遂に「キャプテン」が戻ってきた!

ここ数日、揉めに揉め倒した感がある東京五輪組織委員会会長の”失言”問題。

連日繰り返される報道と外野の声を見ながら蘇ったのはかれこれもう20年も昔の記憶で、どんなに頑張って文脈を補おうとしてもフォローできないような発言を公の場でしてしまう側も側なら、それを切り取って執拗に報道するメディアもメディア・・・ということで、そこにあったのは非常に既視感のある光景だったわけだが、今回は発言のテーマ、発言者の地位、そしてトップを務める組織が置かれている環境等々、全てが最悪の方に向かっていくことになってしまった。

何といっても、「開催できるかどうか」が最大の焦点になって世界中がざわつき始めている、というのが「東京五輪」を取り巻く今のストレートな状況。さらに、何といっても五輪は世界最大のスポーツイベントだから、それに関連して発信される情報の欧米での伝播度も桁違い。

当の日本国内では、「五輪組織委」と言ってもピンとこない人の方が多いような気がするし、森喜朗という名前を聞いて「元首相」とか「元大物政治家」を想起する人はいても、「五輪」と結びつける人は決して多くはない。

だから今回の失言が出て、批判の嵐が吹き始めた当初も、SNS上で漂っていたのは「ああ、また森さんやらかしたかぁ・・・」くらいの緩い空気感だった。

だが、海外の人々にとって、Mr.Moriは、

The president of the Tokyo 2020 Olympics organising committee

であり、

Tokyo Olympics Chief

である。

一島国の「首相」の肩書など凌駕してしまうようなバリューを持つ肩書に、全世界共通で忌避される「ジェンダー差別」的発言がミックスされれば、日本国内の”プロレス”的な圧とは比較にならないくらいの風が吹くわけで、最後は何ともあっけなく・・・という幕切れとなってしまった。

で、今日の昼になって出てきた記事が既に確報になっているこちらの後任記事。

東京五輪パラリンピック大会組織委員会森喜朗会長(83)は11日、女性蔑視と受け取れる自身の発言を巡り辞任する意向を固めた。国内外での批判の高まりを受けて判断した。森氏は日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84)と会談して後任を打診し、川淵氏は受諾する考えを示した。」(日本経済新聞電子版2021年2月11日12時41分配信)

ご本人にとっても、周囲にとっても「瓢箪から出た駒」みたいな話かもしれないが、個人的には、スポーツ界にとってこれ以上素晴らしい話はないと思っている。

マチュア時代の日本サッカー史に名を刻むフットボーラーであり、1964年東京五輪でもゴールを決めたオリンピアン。

そして、Jリーグ初代チェアマンとして今に続く礎を築き、W杯誘致を実現し、日本サッカー協会の長として一時代を築いたことは記憶にも新しい(といってもサッカー協会の会長を退任したのはもう10年以上も昔のことである)。

2013年に東京での五輪開催が決まり、組織委員長の人選が取りざたされていた時に、スポーツ界の代表を長に据えるならこの人しかいないだろう、と自分は思っていた。

残念ながら、そこで優先されたのは「政治」と「格」で、実際、その後に起きた諸々の混乱を考えると、政治家をあの地位に据えておいたことの意味は十分あったと思うが*1、その後バスケットの世界でも協会改革に尽力し、五輪出場が認められるところまで持っていった、というスポーツ界のカリスマが「選手村村長」でしかない、ということには、ちょっとした寂しさもあった。

だから、こんな形であっても、地元での五輪開催を担う長に川淵氏が就かれた、ということは、この30年、日本サッカー界の成功の歴史を見守り続けてきた者として本当に感慨深いことだし、最大限ポジティブに捉えられるべきことだと思っている。

何かと足を引っ張りたがるメディアは、森会長よりさらに年上の、84歳という年齢や、チェアマン、キャプテン時代の「独裁」のイメージを引っ張り出して既にとやかく言い始めそうな雰囲気はある。「時間との戦い」となっている状況下で、手腕を発揮しようにもできる余地などないんじゃないか、という話も当然ある。

ただ、激情型のように見えて周到、メディアサービスは旺盛だが大事なところでのコメントは固い、というこれまでの川淵氏のスタイルを見る限り、メディアがどれだけ悪意を持って襲い掛かっても、森会長の二の舞になることはないはずだ*2

そして、何事も、森氏が退いた後に全盛期が来る、というのは、これまでの歴史が証明しているわけで*3、自らの進退に焦点を当てることで、「中止にするのどうするの?」的な雰囲気まで一気に吹き飛ばしてしまった森氏の自爆芸(?)と、”美味しいところ”できっちりゴールを決められる元FWとしての川淵氏の才覚がかみ合えば、一時は絶望視すらされていた東京五輪を大成功裡に終わらせることも夢ではなくなるような気がする*4


ちなみに、2008年、川淵氏がまだ日本サッカー協会「キャプテン」だった時代に、日経新聞の「私の履歴書」コーナーに書かれた半生記を見て書いたのが以下のエントリー*5

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

この時点で氏は71歳。確かに半生を振り返っても不思議ではないお歳ではあったし、実際、その年の夏にはサッカー協会の役職も「名誉会長」に退いているのだが、彼の凄いところは、そこからさらに一仕事やっておられるところ*6

50歳代の半ばに差し掛かるくらいまでは社業に邁進され、社内でもそれなりの地位まで確保されていながら、激変期のサッカー界に再び身を投じ、歴史の立役者になる。

普通のサラリーマンならキャリアの終わりを考え始めるタイミングから、二段、いや三段ロケットのような猛烈な推進力で、長く第一線での時間を過ごされた。

最後まで「本領発揮」となるかどうかは分からないが、どうすればこの先の人生を、こんなに面白くすることができるのか、自分にとってもお手本のような方だけに、密やかにあと半年ちょっとの戦いを見守り続けたいと思っている。

*1:もっとも、組織委員長が森氏だったゆえに喧嘩が激しくなった、という一面も少なからずあったような気はする。

*2:自分が知る限り、公になった川淵氏の失言といえば「後任はオシムくらいではなかろうか。当時、全盛期を迎えつつあったオシム・ジェフのファンとしてあの発言の無神経さには正直許しがたいものがあったし、それ以前から決して自分が川淵氏の言動の全てを好意的に見ていたわけではないのだけれど、幾たびもの苦しい時代を超えてJリーグ草創期の「100年の計」が全国各地に根付いている姿をはじめ、川淵氏が残した様々な実績にはただ敬意の念しかない。

*3:小泉政権しかり、議員引退後の自民党政権の繁栄しかり・・・。

*4:「五輪なんてやるな」的な論調をあちこちで見かけることは多いし、自分も1年くらい前まではやらんでいいだろう、と思っていた側だったのだが(仮にやるんだったら、その間は国外に脱出しよう、という準備すらし始めていたところだった)、新型コロナ禍でこの国の先進国としての立ち位置すら揺らいでしまっている今、「ここで五輪ができないようなら、この国に永遠に明日は来ない」というのが率直な思いだけに、今回の川淵氏の起用が起死回生の逆転劇をもたらしてくれることを願ってやまない。

*5:自分の記憶では「つい最近」のことだったのだが、いやはや何とも10年以上も前の話だった・・・。

*6:先ほども触れたように、リーグ分裂で危機に陥っていたバスケットボール協会の改革を請け負ったのは2015年のことで、翌2016年まで協会の会長も務めている。

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