「人の名」をブランドにすることの難しさ。

真夏に出た知財高裁の商標関係の審決取消訴訟の判決が最近アップされたようなのだが、ちょっと引っかかったので取り上げてみる。

争点になっているのは、商標法4条1項8号(以下)該当性、ずばり、「人の名じゃダメなのか?」という問題。

第四条 次に掲げる商標については、前条の規定にかかわらず、商標登録を受けることができない。
八 他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称を含む商標(その他人の承諾を得ているものを除く。)

正直に白状すると、自分はこの4条1項8号、「芸名、筆名、略称」だけでなく、前半の「氏名、名称」等の部分にまで脳内で勝手に「著名な」という形容詞を付加して理解しており、「有名人の氏名を勝手に商標出願したような場合に限って該当する登録阻却事由だろう」と勝手に思っていたのだが*1、そんな甘い勘違いをざっくりと打ち砕いてくれる判決である。

知財高判令和元年8月7日(H31(行ケ)第10037号)*2

本件は、原告が出願した「KENKIKUCHI」なる大文字の欧州文字10字を含む商標(商願2017-69467号、平成29年5月23日出願)に対して、特許庁が平成30年2月26日に拒絶査定を下し、不服審判(不服2018-7529号)においても前記商標法4条1項8号を理由とした不成立審決が出された(平成31年1月30日)ことから、原告が審決取消しを求めて提訴したものである。

アップされている判決文では匿名化されているものの、J-Plat Patで確認すると、原告は出願商標に含まれるローマ字の読み通りのお名前の方のようだし、自ら「ケンキクチ」の名でジュエリーブランドを展開しており、そのブランドを象徴するのが本願商標、ということのようである*3

特許庁の法4条1項8号の審査基準*4には、

5.自己の氏名等に係る商標について
自己の氏名、名称、雅号、芸名、若しくは筆名又はこれらの略称に係る商標であったとしても、「他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称」にも該当する場合には、当該他人の人格的利益を損なうものとして、本号に該当する。

と明確に書かれているから、「自分の氏名」を冠したブランド&その商標だからといって、4条1項8号該当性判断を免れる、ということにはならない、というのは分かる。

ただ、問題は4条1項8号における「他人の氏名」をどこまで広く解釈するか。

知財高裁は、以下のように判示し、結論としては、原告の請求を棄却した。

「本願商標の構成中「KENKIKUCHI」部分は,「キクチ(氏)ケン(名)」を読みとする人の氏名として客観的に把握されるものであるから,本願商標は人の「氏名」を含む商標であると認められる。」
「本願商標の外観,我が国における一般的な氏名の表記方法等によれば,本願商標の構成中「KENKIKUCHI」部分は,「キクチ(氏)ケン(名)」を読みとする人の氏名として客観的に把握されるものであることが認められ,この氏名は,原告の氏名に限定されるものではない。仮に,本願商標がブランド「ケンキクチ」のロゴとして一定の周知性を有しているとしても,かかる事実は上記認定を左右するものではない。」(以上10頁)
「同号は,「他人の氏名…を含む商標」と規定するものであり,当該「氏名」の表記方法に特段限定を付すものではない。また,同号の趣旨は,自らの承諾なしにその氏名,名称等を商標に使われることがないという人格的利益を保護することにあると解される(最高裁平成15年(行ヒ)第265号同16年6月8日第三小法廷判決・裁判集民事214号373頁,最高裁平成16年(行ヒ)第343号同17年7月22日第二小法廷判決・裁判集民事217号595頁参照)ところ,自己の「氏名」であれば,それがローマ字表記されたものであるとしても,本人を指し示すものとして受け入れられている以上,その「氏名」を承諾なしに商標登録されることは,同人の人格的利益を害されることになると考えられる。したがって,同号の「氏名」には,ローマ字表記された氏名も含まれると解される。」(以上11頁)
「証拠(略)によれば,「キクチ ケン」を読みとすると考えられる「菊池 健」という氏名の者が,北海道小樽市に住所を有する者として,2016年(平成28年)12月版(掲載情報は同年8月24日現在)及び2018年(平成30年)12月版(掲載情報は同年8月16日現在)の「ハローページ(小樽市版)」に掲載され(乙12,13),同時期に発行された他の地域版の「ハローページ」(乙14~29)にも,当該地域に住所を有する者として,「キクチ ケン」を読みとすると考えられる「菊池 健」又は「菊地 健」という氏名の者が掲載されていると認められるところ,かかる事実によれば,これらの「菊池 健」及び「菊地 健」という氏名の者は,いずれも本願商標の登録出願時から現在まで現存している者であると推認できる。加えて,弁論の全趣旨によれば,原告と上記「菊池 健」及び「菊地 健」とは他人であると認められるから,本願商標は,その構成中に上記「他人の氏名」を含む商標であって,かつ,上記他人の承諾を得ているものではない。したがって,本願商標は,商標法4条1項8号に該当する。」(11~12頁、以上強調筆者、以下同じ。)

ブランドロゴとして一連で使われていても、ローマ字でも「氏名」として把握され得る、という前半のくだりに関しては、確かに原告の主張の方が分が悪いとは思う。

だが、後半の判旨についてはどうだろうか?

わざわざ「小樽市のハローページ」まで証拠提出して「同じ読み名の『他人』がいる」ということを立証しようとした「特許庁長官」の根性は評価するとしても、たまたま同じローマ字表記になる人が他にもいる、というだけで、4条1項8号に該当する、という判断を正当化するのは、いかに「人格的利益の保護」というお題目を掲げられたとしても、どうにもこうにも腑に落ちないところがやはり出てきてしまうし、原告(出願人)の商標に、出願人の提供する商品・役務を想起させるような一定のブランド価値が認められるような場面で、「全く無名の一般人」の氏名が引用されて登録を拒絶される、となればなおさらだ。

条文を読めば、「他人の氏名・・・を含む商標」である限り、その「他人」の「承諾」を得ないと登録が認められない、ということになっているじゃないか、と言われればそれまでで、自分のこれまでの”勘違い”を開き直って押し通すつもりはないのだけど、一方で、本件のような比較的ありふれた名前の場合に、どれだけいるか分からない「他人」全員から「承諾」を取ることなど不可能なわけで、そんなインポッシブルなミッションを課すことを想定してこの条文が作られたのだろうか?という素朴な疑問も当然湧いてくる。

そして、この点については、あの有名ラーメン店に係る山岸一雄大勝軒という商標の拒絶査定不服審判不成立審決を維持した知財高裁平成28年8月10日判決*5等を契機に最近少し議論が盛り上がっているようで、「同じ名前の他人が存在する」というだけで4条1項8号該当性を認めてしまうことに対しては、批判的な意見も出されていたところだった*6

その意味で、本件訴訟で原告が試みた以下の主張は、上記のような素朴な疑問と、実務的なバランスに配慮した絶妙なものだったと自分は思う。

「商標法4条1項8号の趣旨が第三者の人格権の保護であるとしても,同法は,同号の「他人の氏名」の該当性を判断するに当たり,第三者の人格権のみを考慮することは予定していないというべきであり,同法の目的である産業発展の寄与ないし需要者の利益保護の観点から,登録が拒絶されることで受ける者の不利益も十分に考慮しなければならない。」
「商標法4条1項8号により,当該商標ないし商品と無関係ないし無名の第三者まで保護することは行き過ぎであって,同号の「他人」に当たるか否かは,その承諾を得ないことにより人格権の毀損が客観的に認められるに足る程度の著名性・希少性等を有する者かという観点から判断すべきである。」(以上5頁)

にもかかわらず、裁判所は、平成28年知財高裁判決に続き、以下のとおり完膚なきまでに原告の主張を退けたのである。

「商標法4条1項8号の趣旨は,前記アのとおり,自らの承諾なしにその氏名,名称等を商標に使われることがないという人格的利益を保護することにある。そして,同号は,その規定上,雅号,芸名,筆名,略称については,「著名な雅号,芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称」として,著名なものを含む商標のみを不登録とする一方で,「他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称」については,著名又は周知なものであることを要するとはしていない。また,同号は,人格的利益の侵害のおそれがあることそれ自体を要件として規定するものでもない。したがって,同号の趣旨やその規定ぶりからすると,同号の「他人の氏名」が,著名性・希少性を有するものに限られるとは解し難く,また,「他人の氏名」を含む商標である以上,当該商標がブランドとして一定の周知性を有するといったことは,考慮する必要がないというべきである。」(13頁)

確かに、有名人だろうが、無名の人だろうが、自分の「名前」は大事なものだし、それに関する人格的利益は平等に認められてよい*7

そして、仮に出願人の氏名を冠した商標が出願、登録査定時に周知著名だったとしても、その「氏名」の商標登録をひとたび認めてしまえば、何年後かに同姓同名の人が愛着のある自分の氏名をブランドとして用いて同じジャンルの商品・サービスを提供しようとしてもできなくなってしまうわけだから、そういう観点から一切の例外なく「氏名」を含む商標の登録は認めない・・・

そういう理屈で考えるなら、文理解釈に固執するかたくなな特許庁知財高裁の姿勢を多少は前向きに評価することもできるのかもしれない。

ただ、そうなると、逆に、今既に登録されている氏名商標(「コシノジュンコ」等々)に関してそういった配慮はいらないのか? ということにもなってくる。

もしかすると、知財高裁としては、こういった一連の”おかしさ”は承知しつつ、裁判所に持ち込まれた以上はあえて文理解釈に徹する姿勢を見せ、その間に何らかの「立法的解決」がなされることを望んでいるのかもしれないが、「人の名」を冠する標章を商標登録するためのハードルをそこまで上げなくても良いではないか、というのが正直な思い。

自分としては、今の条文の解釈の工夫だけでも補えるところはあるように思えるだけに、今後の議論と本件に続く裁判例の行方に注目したいところである。

*1:そもそも企業実務上、「会社名」ならともかく、個人の「氏名」を入れた商標を出願する、という場面自体がほとんど想定できないので、本件のような論点に仕事の中で触れることもほとんどなかった。

*2:第3部・鶴岡稔彦裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/883/088883_hanrei.pdf

*3:Webサイトは、http://kenkikuchi.com/。このトップに出てくる標章が本願商標である。

*4:https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/trademark/kijun/document/index/17_4-1-8.pdf

*5:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/071/086071_hanrei.pdf、ちなみに判決を出したのは第4部で当時の裁判長は高部眞規子・現知財高裁所長である。

*6:Web上で閲覧できるものだけでも、石井美緒「商標法4条1項8号における他人の氏名」(特許研究66号22頁)、岡本智之「判例評釈 商標法 4条1項8号の「他人」について」(パテント71巻3号127頁)。

*7:ただし、ここで「自分の氏名を他人に商標として登録されることによる精神的苦痛や不快感」を過度に強調しすぎるとおかしな話になると思っていて、特に、その出願人自身が「自分の氏名」を商標出願しているような場合にはなおさら「自分の氏名を商標登録して使う」利益とのバランスも考えた方が良いのではないかと思う。同姓同名の有名人が世の中に出てきて、あちこちのメディアでその名前が躍ったことで、学校でからかわれた経験のある人はそれなりにいらっしゃるだろうが、それによって不快感を抱いたからといって、活躍している有名人に名前を変えろ、といったり、メディアにその名前を報道するな、ということはできないわけで、商標に関しても同じことが言えるのではないかと思っている。

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