突然の別れも一流の証。

誰もが予想していた結末、だがそれは突然訪れた。

プロ野球西武は7日、「平成の怪物」と呼ばれ、日米通算170勝を挙げた松坂大輔投手(40)が今季限りで現役引退すると発表した。」(日本経済新聞2021年7月7日付夕刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

プロ23年目、七夕の朝。

プロ野球のシーズンは、折り返し地点に向かってまさに前半戦の佳境。新型コロナ禍下とは言えど、高校球児たちにとってもこれからがまさに夏本番。

そんな一番ワクワクする季節に流れたニュースがこれか・・・と。

「時期」という点に関して言えば、2年前、上原投手がシーズン開幕早々の5月に引退を表明した、という出来事はあったし*1、同じ年、イチロー選手が引退を発表したのは開幕2戦目。

だから一流選手のシーズン途中での引退発表自体は最近では決して珍しいことではないのだが、今回の発表が異例なのは、シーズンに入ってからユニフォームを着て投げる姿を一度も見せないまま、「本人不在」の状況でこの日の発表に至ったということ。

自分はたまたま、サジェストされた文春オンラインの記事*2を昨日目にして、「日本球界屈指の功労者に向かって何て酷い記事書きやがるんだ・・・」と強い腹立たしさを感じたのだが、それから数時間後に流れた「引退」のニュースと、

「大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況。体調面、精神面が回復した段階で会見という形で、本人から気持ちを話すことができると思う。」(同上)

という渡辺久信GMの異例のコメントに接して、いろいろと想像が膨らんでしまったところもあった。

一時代を築いたスターに常に美しい花道が用意されるわけではない。そんなことは重々分かっていても、この終わり方はあまりに切なすぎる・・・。


松坂選手が甲子園を沸かせたのは、もう四半世紀近く前のことになるわけで、時代を彩り続けた「松坂世代」も、今現役で残っているのはソフトバンク和田毅投手だけ、ということになってしまっているから*3、今日の報を聞いて「早すぎる引退」という人はおそらくいないだろう。

ただ一方で、プロ23年で残された日米通算170勝、という記録が、松坂大輔、という稀代のスターにふさわしいものかどうか、といえば、これまた首を傾げる人は多いかもしれない。

誰もが羨む天賦の才能に底なしのスタミナ、そして世の中のありとあらゆる幸運を呼び込む強靭な精神力。

社会人生活のスタートを切ってから無為かつ自堕落な日々を過ごしていた自分にとって、延長17回の死闘を一人で投げ抜き、さらに次の日、「たった1イニング」なれど奇跡の登板を果たして大逆転劇を呼び込んだ彼の姿は、年下とはいえ眩しすぎた*4

プロに入ればデビュー戦から荒ぶる強打者たちを撫で斬って堂々の初勝利。イチローまでやっつけて「確信」を唱え、終わってみればタイトルを総なめ。元々自分の3倍以上はあった年俸が、一瞬にして30倍以上、異次元の桁に乗っていく様を見たら、ただただ唖然とするほかなかった。

自分の好みだった野茂英雄投手や上原浩治投手のようなストイックさは感じられないし、当時一世を風靡していたジョニーこと黒木知宏投手のような熱量を感じさせるわけでもない。

だから、決して好きなタイプの選手ではなかったし、彼の選手の名声が高まれば高まるほど、「いくら勝ってもチームは日本一になれないじゃねーか」とか、「国際大会になると勝負弱いじゃねーか」等々、ひそかに悪態をついていたのであるが、前者に関しては2004年のシーズンにきっちり結果を出したし、後者に関しては2度のWBCでの活躍が五輪での惜敗史を全て帳消しにした。

超高額のポスティング移籍で、「高い買い物だと叩かれないか?」と心配しても強豪・レッドソックスできっちりローテーションを守って結果を出す。

2009年春、2度目のWBCで頂点を掴んだあたりまでは、まさに黄金に彩られた道を歩んでいたのが松坂大輔という選手だった。

逆に言えば、そこからは下り坂。

度重なる故障を経て、レッドソックスからメッツへと渡り歩く過程で時々流れてくる試合映像を見て、ピッチングフォームのあまりの変わりぶりに愕然とさせられたこともあったし、ソフトバンクでのあまりに残念過ぎる3シーズンも黒歴史といえば黒歴史

だが、リトルリーグ時代から将来を嘱望され、甲子園で一世を風靡した選手たちの多くがプロに入って5年、10年持たずに消えて行ってしまう中、それでもなお20年を超えて現役選手として注目され続けた、ということ自体に大きな価値があったのではなかろうか。

実質的には最後のシーズンとなってしまった2018年、ドラゴンズで6勝を挙げてカムバック賞を獲得した頃には、自分も素直に彼を応援していた。


「残り30勝」で歴史に名を刻めなかったことは、今振り返ると惜しい。

プロ入り後、2度の五輪、2度のWBCで”皆勤”していなければ、米国にいる間に達成できていた記録だったと思うから。

さらに言えば、今の大谷選手の活躍を見るにつけ、もしあの時代に「二刀流」が許容されていたら・・・と思わずにもいられない。

強打者揃いの横浜高校で4番を打ち、甲子園では杉内投手をも打ち砕いた打棒。

せめて98年のドラフトで、彼がセ・リーグの球団に指名されていたら、あるいは交流試合がもっと早く始まっていたら、「二刀流」の時代は10年以上早く幕を開けていたかもしれない。

でも、そんな”if”が次々と出てくるのも、松坂大輔という選手が傑出していたことの証。

最後は「ユニフォームを着ていなくても注目されてしまう」という一時代を築いた者にしか与えられない”特権”が、引き際を乱してしまったように思えるところもあるのだけれど、だからといって彼がこれまで築いてきた実績が失われるわけでも、日本の野球界への功績が色あせるわけでもないのだから、いつか本人が全てを語る日がめぐってくるまで、You Tubeで懐かしい映像を見て改めて仰天しつつ、稀代の大スターを改めて、心の底から称えたいと思っている。

*1:「魂」は燃え尽きたのか? - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*2:年俸2000万円で登板なし 西武・松坂大輔が“行方不明”に…いま何をしているのか? | 文春オンライン

*3:2年前までは、あの藤川球児投手をはじめ、5選手が最後の灯を燃やしていたのだが(「松坂世代」最終章の逆転劇 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~)、昨シーズン終了後、藤川投手と楽天の2選手が引退したことで名実ともに和田投手が”ラスト・サムライ”となってしまった。

*4:準決勝の試合のあまりの壮絶さゆえ、翌日休みだったにもかかわらず決勝戦の存在をすっかり失念し、さらに「ノーヒットノーラン」という衝撃的な結果を聞いてさらに仰天した・・・そんな夏だった。

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