間をかけて、力を付けて、勢いを増したところで「一時代を築く」というストーリーを描く方が、錦織圭、という選手の商品価値は増すのかもしれないし、実際、次のシーズンに入れば、本人が好むと好まざるとにかかわらず、そういったサクセスストーリーを待望する世論が巷に強く形成されることになると思われる。

「一寸先は闇」のプロスポーツの世界だから、勝てる時に勝っておいた方が・・・という声も当然あるだろうが、ここで勝ってしまっていたら、あちこちで“贔屓の引き倒し”みたいな扱いを受けることになって、かえって選手寿命を縮めることもあるだろうから、傍から長く見守りたい側の人間としては、この結果でもよかったんじゃないかな、という思いも何となく湧いてきてしまう。


個人的には、10代前半から、米国の水に馴染んだ錦織選手が、このまま「日本人」であり続けてくれるのかどうか、というところに、一抹の不安がよぎるのだけれど、同時に、彼が頂点に立つ日は、そう遠くないうちに訪れる、とも思うだけに、もう少しだけ、一日本人として、錦織選手の再びのブレイクスルーに夢を託したい・・・

今はそんな気分でいる。

*1:自分も、数年前、まさにそんな経験をしたことがあった。今振り返っても、人生七不思議の頂点にあるような出来事である。

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