歪んだ集団心理の真ん中で「法令遵守」を叫ぶことの苦しさ。

一週目にして早くもメダルラッシュの様相を見せている平昌五輪。
本来であれば、のんびり観戦記でも書きたいところなのだけど、残念ながらここ数日、そんな気が湧いてこないほどいろいろとざわついている。

ついこの前まで“他人事”のように見ていた某O社の話が急に身近なことのように思えてしまうような状況、といえば、概ね察しはつく人もいるかもしれない。
職業上の倫理観と現実のはざまで、忸怩たる思いを抱えながら、行ったり来たりしている感じである。

これまで様々な不祥事事案とか、「経営の失敗」事例に接するたびに抱いていたある種の仮説が、ものの見事に当てはまる、ということが分かったのは、一種の収穫。
だが、できればそういう場面に当事者として立ち会いたくはなかった。

今、改めて感じていることは、「平時」に百度百度コンプライアンス」を唱えることよりも、興奮状態に陥った組織の中で最低限の「法令遵守」を貫くことの方が、ずっと大事だし、難しい、ということ。そして、それをしようと思ったら、自分だけでなく、自分の身近な人々の血が流れることも覚悟しなければいけない、ということ、である。

人生における様々な物事の優先順位の中で、ここに全てを賭ける価値があるかどうか、ということへの逡巡が、自分の動きを鈍くしているところもあるのだけど、これから一晩、二晩、思いを重ねて、冷静に思考を磨き上げた末にたどり着いた結論が、その先の一歩につながるのだろう、と思っているところである。

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