ここのところ週末までそれなりに仕事を入れていたこともあって、なかなか落ち着いて読む気分にもなれていなかったのだが、ようやく目を通すことができたNumber誌の節目の記念号。
Number(ナンバー)1000「創刊1000号記念特集 ナンバー1の条件。」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
- 発売日: 2020/03/26
- メディア: 雑誌
まだこの国の右肩上がりの成長を誰もが信じて疑っていなかった1980年4月に創刊。
そこから40年。どうしてもその時々の流行に左右され、栄枯盛衰を味わうのが常の娯楽・趣味系雑誌の中でも、格の違いを見せ続ける形で生き残ってきた雑誌だけに、折り込みの「Best100 of 1000」企画とか、「年間売上ナンバー1ギャラリー1980-2019」といった企画を見ているだけでも、歴史的な重みが伝わってくる。
そして、この40年、1000号の歴史のうち、半分以上は間違いなく自分の記憶とも重なっている。
自分がこの雑誌を初めて目にしたのは80年代の後半くらいで、お金持ちの子弟が学校に持ってきているのを拝借したり、通学の途中で本屋で立ち読みしたり、といった断片的な記憶は残っているし、カップラーメンで飢えをしのいでいた学生時代も、この雑誌とサッカーマガジンと優駿だけは、生協書籍部で真っ先に探して、かなりの確率で買っていた。
社会人になってからは、安月給の前に躊躇しつつも、コンビニで表紙を見るとどうしても欲しくなって毎号買ってしまう、ということを繰り返し*1、少し懐に余裕が出てきたところで思い切って定期購読。そのため、引っ越しのたびに詰める段ボールの数が膨れ上がっていったのだが、それでもめげず、結果、積もり積もって500号以上が、未だに自分の部屋と専用のストレージルームの中に眠っている状況である。
活字に念入りに目を通す時間も気力もあり、何よりもまだ知らない世界の新鮮な情報に飢えていた10代、20代の頃に出た号の「表紙」から蘇ってくる感情*2と、今や氾濫する情報の一つになってしまい、さっと読み流してしまうことも増えた最近の号の「表紙」から蘇ってくるそれ*3とは、やっぱりかなりの違いがあるわけで、その分、雑誌と同じスピードで自分自身歳を重ねてしまったのだなぁ、ということをしみじみと感じざるを得ないのは確か。
また、ライター・金子達仁氏が本号に寄せられたエッセイ*4などを読むと、「そういえば自分も30代に差し掛かった頃までは、まだ本気でスポーツライターに転向しようなんて夢も見てたんだよな・・・」という非常に恥ずかしい記憶まで蘇ってくる。
いろんなものに憧れつつも、自分自身の軸が定まらずにブレまくっていた、30代の半ばまでは間違いなくそうだったし、今でもそんなに定まったか、といえば自信はない。
だから、アスリートでもライターでも、「この道」と定めて結果を残してこられた方の足跡に接してしまうと、畏敬の念とともに、何も成し遂げてない自分への羞恥心も隠しようがなくなってしまうのだ。
ただ、この記念号に出てくる自分と近い世代のアスリートたちが、ブレイクして頂点を極め、最後静かに現役から退く、という過程を辿って「あの頃」を語っている中で、当時、それを遠くから眺めるしかなかった自分の方が、まだまだこれから、まだまだ目指せる場所がある、と思えるのは、ある意味幸せなことなのかもしれないな、というのも同時に感じたことだったりもする*5。
ちなみに、「ナンバー1」というテーマの下、この号で取り上げられているアスリートはざっと20人弱。
(以下、敬称略)
イチロー
大谷翔平
王貞治
村田諒太×井上尚弥
高橋尚子×北島康介
澤穂希
宮里藍
武豊
内村航平
羽生結弦
サニブラウン
八村塁
アイルトン・セナ
マイク・タイソン
マイケル・ジョーダン
ライターの好みに合わせて選んでるだろ!という突っ込みもありそうだが、これまでに表紙登場回数断トツNo.1を誇るイチロー氏と、登場回数5位、しかも34年の時を経て未だに現役の武豊騎手だけは、まぁ誰も文句は言えない人選だろう、と。
「みんな、がんばるんです。がんばって何とか結果を残そうとするんですけど、僕はがんばらなくても結果が残る。とくに高校に進んでからは、身体が大きい選手はいても野球がうまいと感じさせる選手はいなかった」
「一緒に戦ってきた選手の中で僕よりもヒットをより多く打てると思った選手は一人もいませんでした」
と、こんなキャラでしたっけ?(笑)と苦笑いしたくなるような強烈なコメントを残しつつ、特集記事の後に出てくる小西慶三氏の連載記事*7では、故・三輪田勝利オリックス球団編成部長の墓前にマリナーズ入団報告をする姿が描かれている稀代の大スターを、自分がますます憎めなくなった、ということだけは付言しておきたい。
節目の一歩はフットボールから。
で、1000号にひとしきり目を通した後にふと気づくのが、あれ、サッカーは? ということで、そんな肩透かしを一瞬で歓喜に変えるのが翌・1001号である。
- 発売日: 2020/04/16
- メディア: Kindle版
何といっても表紙がカズ。そして見た目も若い・・・!
三浦知良選手は、昨今のCOVID-19をめぐるリーグ中断に関しても、積極的にコラムで情報発信されていたりするし、「人生の11ゴール」の1つに、2011年3月29日のチャリティーマッチでのゴールを挙げているところにも「今」に対する思いが見え隠れしているのだけど、自分はやっぱり92年アジアカップのイラン戦の決勝ゴールと、93年W杯予選・韓国戦のゴール。この2つが挙がっているだけで、グッとくるところはあった。
好き嫌いも、毀誉褒貶もあった選手だけど、やっぱり、この選手がいなかったら、日本サッカーの世界への扉は未だに開いてすらいなかったのかもしれないのだから・・・。
そして、それに続いて、中山雅史、稲本潤一、鈴木隆行、中村俊輔、大黒将志、玉田圭司、中村憲剛、遠藤保仁、岡崎慎司、本田圭佑、香川真司、昌子源、そして最後に金子達仁氏の手による中田英寿のジョホールバルでの一戦回顧。
これもまた、自分の人生の節目節目と明確に重なるだけに、挙げられている一つ一つの試合が印象深かった。そして、ここまでの歴史の「生き証人」の選手たちの多くが、どんな形であれ未だに「現役」を続けている、というのが結構驚愕だったりもして、良い時代になったのだな、ということを改めて感じさせられる*8。
仮に、この雑誌がこのままのペースで発行され続けるとしたら、この1001号を一歩目に次の節目を迎えるのも再び40年後、ということになるだろうが、おそらく、よほど運がよくなければ自分がそれを見届けることはないと思う。
ただ、だからこそ、1号でも長く読み続けたい、そして、いつかリアルにこの世界にかかわりたい、というのが、未だ変わらない自分の思いでもあるので、どこかでそれが現実になることを夢見つつ、また次の号を楽しみに待つことにしたい。
*1:それでも多少欠番になっている号があるのが今となっては惜しまれるところなのだが・・・。
*2:中には、ああそういえば、あの人の部屋で一緒に読んだなぁ、等々の記憶が蘇ってくるものもあるのである。ああ遠い日の花火・・・。
*3:中にはほんの数年前の号のはずなのに、記憶の中からすっぽり抜けているものすらあったりする。もしかしたら定期購読の袋の中から出してないものもあるのかもしれない、等々。。。
*4:金子達仁「運命を変えた編集後記」Number1000号69頁。
*5:そう思えるのは、まだ何も大きなことを成し遂げていない人間の特権だから(笑)。五輪の金メダルにしても、メジャーリーグのシーズン最多安打記録にしても、誰も立ったことのないような頂に登り詰める、というのは本当に凄いことだと思うのだけど、その一方で長い人生のどのタイミングでそれがめぐってくるのが良いのか、ということも考えだすといろいろ複雑なところはあるよな、と思うのである。
*6:石田雄太「生まれ変わったら、5000本を」Number1000号12頁。
*7:小西慶三「イチロー実録。51冊の取材ノートから」① Number1000号100頁。
*8:昔、アマチュアしかなかったような時代で、30歳を過ぎて現役を続けられる選手なんて、そうそういるものではなく、「選手寿命の短さ」がサッカーの代名詞だったような時代もあっただけに、プロクラブの裾野が広がり、若手からベテランまで「選手」として活躍できる可能性が広がった、ということの意味は大きいな、ということを改めて感じたのであった。