今週届いた『Number』(1041号)も、特集は「日本シリーズ完全詳報」ということでプロ野球ネタだった。
これで1039号から3号連続で表紙をBaseball アスリートが飾ったことになる。
確かに、このコロナ禍、競馬を除けば予定通り開催することすら難しかったスポーツ興行の世界で、それでもこれまで通りの存在感を発揮できていた数少ないコンテンツが日本のプロ野球であり、海の向こうのメジャーリーグだったような気がする。
かくいう自分も、それまでスルーすることが多かった「速報」に何となく目を留めることが多くなったのがこの2年間だった。
ちなみに、前号は言わずもがなの今年の「MVP」*1・大谷翔平選手の特集で、今号も冒頭で紹介したとおり日本シリーズを戦った両チームの監督、選手たちの姿がメインで描かれており、シリーズには進出できなかったチームの選手たちも含め、まさに”今が盛り”の人々の声が届けられている*2。
だが、それと同時に、「去り行く人」の”今だからこそ・・・”の声が届けられるのもこの時期の常。
特に今号で衝撃だったのは、鳥谷敬選手の生々しいコメント*3。
既に引退会見時のコメント等でその一端は報じられていたが、改めて丁寧に説明された形で読むと、より壮絶感は増す。
「鳥谷は活躍するだろう。今年も優勝だろうと、見えないものへの期待がすごすぎて・・・。土地柄も違うし、発言にしろ行動にしろ、そのままを受け入れてもらえるかどうかも分からない。それならば架空の人物じゃないけど『阪神の鳥谷敬』を作り上げて、それを演じることで周りの理想に近づける自分を作った方が楽だった。」(70頁、入団直後の熱狂を振り返って)
そこからタイガースで演じ続けること15シーズン。2000本の安打を重ね、歴代2位の1939試合連続出場、という記録まで作った。
それでも「野球で長くご飯を食べていくためには出続けるしかなかった。」と自分を追い込んでいたストイックさに、かの球団がもう少し「結果」で報いることができていたら・・・と思わずにはいられない。
甲子園時代から「色眼鏡で見られていたこと」を振り返って、
「選手として見てほしかったという気持ちがあったんだと思います。僕は小学生の頃から、活躍して有名になって、モテたかった。でもそれは野球選手として活躍することが前提です。なのに甲子園でハンカチを使ったら、そこにフォーカスされた。これってたまたまハンカチを使ったからで、実力じゃないところで注目されたんじゃないかと・・・喩えれば、美人だねって言われる女の子が、いやいや、中身をちゃんと見て、私、顔だけじゃないし、みたいなことを考える感覚です(笑)。」(67頁)
と(笑)付きで答えているあたりに11年間の歳月を感じるのだが、一方で、大学3年時の故障をきっかけに体の柔らかさを失い、大学4年の春にはキャッチボールで「以前に投げられた伸びるボールが投げられなくなっていた」というエピソードを見てしまうと、「良くぞここまで続けたな・・・」という言葉しか出てこない。
そういえば、2号前に特集が組まれた松坂大輔選手に関しては、逆に「肩の可動域を広げるストレッチで関節を緩めて柔らかくした」ことが長い故障との戦いの原因になったことが示唆されていた*5。
いずれも最初は常人には理解できないレベルの変化だったのかもしれないが、それが重なってアスリートとしての人生を大きく変えてしまう。
出続けても苦しい、故障で出られない日々が続けばもっと苦しい。
それでもまだ、こういう形で取り上げてもらえるだけ彼らは幸せだし*6、次の人生の保証もある程度あるからいいじゃないか、と言ってしまえばそれまでなのだが、一時代を作りながらも、最後はボロボロになるまでやり続けた、というところに自分はこの3選手の共通点を見たし、だからこそ肉声も尊いのだと思っている。
ちなみに、松坂選手に関しては、引退特集でのロングインタビューの中の、以下のようなコメントも印象的だった。
「僕、昔は人に教えることを意識したことがなかったんです。それは『お前だからできるんだよ』と言われ続けたからです。ミーティングの中で僕が何かを発言しても、それはお前だからって、すぐ言われる。そのせいで誰かに教えることを遠慮するようになっていました。こうしたほうがいいと思うことがあっても、またお前だからって言われそうだなと思うと言えなくなる。そこはケガをして悪い状態を経験したことで、これまでよりも僕の言葉が伝わるようになるのかなと思うことはありますね。」(石田雄太「ロングインタビュー 松坂大輔」Number1039号14頁、強調筆者)
ああこれ・・・ほんとこれ・・・。
自分自身がやって来たことを伝えようとしても、勝手によく分からない壁を作られて素直に受け取ってもらえない切なさ。
自分も、生きている世界こそ違えど時々これを言われることがあって、そんな時は、仮に相手に悪意がなかったとしても、心底はらわたが煮えくり返ることは多い。
『お前だから』という前に、自分がやってきたことに近づくためにあなたはどれだけのことをしたのか。
近付こうとする努力さえもせずにそれを言わないでくれ・・・と。
たとえ選手生活の後半、ずっと苦しんだ時期があったとしても、この後、振り返られたときに出てくるのは超人的な活躍の日々だったりもするから、この先も松坂選手の言葉に耳を傾けられるのは、同じレベル以上の資質を持つ者だけに限られてしまうのかもしれないが、それでも引退の日を迎え、こういう形で苦しんだ日々が世に明らかにされることで、彼の言葉が少しでも多くの才能に届くようになるのであれば、せめてもの救い、というべきなのかもしれない。
いずれにしても、長きにわたって戦ってきた彼らがこの先善き日々を過ごされるように、と、今は願ってやまない。
*2:個人的には、鈴木忠平氏の「1995年と2021年 2つの死闘を貫くもの。」という記事(Number1041号44頁)の中で、小林宏・現オリックス二軍監督が95年日本シリーズのオマリーとの14球の死闘を振り返っている記事を読んで、忘れていた記憶が蘇り、懐かしさとほろ苦さを感じたりもした(だって、オマリーといえば・・・だから)。
*3:佐井陽介「生き残るためには出続けるしかなかった」Number1041号68頁。
*4:石田雄太「これからもずっと野球とともに。」Number1041号65頁。
*5:石田雄太「336度目のラストマウンドへー。」Number1039号58頁、前田高典トレーナーのコメント。
*6:現実にはろくにコメントも報じられないまま姿を消してしまう選手たちも多くいるので・・・。