掛け違えられたボタンの「直し方」への素朴な疑問。

土曜日の夜、日経の電子版に載った記事を見て、思わず「ん?」と首をひねりたくなってしまった。

見出しからして、知財活用で「新興いじめ」 大企業、無償要求や情報流出」だから、全く穏やかではない。

そして記事の本文に踏み込むと、書き出しからして、

大企業によるスタートアップ企業の知的財産やノウハウの不当な利用が横行している。」
日本経済新聞電子版2020年6月27日22時00分配信、強調筆者、以下同じ)

だからますます穏やかではない。

読み進めると、

公正取引委員会の調査ではスタートアップの15%が「納得できない行為」を経験し、うち75%が受け入れざるを得なかったという。スタートアップによる技術革新を妨げる恐れがあり、政府はトラブルを未然に防ぐ契約方法を示すなど対応を進める。」(同上)

ということで、ここで再び最近のトレンドとなっている「お上による契約ひな型の作成」が始まりそうな気配になっているのであるが・・・。


個人的には、こういった「スタートアップ1500社」の側だけを対象としたアンケートの結果だけで、「ノウハウの無償提供や不利な契約を強いられている実態が浮き彫りになった。」というふうに断定するのは全くフェアではないし、その結果だけを元に政策立案を進めていけば、ますます世の中の契約慣行が歪んでいくのではないか、ということを自分は危惧している。

記事の中に挙げられた『新興いじめ』の例は以下のようなもので、

1)スタートアップの重要な資料が取引先に無断で示された
2)提供した情報が他社に流出して類似のサービスが勝手に立ち上げられた
3)契約した範囲を超えて業務が発生しても対価が支払われなかった
4)発明した特許を無断で出願されたりした

1)などは、取引信義上極めて非常識な話だし、3)なども非常にけしからん話ではあるのだが、これらは、今世の中で一般的に使われているどんな契約でもほぼ間違いなく契約違反と主張できる話なわけで、そこで「泣き寝入り」を強いられている実態があるのだとすれば、それは契約以前の交渉力の問題というほかないのだから、「モデル契約書」に手間暇をかけたところでさしたる改善は見込めない*1

また、2)や4)は、スタートアップならずとも、総合的な技術力、というか、製造能力を持たない会社(提携案件においてもっぱらアイデア出しやフィールド提供の役回りを担う側の会社)であれば、大企業であっても多かれ少なかれ”やられた”ことのある話だと思う。

名の知れたメーカーとの開発案件で、実装に向けたアイデアを出し、試作品を設置して、手間ひまかけて集めたデータの提供まで1年がかりで協力したのに、本導入の条件面で折り合わずに立ち消えになったと思ったら、間髪置かずに同業他社にその会社の似たような製品が導入されていた、みたいな話は、散々開発部門から”嘆き節”として聞かされたし、ひどいケースになると、「いつのまにか特許まで出しやがって・・・!」と憤慨させられることも多々あった。

だが、冷静に考えれば、我が国は、単なるビジネスやサービスの「アイデア」の囲い込みを認めるような法制度は採用していないし、特許にしても明細書を完成させられるだけの技術的なバックグラウンドと実施可能性の裏付けを揃えて初めて保護に値するものになる、というのが、バランスの取れた考え方というべきだろう*2

だから、こういう話が出てきたときは、提携先のメーカーに突っかかる前に「悔しい気持ちは分かるけど、まぁ仕方なかろう」と自社側の担当者を宥めるのが常だった*3

記事になっているスタートアップに関しても、大手のメーカーと協業した案件などでは同じようなことがあっても不思議ではないし、それこそ、長年、部品の金型を作っている会社が味合わされているような悲哀を味合わされた会社が全くないとは言えない。

ただ、今世の中の「スタートアップ」と呼ばれる会社のサービスの中には、打ち出しているサービスのコンセプトは真新しくても使われている技術は汎用的なものの組み合わせにすぎない、というものも結構あるし、極端な例でいえば、「DX」を掲げただけでやっていることはこれまで他の会社がやってきたことと何ら変わらない、という場合だってあるわけで、そういった背景の下で、

「秘密保持契約を結んで面談した大企業が2年後、自社のビジネスモデルに酷似したサービスを提供していることに気づいた。」(同上)

と言われても、それが本当にその会社オリジナルの発想に派生するサービスなのか?、と問われれば何ともいえないところはあるような気がする*4

そもそもスタートアップ各社が手掛けているサービスの多くは、「世の中で認識されているニーズ」を解決するためのものである以上、2年もあれば偶然同じようなアイデアを他の誰かが思いつくことだって十分あり得るわけだし、ビジネスモデルにしてもしっかり考え抜けば、生き残る選択肢など1つか2つに限られるのが常なのだから、単に「酷似したサービスが提供されている」という事実だけで「模倣だ」とか「大企業の横暴だ」と決めつけるのは、正しい思考態度とはいえないだろう*5

ということで、掛け違えられたボタンと穴の一方だけを見て、エキセントリックに煽るのはやめた方が良いのではないか、というのが、前記記事を眺めての率直な感想である。

仮に「単なるボタン掛け違い」以上の問題が存在するとしても、それを「ルールをいじる」ことだけで解決しようとするのは現実的なやり方とは言えないし、仮に手を加えるのであれば、「スタートアップ」の会社組織の作り方(特に人の集め方の偏りの問題)とか、事業運営マインドの方から切り込んでいかないとどうにもならないのではないか、とも思うところ*6

そして、記事の中ではサラッと書かれてしまっているが、

「スタートアップが開発した機械を分解して模倣するリバースエンジニアリング」を禁じる条項を盛り込む。」(同上)

とか、

協業相手と競うビジネスを大手側は手がけないと契約に明記する」(同上)

といった規制を入れるなんて発想はあり得ない、ということも最後に申し上げておきたい*7

*1:もちろん、3)などは、大企業から何らかの業務を受託したスタートアップ側が、何の落ち度もないのに契約上の業務範囲や対価支払の取り決めを無視するような仕打ちがなされているのであれば優越的地位の濫用規制を適用する余地も出てくると思うのだが、現実には、「最初に提案した工程案がラフ過ぎて想定通りには全く進まず債務不履行状態に陥る。それでも、スタートアップの側としては、何としても試作品を納入して実績を作りたいから『とにかく続けさせてくれ』といって身銭を切って履行を続ける」というパターンも結構あるような気がするわけで、個々のケースをしっかり吟味していかないことには何とも言えないところはある。

*2:こういう記事が出てくると、とかくこれに便乗して、「検討開始時から徹底した秘密保持契約書を取り交わそう」とか、「アイデアはすぐさま特許にしなくてはだめだ。コストをかけて保護しよう」という話をする人が出てきがちだし、それにくっつけて「契約は当事務所にお任せを」「特許出願は当事務所にお任せを」という宣伝まで展開されることが多いのだが(そして、それに乗っかるかどうかはそれぞれのスタートアップの経営者の自由だとは思うが)、自分は最初からそっちの方に飛びつくのは、設立初期の会社の資源配分の優先順位の付け方としては決して適切とは言えないのではないかと思っている。

*3:4)などは、あまりに酷い時は特許庁に情報提供を仕掛けたり、「万が一査定が下りても無効審判で潰すぞ!」とアクションをかけて共有特許に持っていく、という対応をしたこともあるが、数で言えばあきらめてもらった方が遥かに多かったはずだ。

*4:ちょっと前までは、流行に乗って「スタートアップ」の会社から公募し、採用した提案が、自社内の研究開発部門が予算に恵まれない中、長年着々と開発を続けてきたサービスとほぼ同じもので、しかもそのスタートアップに投資した金額が、それまで社内の開発に費やした額より多かった、という笑い話もあちこちで耳にした。さすがにここ数か月の状況は、そういった”無駄遣い”をもはや許さない状況になりつつあるが、これまでの例にたがわず、「スタートアップ」ブームにも一種の病理現象のようなところは多分にあった。

*5:これも、個人発明家の一方的な売り込みから、地方の中小企業とのお付き合い的な提携に起因するトラブルまで、先ほどの話とは逆の立場で巻き込まれることは多かったのだが、大概「真似した」と主張されるものの多くは、そういった売り込みや提携がなされるはるか前から別の会社が同じことをやっていたり、社内で検討が進んでいたりするものだったりして、「これは絶対に自分のアイデアに違いない」と思い込んでいる方々との認識のギャップを埋める作業に苦労させられたものだった。

*6:なお、本来この世界は、古今東西、市場に育てられ、淘汰された結果生き残って初めて果実を手に入れることができる、というものなのだから、公取委はともかく、経産省がしゃしゃり出てああだこうだ、と振り付けをしようとすること自体に問題があると思っているし、少なくとも自分の周りで、今きちんと事業を軌道に乗せているスタートアップ経営者の方々は、そんな“庇護”は微塵も期待していないと思うので、「手を加える」こと自体に自分は反対である。

*7:これらの条項が、まさに「イノベーションを阻害する足かせ」に他ならない、という認識は、識見のある方々の間では当然に共有されているはずである。また、スタートアップの手掛けるサービスの中には、まさに他社のプロダクトの「リバースエンジニアリング」からスタートしているものもあったりするわけで、そういった状況も踏まえずに「ボタン」側の視点だけで規制するのは愚の骨頂というほかない。

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