1か月近く、メディアの格好のネタになり続けた自民党総裁選が終わり、第100代首相が間もなく誕生しようとしている。
自分は、出揃った立候補者の顔ぶれを見た時に、総理の座にふさわしいのは最初から1人しかいないと思っていたし、世論がどれだけ「太郎」に熱い声援を送ろうが、国政に責任を持つ最大与党の数百人の議員が集まってそんな選択をするはずはない、ということはハナから分かっていたような気がする。
各地方の党員投票の結果と、議員の投票行動が一致していないのがどうなんだ、という声は出てはいるが、「党員」といっても地縁や職域で名前を貸しているだけ、という人も多いから、その投票行動なんて世論調査のサンプルになっている無党派層のそれ、と大して変わらない。かくいう自分も、管理職以上はいつのまにか党員になって毎年4,000円請求される、という理不尽な環境に長年身を置いていて、実際「党員」として総裁選の投票をしたこともあるが、その間、国政・地方を通じても自民党の候補者に投票したことは一度もない。
要するに、党員投票の結果は、自民党支持者や、選挙のたびに投票行動を変えるけど気が向けば自民党に投票すること自体には抵抗がない、という層が選挙の「顔」として支持するかどうかとも決して整合はしないわけで、その意味で、実績も格も党内の支持基盤も、そして何より情緒の安定も、他の候補と比べれば一枚も二枚も上な宏池会の会長をここで選ばない理由はなかっただろうと思う*1。
もちろん、自分が世の中のムードに反して(?)こういうことを言うのは、リベラルな思想然り、財政規律重視の姿勢然り、時には”公家”と揶揄されても票集めより天下国家を論じる方を重んじる(これはあくまでイメージ)的な、伝統的な宏池会の「保守本流」路線こそがあの政党の数少ない良心だと思っているからで*2、特に、かれこれ10年近く、「もう食べられません、お腹いっぱいです。」というくらい規律なき「成長戦略」を食わされ続けてきた今、今回の選択こそが、劇薬を飲まずに口直しをするにはここに戻るしかない、というものだったと思うからに他ならない。
もちろん、理想的な政策を追求する政治家が長期政権を担えるわけではない、というのはこれまでの歴史が証明していることで、間近に迫る選挙を控えて、とかく”盛り上げ”を狙うメディアは、「顔が見えない」とか「リーダーシップが・・・」とか、あらゆるところでバッシングを仕掛けるタイミングを狙っていることだろう*3。
仮に目の前の選挙を切り抜けたとしても、その後に待っているのは新型コロナの波の再リバウンドと、世の中の変化に伴う企業倒産ラッシュで、その対処もどうやったところで叩かれる。
そして何より、もっとも残念なのは党幹部人事から閣僚の顔ぶれまで、「勝利後」に流れてくるニュースを見るたびに、”宏池会色”の出しにくさが際立ってきていること。
源流が同じ麻生派からの起用はまだ分かるにしても*4、本来なら毛色の違う政策集団から党、内閣の要職に次々と人が送り込まれてくるのを見ると、何だかなぁ・・・という感想しか出てこない。
「今は大事な時だ、派閥争いなんてしてる場合じゃない」と言われればその通りなのだろうし、それがまさに新総裁が支持を集められた理由だから、選出された途端に自分の色を強く出す、ということができないのも分かってはいるのだけど、その結果、経年劣化して破綻しかかっている従来の政策が看板の掛け替えだけで生き残るようだと、だんだん政権の維持もおぼつかなくなってくるし、何よりもそれが国の利益に添うことなのかと・・・。
船出は多難、一難乗り切ってもさらに難局続き・・・という状況が予想される中で、新首相が自分のカラーを出せる日が来るのかどうかわからないが、まずは、やみくもに「成長」を叫ばないこと。何でもかんでも適当に「改革」のラベルを貼るのをやめること。そして本当に手当てを講じなければいけないところ、救済しなければいけない人々とモノに対して集中的に行政と立法のリソースを割くこと。それだけは何とか・・・と今は願うばかりである。