2016年10月11日のメモ

連休を挟んでめっきり涼しくなってしまった東京。
そして、年末に向けた怒涛の日々は、休暇の余韻に浸ることを許してくれない。

忘れた頃に・・・という感じのニュース。

佐村河内守氏に“ゴーストライター”疑惑が浮上したのは、ちょうどソチ五輪が始まる頃だったから、もう2年半以上も前のことになる。
最近ではすっかり記憶も薄れかけていたところだったが、そんな今になって、JASRACに寄託されていた楽曲使用料の支払いを巡り、東京地裁民事訴訟が始まっている、というニュースが報じられている。

「佐村河内さん側は、著作権は新垣さんから自身に移転したと主張。JASRACは『いつの時点で佐村河内さんが著作権を取得したのかが不明確だ』と述べ、争う姿勢を示した。」(日本経済新聞2016年10月7日付朝刊・第38面)

問題発覚直後になされたJASRACによる管理契約の解除が未だに続いていたのか・・・というのは正直驚きだし、2年以上支払いをペンディングすれば約700万円という比較的大きな数字になるのは当然のこと*1

個人的には、当時のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140210/1392413898)でもコメントしたとおり、実際の創作者と著作権者が異なることは、決して珍しい話ではないし、音楽というのは一種の産業財でもあるから、利益還元が“真の創作者”に対してなされなかったとしても、それが当事者間の真摯な合意の下にそうなった、ということであれば、それ自体が問題ということにはならない、と思っているから、ここまで引きずる話なのかなぁ・・・というのが率直な感想。

おそらく、JASRACとしても、後々混乱に巻き込まれないための暫定措置、と割り切っている話だと思うし、法廷で新垣氏自身が譲渡の事実を自ら証言するか、あるいはそれを裏付ける陳述書の一つでも出せば、円満に解決されるのではないかと思うのだが、どこまで引っ張るか、が気になるところではある。

総務省、携帯3社「実質0円」問題で行政処分

今年に入ってから携帯電話の値引きをめぐり、総務省側からかなり事業者に厳しい姿勢が示されているのだが、秋の本格商戦を前に、とうとう「行政処分」の文字が見出しに踊る事態となってしまった。

総務省は7日、NTTドコモKDDIau)、ソフトバンクの携帯電話大手3社にスマートフォンスマホ)の行き過ぎた値引きがあったとして再発防止策などの報告を求める行政処分をした。『実質0円』販売は今春の禁止指針により姿を消したように見えた。だが3社は1万円超の割引クーポンを配る。3社が総務省に報告する内容次第で追加処分の可能性もある。」(日本経済新聞2016年10月8日付朝刊・第3面)

確かに、「大幅な端末購入補助」と見られるような光景を最近目にする機会が多いのは事実だし、指針違反の疑いをかけられても仕方ないような事例も現に存在する、ということなのかもしれない。

ただ、市場が飽和状態に近づきつつある中で、携帯大手3社とその販売店(経営上の独立性は高い)が相互に競争しようとすれば、こういう動きが出るのも決して不思議なことではないし、それが顧客側のニーズに沿っていることも否定できないはず。

政府にしてみれば、携帯電話の端末販売と通信料のビジネスモデルについて、“あるべき姿”を念頭に置いてのルール作りをしたいのだろうが、純粋な民間事業者が長年創り上げてきたビジネスモデルに対し、政府がそこまで干渉するのが果たして妥当なのか、ということも、そろそろ問うべきなのではないか、と思うところである。

日弁連が「死刑廃止宣言」

日弁連が毎年恒例の「人権大会」(人権擁護大会)で、「死刑制度の廃止」を求める宣言を採択した、というニュースが比較的大きく取り上げられている*2

記事の中では、冤罪の問題等、今回の宣言の背景として議論されてきた問題を取りあげると同時に、

「遺族の多くは加害者に死をもって償ってほしいと考えている。宣言は加害者の人権ばかりを守り、被害者の尊厳をないがしろにしている」
「死刑は弁護士の間でも意見が異なる政策的課題」

と、宣言の採択に疑問を投げかける犯罪被害者支援弁護士フォーラムの声明文等も取り上げており、弁護士の中でも対立が生じている、といったトーンの取り上げ方をしているのだが・・・

日弁連が採択した宣言(「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」)*3の全文を読めば、そもそも宣言の意図が「死刑廃止」だけに向けられたものではなく、もっと奥の深い話だということが良く分かるし、「死刑に賛成か反対か」という二項対立で論じるのが適切ではない、ということも理解できると思う。

ただ、刑事政策に関して比較的柔軟に考えているつもりの自分から見てもかなりリベラル色の強い印象を受けるこの「宣言」を、参加者がどうしても限られてしまう人権大会*4、という場で採択し、「日弁連の政策」として世の中にアピールすることが果たして得策だったのかどうか、考えさせられるところはある。

国税犯則取締法、68年ぶりの改正へ

日経紙の1面に載った「脱税 ITデータも調査」という見出しと、国税犯則取締法を68年ぶりに抜本改正する、というニュース*5

これまでちゃんと見たことはなかったが、記事にもある通り、国税犯則取締法は確かに明治33年制定のカナ文字ベースで条文が作られていて(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M33/M33HO067.html)、そりゃあ、さっさと変えた方が良いだろう、という話ではある。

もっとも、記事ではさらっと書かれているのだが、「査察官が自宅や会社などからパソコンを差し押さえた上で、被疑者の同意がなくても中に入っているデータを複写して調査できる」ようにする、ということ*6と、「クラウドなどコンピュータ(サーバー)が提供しているネットワークに保存されている電子メールや会計の帳簿なども、運営主体のインターネット企業に開示を要請して収集できるようにする」こと*7とでは、だいぶ事柄の重みが異なるので、そこはあまり軽々に事を運ばないように、と思わずにはいられない*8

ハリルホジッチよ、雑音に負けるな!

W杯のアジア最終予選、ホームでUAEに痛恨の1敗を喫したあたりから、フル代表のハリルホジッチ監督に対するバッシングがかなり強まっている印象がある。

2節目も、6日にホームでイラクから勝ち点3を取り*9
、今日のオーストラリア戦でも引き分けに持ち込んで何とか勝ち点1を確保したのに、指揮官の采配、戦術に対する評論家陣の批判はやむことがない。

自分も、今回の予選に関しては、相当な危機感を持って眺めているし、選手選考も含めて今の体制を100%擁護するつもりはないのだが、これだけ叩かれているのを見てしまうと、さすがに気の毒になってくる。

少なくとも、2015年のハリルホジッチ監督就任当時は、ザッケローニ監督時代に露呈した「ボールは回せるけど、攻守の切り替えが遅く、球際にも弱い」とうことでは世界に通用しないよね、というのが多くの人の共通認識で、だからこそ、それまでの“アジア勢にしては巧いサッカー”を超えるエッセンスをチームにもたらすことが、新監督には期待されていたはず。

代表クラスからユースレベルまで、長年染みついたスタイルをそう簡単に変えることはできないし、「予選を確実に突破する」というノルマの下、監督の思想が選手選考等にまだ十分反映されていない、それゆえに、どうしても中途半端な戦い方になってしまっているところはあるのだけれど、もう一段上のレベルに行くためには、これも必要なプロセスではないのだろうか。

今の日本協会が、評論家のコメントに敏感に反応するほどナイーブな組織ではない、と自分は信じているが、確固たる信念に基づいてチームを率いる監督が少しでも気持ちよく仕事ができるように、全幅の信頼とサポートで応えてほしいものである。

*1:そもそも例の問題が発覚して以降、皮肉にも佐村河内氏名義で公表されていた楽曲が使用される機会は一気に増えた気がする(あくまで一時的なものだったのかもしれないが)。

*2:日本経済新聞2016年10月8日付朝刊・第38面。

*3:http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2016/2016_3.html

*4:ましてや今年は福井市での開催だから、首都圏からはなおさら行きづらい。

*5:日本経済新聞2016年10月10日付朝刊・第1面。

*6:これは、実質的にはこれまで与えられていた捜索・差押権限の内容と変わらないもので、単に電子化に伴う媒体の変化に条文が付いていけていなかった、というだけの話である。

*7:意を通じずに資料を保管していた第三者に対する捜索・差押だと考えると、相応の手当ては当然必要となる。

*8:もちろん、後者に対する手立てが講じられなければ、「帳簿はとりあえずクラウドに放り込んでおけ」という動きを誘発するだけだから、最終的には同じ扱いにできればそれに越したことはないのだが。

*9:といっても、グループで最下位に低迷するチーム相手に「辛勝」という状況なので、手放しで喜べるような状況ではなかった。

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