司法制度改革がもたらした“錯覚”の先にあるもの。

ここ数年の流れからして十分予測できたことではあったが、今まさに法曹養成にかかわっている関係者にとっては、やはり大きな出来事、というべきなのだろう。

「司法試験の合格者数を『年1500人以上』とする案が21日、政府の有識者会議で了承された。司法制度改革の当初目標の半数という大幅な下方修正に、法律家を目指す学生からは落胆の声があがった。」(日本経済新聞2015年5月22日付朝刊・第42面)

一度も到達したことがなかった数字であり、かつ、最近の「母集団」の数字(法科大学院入学者数)を考えると、もはやあり得ない数字になっていたとはいえ、「3000」という数字は、かれこれ10年以上、象徴的なものとして掲げられてきたものだっただけに、公式に引き下げられた、ということは、決して小さな話ではない。

上記記事の中で取り上げられている法科大学院生の声の中には、

『合格枠の拡大を期待していたのに』

などというものまである。

「1500」という数字が“大ボーナス”を意味していた時代の試験を経験している人々からすれば、こういったコメントは、悪い冗談のようにしか聞こえないかもしれないし、長い間掲げられてきた司法(試験)制度改革の幻想がもたらしたある種の“錯覚”と言ってしまえばそれまで*1

ただ、旧試験受験生と比べて、今の法科大学院生が余分に過ごさなければいけない「ノルマ的な時間」*2と、負わなければならない「コスト」を考えると、「せめて試験くらいは確実に合格させてほしい」というのは当然の感情だと思われるわけで、やはり一概に“甘い”と片づけるのは、ちょっと憚られる*3


実際の合格者は、平成15年以前の感覚で言えば決して「少ない」とは言えないのに、上記のような“錯覚”ゆえ、現役・潜在的受験者層にとってはマイナスの情報として受け止められてしまう、という今回の「方針転換」を業界にとってのプラス材料とするのは、決して容易なことではない。

放っておけば、合格者数の減少とともに、法科大学院志願者、ひいては、法律を学ぶことに関心を持つ者まで減っていく、という負のスパイラルはまだまだ続いていくだろうし、下手をすると、今回の方針転換を機に、よりそれが加速していくことすら懸念される。

この10年以上の間「現場」に身を晒し続け、「法律家の需要」というものについて、かなりはっきりとした地殻変動が起きている*4ことを実感している一実務者としては、それを十分に伝える術を持てていないことがもどかしくてならない。

ただ、

「こんな時だからチャンス」

と言って飛び込んでくる人の方が、法曹として求められる資質*5を多く持っているように思えるのもまた事実だけに、このまましばらく傍観するのも悪くないかな、と思ったりもしているのだけれど・・・。


ここからさらに10年経った後どんな景色が見えるのか、怖いようでもあり、楽しみでもあり・・・といったところである。

*1:ちなみに、1500人、と言えば和光の研修所も埋め尽くしてしまうレベルの人数だろうし、そんな環境で修習を受けていたら、自分が法曹界に抱く感情も全く違うものになっていただろうと思う。

*2:平均的な合格者が勉強に要した期間を比較すると、旧試験時代よりも今の方がおそらく短いはずだが、各人の能力にかかわらず、周りと机を並べて2年、3年を過ごさないといけない、というのは、やはり気の毒なことだと思う。

*3:今の司法試験受験者数の水準は、旧試験1500人時代の約4分の1以下になっているが、それでも当時の論文試験受験者数よりは多いわけで、気分的には決して「楽」な試験というわけでもないのだろう、と思う。

*4:それも、業界にとって悪い方向ではなく、むしろ「3000人」論者が主張していたような方向での・・・である。

*5:相手が誰だろうが立ち向かえる反骨心とか、逆風に晒されても開き直れる力とか、挙げていけばきりがない。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html