ナイーブ過ぎた迷走の末に。

前会長の辞任からほぼ1週間、様々な迷走の末、事態はようやくこれにて落ち着くことになった。

東京五輪パラリンピック大会組織委員会は18日、女性を蔑視した発言の責任を取って会長を辞任した森喜朗氏の後任を決める理事会を東京都内で開き、五輪相を務めてきた橋本聖子氏を新会長に選出した。」(日本経済新聞2021年2月19日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

この一週間の間、表で裏で、あまり見たくない”雲の上の駆け引き”が繰り広げられていたようだが、自分の関心はその辺にはほとんど向いておらず、むしろ”幻”に終わった「川淵会長案」に対する、日経紙の編集委員たちの嘆きと後悔の吐露に共感するところの方が多かった。

「次期会長に推された川淵三郎氏の人事が白紙に戻ったドタバタ騒ぎでは、報道する側の責任も痛感している。自分も反省しなければならない。11日に川淵氏が森氏からの会長就任の要請を受け入れることを明らかにした時、まるで疑問を持たなかった。84歳という年齢を別にすれば適任だと歓迎していた。リーダーシップや組織運営の実績は申し分ない。批判を浴びて辞任した森氏が決めたのはひっかかるが、川淵氏は森氏の「イエスマン」になるタイプではない。取材したこともあるが、質問すればいくらでも説明を続ける人で、今の組織委の閉鎖的な雰囲気を変えてくれるとも思った。」(日本経済新聞2021年2月17日付朝刊・第39面、北川和徳編集委員「スポーツの力」)

「森会長は川淵三郎氏にバトンを渡そうとした。特に違和感を覚えなかったのは同氏の難局を乗り切る力への期待と、試合の真っ最中に後任を悠長に選んでいる時間はないと思ったからだ。要請に応じる覚悟を示す川淵氏に一抹の不安は感じた。「お客さんがいない試合は味付けのない料理と同じ」が同氏の持論。トップに就けば、無観客を最低線に有観客の大会が開ける道筋をとことん追求するだろう。一方、収束の気配がないコロナ禍にオリパラを敬遠するムードは確実に広がっている。中止の決断が国際オリンピック委員会IOC)から下される可能性もある。そうなったらそこから先は退却戦。それがアグレッシブな川淵氏に似合っているように思えなかった。あえて火中の栗を拾おうとする勇気に尊敬の念を抱きつつ。森会長による後継指名という手法は「密室」との批判を浴び、川淵氏が最終的に辞退したのは残念だった。選考過程の透明性を高めるのは重要だが、選ばれる本人の透明度が高いのも大事だと個人的には思う。問題の在りかを常に明示し、それをどう解決していくか。事前にも事後にも率直に自分の言葉で語れる人が、今こそ必要だろう。」(日本経済新聞2021年2月19日付朝刊・第39面、武智幸徳編集委員「アナザービュー」)

ご本人の資質に関しては、手放しで称賛している北川氏、逆説的な表現ながら「それでもなお」という感を醸し出している武智氏。

自分自身も同じように思っていたから、ということもあるのだが*1、スポーツ報道の現場に関わって来られた記者から次々と出たこのコメントこそ、今回の二転三転した選出劇の一番残念だったところを突いているような気がする。

2006年にやってしまったことと同じような”フライング”を、今度は自分自身の出処進退に関してやってしまった、ということで、もしかするとこれは15年越しの”千葉の呪い”だったのかもしれないが、新会長が決まった今となっても、釈然としない思いは残る。

今回の一連の動きを見る中で、自分がもっとも違和感を抱いたのは、選考過程の「透明性」といった手続的不備を指摘する論調だろうか。

今回の件に限らず、この国では過去にも似たようなことが何度かあったような気がするのだが、日本人はこの種の「透明性」や手続の適正を指摘する意見に対してあまりにナイーブ過ぎる、というのが自分の感想である。

そういうことを言うと、「いや、米国を見ろ、欧州を見ろ、これがグローバルスタンダードだ」と言い出す人も出てきそうなのだが、比較的、多くのポストをオープンに、選挙システムも活用して選んでいるように見える米国ですら、大統領官邸のスタッフの「指名」は完全に大統領周辺の裁量の世界なわけで、それは今回の大統領選後の露骨な「Back to the 2016」人事を見れば明らかだろう*2

欧州に至ってはもっとひどい。

以前、欧州に拠点がある国際的な団体のトップの選任プロセスの一端に触れる機会があったのだが、まぁ実に政治的というか何というか。

「手続の透明性」を求める声は当然上がるが、そういう声が出てくるのは決まって「自分が望む者ではない者が選ばれそうな空気になっている時」である。

そして、そうやって横やりを入れて手続きに時間をかけている間に、諸々根回しをして、ふわりと出てきた意中の候補が支持を集め出した頃に、最初「透明性」を叫んでいた人が「インフォーマルな会合」を提案し、逆に形勢を逆転された側が「いやいやオープンに」と押し返す・・・。

それは、「手続の透明性」なる概念も所詮は政治的駆け引きの道具の一つに過ぎず、時には「ダイバーシティ」すら対立勢力に打ち勝つための道具にされてしまう、という実に愉快ではない経験だった。

それと比べると、日本では「手続きの透明性」というと、金科玉条、何が何でも守らないと怒られるルールのように受け止める人が多いし、だからこそ、「どうしても自分の意に沿う方向に話を進めたい」という人は、表に出さずに水面下でことを進めようとして、その結果、それが明るみになると、”天下の大罪人”であるかのようにバッシングを受けることにもなりかねない。でも、本当に大事なのは、資質のある人が適切な力学の下で選ばれるかどうか、ということで、手続きだけは「透明」化されていても、裏の根回しで変な力が働いている、なんてことになれば(そしてそれはよくあることだったりもする)、世の中にはマイナスにしかならない。

ましてや、今回の話は、公選の対象となるようなポストに就く人を選ぶ、という話では全くなく、一種の行政官と大イベントを運営する「会社」の長の性格を併せ持つポストの人選、という話に過ぎないわけで、それにもかかわらず国内のメディアがこぞって「手続き」の議論に飛びついてしまった、という”浅さ”を見るにつけ、天を仰ぎたい気分になる。


結果だけ見れば、「橋本聖子会長」という人選には、何ら異論のないところだと思う。

「国際的な知名度」がどこまであるか、という素朴な疑問はさておき*3、少なくとも日本国内では「オリンピックを知り尽くしている」という点で、彼女以上に存在感のある元アスリートを探すのはなかなか困難だし*4同時に、浮き沈みの激しい参議院比例代表枠で四半世紀以上も国会議員としての地位を守り続けている、というしたたかさを考えれば、この難局を乗り切るための人材としてはうってつけというべきだろう。

ただ、そこに至るまでの過程で噴出した「手続論」へのナイーブな反応の結果、裏でほくそ笑んでいる者も出ているのではないか、ということに、我々はもっと目を向けるべきではないのかな、と思った次第。

誰にとってもこれは「対岸の火事」ではない、と思うだけに・・・。

*1:遂に「キャプテン」が戻ってきた! - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*2:もちろん、指名された後に議会承認の手続等を経ることで任命手続の正当性を担保している、という点ではきちんとしているのだが、「誰を選ぶか」については閉じられた世界の中で決められているように異国の民には見えてしまう。

*3:競技者としては銅メダル1個だし、関心を持つ人が限られる冬季五輪競技を戦いの場にしていたアスリートだから、全世界が注目する競技のアスリートに比べれば知名度は決して高くないだろうし、引退後も基本的には国内での活動がメインだったから、海外のキーパーソンとのコネクションをどこまで持っているのか?という話になると、いささか首を傾げたくなるところはある。

*4:選手としての出場実績もさることながら、JOC五輪選手団長としての活動でも十分すぎる存在感を示している。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html