東電の不思議な対応。

福島原発事故から、ちょうど3年半くらい過ぎた頃、夕刊にひっそりと掲載されたニュースがある。

東京電力福島第1原子力発電所事故の影響で、福島県大熊町の双葉病院に入院していた女性患者(当時83)が適切なケアを受けられず、避難先で死亡したとして、遺族が東電に慰謝料など計約3100万円を求めた千葉地裁(広谷章雄裁判長)の訴訟が13日までに、東電が約1350万円を支払うことで和解が成立した。」(日本経済新聞2014年9月13日付夕刊・第9面)

事故からの時間の経過や、提訴の背景事情、慰謝料金額、さらには敗訴した時の影響、といったものを勘案すれば、この種の、この規模の紛争で「和解」という決着が図られることは、決して珍しいことではない。

だが、自分はこのニュースを見た時に、実に奇妙な感覚に襲われた。

というのも、この2週間ちょっと前に、全く異なる形で決着したニュースに接したばかりだったからだ。

「2011年7月、東京電力福島第1原発事故で避難していた福島県川俣町山木屋地区の渡辺はま子さん(当時58)が自殺したのは「避難生活で精神的に追い詰められ、うつ状態になったため」として、遺族が東電に計約9100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福島地裁(潮見直之裁判長)は26日、東電に約4900万円の賠償を命じた。」(日本経済新聞2014年8月26日付夕刊・第15面)

様々な要因が考えられる「自殺」と、高齢者の衰弱による死亡とでは、当然、因果関係の立証の難易度にも差はあるだろうし、実際に「和解」できるかどうかは、原告側のスタンスにもよるから、双葉病院の件で和解したことと、川俣町の件で「判決までもらった」ということが矛盾する態度である、とまでは言えないだろう。

ただ、川俣町の件では、判決前から予想された通り、判決直後に東電に対する批判が集中した。
そして驚くべきことに、東電側でも、9月5日には「控訴しないことを決めた」という判断を発表、9日の朝刊には、福島原子力補償相談室の室長らが、遺族の元を訪れて謝罪する、という異例の展開となった。

訴訟実務の経験がある実務者であれば、「第一審の判決後にここまでの動きができるのであれば、何でもっと早く紛争自体の決着が付けられなかったのか?」という疑問が当然に湧いてくるところで*1、同時に、その直後に多くの人の頭に浮かんだであろう「公的資金の注入を受けている東電としては、裁判所の判決をもらうことなく安易に和解することは許されない?」という理屈も、双葉病院のニュースの前では辻褄が合わなくなる。

いずれ、何かの機会で、裏事情が表に出てくることもあるのかもしれないが、ことの当否への評価はさておくとして、純粋に“不思議な対応だなぁ”というのが、自分の率直な感想である。

*1:たとえ下級審の判決であっても、それが言い渡されてしまえば、事実上の「先例」として後々まで残ることになる。したがって、形勢が不利だと思えば、譲歩する譲りしろを大きくとってでも、「判決」の形にならないように和解に持っていく、というのが被告側の通常取るべき対応だし、「結果如何にかかわらず、一度は白黒をはっきりさせる」という態度を取るにしても、最低限控訴して控訴審段階での和解を目指す、というのが普通の対応だと思う。