4年間、守り続けて辿り着いた場所。

続々と新しいメダリストが誕生している中、今頃、という感もあるが、やはりジャンプの高梨選手をスルーするわけにはいかない。

「女子ノーマルヒルヒルサイズ=HS109メートル)が行われ、前回ソチ五輪4位の高梨沙羅クラレ)が2回とも103.5メートルの合計243.8点で銅メダルを獲得した。女子では日本初のメダルで、日本ジャンプ界通算12個目となった。」(日本経済新聞2018年2月13日付朝刊・第26面、強調筆者以下同じ)

彼女に関しては、4年前の「悲劇」のイメージが未だに尾を引いているところがあるし、その後、2015〜2017シーズンまで、ほぼ無敵の女王の地位を守っていたにもかかわらず、この五輪シーズンになって、LUNDBY選手(ノルウェー)、ALTHAUS選手(ドイツ)といった近い世代の“新興勢力”にトップの座を追われてしまった、そして、今回の五輪もその序列どおりの結果になってしまった・・・ということで、「銅メダル」でも何となく喜んでいいのかどうか・・・という雰囲気が漂っていた。

だが、前回五輪の頃、高梨選手とちょうど覇権を争っていて、結果的に金メダリストとなったフォクト選手が今回5位、銀メダリストのイラシュコ選手も6位、という状況の中、飛距離も、飛型点も一回り伸ばし、前回と同じ「1回目3位」というポジションからプレッシャーに耐えて表彰台に乗る権利を掴みとった、というところに高梨選手の一番の価値がある、と個人的には思っている。

「2強」の一角は崩せなかった。うれしさ半分、悔しさ半分の「銅」ではある。だが、やるべきことはやった。五輪直前に絶対女王の座を追われた高梨が2度目の挑戦でつかんだメダルは「昔の自分を超える」と念じて歩んだ4年間の結晶だ。直前のワールドカップ(W杯)13戦で10勝、「金メダル間違いなし」との触れ込みで臨んだソチ五輪。選手村に入ってから「自分を見失った」。重圧に潰され調子を保てず、不利な追い風も受けてまさかの4位。17歳のほおを涙が伝った。あれから4年。リベンジを誓い、大舞台で弱い心を克服するため、人としての成長を自らに課した。「不器用なんです」という。真面目で融通が利かず、「悪くなったらどうしたらいいんだろう、と追い詰められて」。ソチの敗因はもっぱら心にあった。視野を広げたいと宿にこもりがちだった遠征先でも積極的に外出した。色々なものを見て、聞いた直接競技とは関係ない時間が、巡り巡ってこの日につながったのか。今季の目を背けたくなるような現実にも、焦りは見せなかった。」
(中略)
「ソチ直後に何度も見てうなされた「自分がソチのジャンプ台を飛ぶ夢」が、最近変わってきたという。ジャンプを飛んでいるのは高梨本人でも、視点は少し離れたコーチ席から見ている。広い視野を持って、心身の自律をかなえた21歳は、「最後は自分を信じて飛べた。ソチの時の顔より、私は今の顔の方が好きです」。平昌の空でようやく「悪夢」から覚めた。」(同上)

称賛一辺倒ではなく、かといって、非難するわけでもない。
明らかに真っすぐではない、複雑にねじれた迷路を抜けて表彰台にたどり着いた彼女のこの4年間を見事に描いたこの記事(西堀卓司記者)は、今大会の選手紹介記事の中でもおそらくベストに入るものになるだろう。

自分が4年前、「4年後」に期待を寄せるエントリーを残した*1ときも、試合前後の彼女の何ともいえない表情を見て頭の中によぎった「今の年齢が17歳だからといって、高梨選手に次の五輪での盤石な地位が保障されているわけではないし、単に見ているだけの人間が思うほど「次の4年頑張る」ことは容易ではない、と思う。」という一節は書き残さざるを得なかったし、その後、勝ち続けていた間ですら、メディアや世論の声は決して暖かいものばかりではなかった。

だが、それでも、いろんなものを乗り越え、自分に勝ち、こうして「メダリスト」として歴史に名を刻んだ彼女は、やはり特別な存在だったのだと思う。

今日の朝刊に掲載された森敏氏のコラムには、次のようなくだりがあった。

「成長した周囲を相手に高梨が4年前の自分を乗り越えたのは素晴らしい。本当にいい勝負をした。トレーニングの進化で女子選手の瞬発力、身体能力はさらに上がるだろうが、本人はW杯で一人勝ちしていた頃より、競い合うライバルがいる現状に強いやりがいを感じているのではないか。違う色のメダルを4年後に取りにいってほしい。」(日本経済新聞2018年2月14日付朝刊・第35面)

17歳だった前回の五輪の時ですら躊躇した「4年後」という言葉を、これまでずっと走り続けてきた第一人者に、今、ここで安易に持ち出すのは勇気がいることなのだけれど、まだ2つ“伸びしろ”がある今回の結果や、風に泣き、ソチより順位を下げたWエース伊藤有希選手の存在、そして次々と現れる世界のライバルたちの存在・・・と、前向きなモチベーションを持とうと思えば、それができる環境があるというのは幸せなこと。

願わくば4年後には、より競技全体の選手層が厚くなり、「一種目」だけでは終わらないような環境が整っていることを願いつつ、今度はより楽観的に、彼女の行く先を見守ることにしたい。

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