藤田騎手がこじ開けた「20年」の扉。

昨年、JRA16年ぶりの女性騎手としてデビューしてから注目を浴び続けている藤田菜七子騎手が、遂に記録の上でも、歴史の扉をこじ開けた。

「21日、藤田菜七子騎手(20)が新潟競馬11R飛翼特別で10番人気ベルモントラハイナ(牝6・和田)に騎乗し1着となり、今年のJRA12勝目を挙げた。この勝利で1997年に牧原由貴子騎手(引退)が記録した女性騎手のJRA年間最多勝記録を20年ぶりに更新し、歴代トップに立った。」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171021-00000019-tospoweb-horse

たかが12勝、と言うなかれ。
リーディング上位騎手に容赦なく乗り馬が集中する今の中央競馬界で、騎乗馬に恵まれない若手騎手が、2桁勝つことは決してたやすいことではないし、それは藤田騎手の今年の勝ち星のうち、「1番人気馬」に跨って手に入れたものが1つしかないことからも良く分かる。

ホリプロが絡んでいることもあって、土曜日の競馬番組では、毎週あたかも主役の如く祭り上げられるが、調教師も馬主も乗り役をシビアに査定する勝負の世界において、「アイドル的な人気」は、時に悪い方向に働くこともある。それにもかかわらず、昨年から着実にステップアップし、メインレースで「最多勝」を更新したのだから*1、そこは素直に称賛されて然るべきだろう。

ただ、重い歴史の扉が開かれたことで、思い出すこともあるわけで・・・。


自分は、開かれた扉の向こう側にある90年代後半の競馬の世界にどっぷり浸かっていた人間だし、当然ながら、今回名前が出た牧原由貴子騎手に対しても、96年にデビューしてからしばらくは下級条件のレースで見かけるたびに熱烈に声援を送っていた。

あの頃は、今と比べて「女性」というだけで、デビューしたての騎手が特別な取り上げられ方をする機会はそんなに多くはなかったし、一部のメディアはともかく、JRA自身がそういう形で若い騎手にスポットライトを浴びせることを頑なに拒んでいたように見えたこともある。

同じ年に「花の12期生」として、福永祐一和田竜二高橋亮、という関西で一躍勝ち星を積み重ねたスター達がいたし、関東には双子の柴田大知、未崎兄弟、そして、何よりも女性騎手が牧原騎手以外にも、田村真来細江純子と揃っていたから、いかに牧原騎手にスターの資質があっても、彼女だけを取りあげるわけにはいかなかったのだろう。

それでも、11勝を挙げた2年目(97年)の暮れくらいからは、“ゲスト”的な登場の仕方ながら、JRAのCMに「若手」代表で取り上げられ、いよいよ本格化・・・という兆しはあった*2

翌年以降、スランプに負傷が重なったこともあり、通算で積み重ねた勝利はわずか「34」。
藤田騎手がこのまま順調に騎乗を続ければ、そう遠くないうちに塗り替えられてしまう数字なのは間違いない。

でも、デビューしたての頃、勝てそうで勝てなかったダイワテキサスとのコンビや*3、初勝利をプレゼントしてくれたレイズスズランとの長い因縁など、勝ち星にはカウントされなくても、観た者の記憶には深く刻まれているエピソードは多々あったわけで・・・。

この先に続く藤田騎手の未来に難癖を付けるつもりは全くないのだけれど、願わくば彼女には、イベントではなくレースで記憶に残る騎手になってほしいと思うし、その積み重ねの上に「記録」も塗り替えて、「女性」の枠を超えた金字塔を打ち立ててほしい、と思うのである。

*1:個人的には、新潟直線コースの藤田騎手は、メインでも何でも「買い」だな、と思った次第。

*2:ちなみに、2年目までの「20勝」という数字は、まだ現時点では藤田騎手を上回っている。

*3:的場騎手に乗り替わった瞬間から2連勝、その後、重賞勝ち馬にまでのし上がったのを見て、何とも切ない気持ちになったものだが・・・。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html