「経済安全保障」がバズワードになる前に。

長い長い「安倍・菅時代」が終わり、様々な動きが取りざたされた一週間だったが、組閣の過程等でもキーワードとしてチラホラ出ていたのが、

「経済安全保障」

という言葉である。

これまでも、特定の政策に関して断片的に耳にする機会はあったフレーズだが、その政策自体は正直首を傾げたくなるような代物だったので、これまで、この言葉自体にはあまり良い印象は持っていなかった。

だが、総理も変わり、甘利新幹事長肝入りの政策としてこれから大々的に展開されていくとなれば、完全にスルーするわけにもいかんだろう、ということで、自民党内でこれまでにまとめられたペーパーにざっと目を通して見た。

■提言「経済安全保障戦略」の策定に向けて(令和2年12月16日)
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/201021_1.pdf

■新国際秩序創造戦略本部 中間とりまとめ(令和3年5月27日)
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/201648_1.pdf

「新国際秩序創造戦略本部」という時代がかった名称はいかにもかの党らしい、と言えばそれまでだし、大きく振りかぶり過ぎて少々筆が滑り過ぎているように見えるところもいつもながらだな*1、と思うところもあるが、そういった点を脇に置けば、大枠の問題意識としてはまぁ理解できるな、というのが読後の感想である。

令和3年中間とりまとめの冒頭に書かれている、

「近年、経済活動が国境を越えて活発化する中で、わが国も政府を挙げてグローバル化を推進してきた。しかし、特定国の急速な台頭や国際経済構造の急激な変化に国家として機敏に対応できず、その結果として、国家の生存と繁栄の基盤を他国に過度に依存するリスクや、他国主導の国際的なルール形成に起因する国益毀損のリスクに正面から向き合わざるを得ない状況に追い込まれつつある。」(中間とりまとめ・4頁、強調筆者、以下同じ。)

という一節は、文書の性質上、「国家」を対象として書かれているものの、「国」を「企業」に置き換えれば、ほとんどのトラディッショナルな日本企業にも全く同じことがあてはまるはずだ

やれ成長だ、やれ海外進出だ、日本の素晴らしい技術とサービスを世界に、等々煽られて日本の外に出たものの、気が付けば、海外市場で通用するものはほとんどなく、むしろ自国が”戦略なき周回遅れ”に陥っていることに気付かされる、という苦い記憶はまだ自分にも生々しく残っているだけに、これまでのような能天気な”日本万歳”思想ではなく、今、この国とこの国のビジネス主体が直面している厳しい現実を直視して政策に落とし込もう、という姿勢自体は評価されるべきだと思う。

ここで、令和2年12月の提言の冒頭に書かれている、

「近年は、経済的手段をもって自国の意向を他国に押しつけたり、更には自国に有利な形で既存の国際秩序を作り替えようとする国も現れている。」(提言1頁)

「最近では国家の生存の基盤をなす分野が資源のみならず、特定の製造能力や技術、さらにはデジタルトランスフォーメーション(DX)が進む中でサイバー空間にまで広がっている。かかる状況において、国家の独立、生存及び繁栄を確保し、また、自由や民主主義、基本的人権の尊重といった普遍的価値やルールに基づく秩序を維持し、同盟国やこれらの規範を擁護しようとする同志国と連携していくためには、より高次の戦略的思想が必要とされる。」(提言1頁)

といった表現をみれば、これらの格調高い提言の背景で意識されているのが隣の国だということはかなりあからさまになっているから、「なんだ、米中間経済紛争の一方に追随しようとする発想か」と白ける人も多いのかもしれないが、冷静に考えれば、EUなどはまさしく長年「経済的手段をもって自国の意向を他国に押しつけたり、更には自国に有利な形で既存の国際秩序を作り替えようとする」発想で日本企業にも接してきているし、おそらく提言では「同盟国」という前提になっている米国ですら、やっていることは実のところ”仮想敵国”とほとんど変わらないのでは、と思わされることは多い。

そう考えると、

「国民生活や経済運営を守るためには、その基盤を改めて見直し、どこにネックがあるのかを冷徹に見極め、平時において代替性等を高める努力を尽くし、有事においてもこれを担保できるようにしておかなければならない。」(提言1頁)

という提言の基本姿勢には何ら異論はないし、令和2年提言で「重点的に取り組むべき課題と対策」として取り上げられている16項目のうち、

(1)資源・エネルギーの確保
(2)海洋開発
(3)食料安全保障の強化
(4)金融インフラの整備
(5)情報通信インフラの整備
(7)サイバーセキュリティの強化
(9)サプライチェーンの多元化・強靭化
(10)わが国の技術優越の確保・維持
(11)イノベーション力の向上
(16)経済インテリジェンス能力の強化

といった点に関しては、総論としては、まぁその通りだろうな、と思いながら読んだところでもある*2

もちろん、様々な立場の関係者が、様々な思惑を持って、自分たちの支持母体に都合の良いことを押し込もうとするのもこの種の提言の常だから、放っておくと関係ないトピックまでどんどん詰め込まれていくことになるし、専ら「戦略的自律性の確保」*3に焦点を当てた現在の「中間とりまとめ」ですら「新型コロナ感染症対策として運送事業者に対して資金繰り支援の取組み継続」のような話が混じってきてしまうのだから、これを「戦略的不可欠性の維持・強化・獲得」*4の話にまで広げてしまうと、ありとあらゆる業界団体の駆け込み寺になって収拾がつかなくなるような気がしなくもない。

さらに言えば、提言の背景として、

「変化に富み、先を見通すことが困難な世の中にあって、国民にとっての予見可能性を高め、更なる挑戦を後押しするためにも、国家としての方針と時間軸を示す必要がある」(令和2年提言・2頁)

という”あくまで介入ではなくバックアップのための施策”というスタンスが示されながらも、具体論(令和3年中間とりまとめ)の段階になってくると、政府、官庁にああせい、こうせい、と言う話だけではなく、事業者(民間企業)に対しても取り組みを求めるような話がチラホラ出てくる。

実際、かなり力を込めて書かれている「クラウドサービス」の話にしても、今後分析を進めるとされている「サプライチェーン」の話にしても、各企業の事業戦略と密接にかかわる話であることは間違いなく、「戦略基盤産業」と認定されてしまうことでいずれ何らかの形で”しわ寄せ”が来るのではないか、という危機感を既に抱いている事業者がいても不思議ではない。

ここ数年の間に、一時は国境など吹き飛ばす勢いでボーダーレス化が進んでいた各産業のサプライチェーンやICTプラットフォームを、自国の利益のために囲い込み、利用しようとしている動きも現に出てきていることを考えれば、ある程度「保守的」な方向の政策を打ち出さないといけない、ということは理解できるのだが、一方で、今の約200の主権国家で成り立つ世界の仕組みが未来永劫続く、と考えるのも一面的な見方に過ぎるわけで、「わが国」を主語とした施策がどれほどの意味を持つのか、ということについても、今後数年の間にまた大きく様相が変わる必要はある、ということは常に心に留めておく必要があるように思う*5

なお、各論についてはまだまだこれから、という状況ではあるのだが、こと法務的な観点でいえば、「令和3年中間とりまとめ」の中でかなり強調されている「データ利活用のルール整備」「技術情報の流出防止」にかかる法規制や運用ルールがどうなっていくか、という点が気になるところではある。

また、「特許の公開制度の在り方」に関しては、今の時点でもかなり詳しく取り上げられており、

「特許の公開制度について、各国の特許制度のあり方も念頭に置き、イノベーションの促進と両立させつつ、安全保障上の観点から、極めて限定された形で、上記の非公開化を行うための所要の措置を講ずるべく検討を進め、必要な法的整備を早急に行うべきである。その際、特許非公開化の審査の過程においては、特許庁のみならず、各関係府省庁がそれぞれ責任を分担しつつ連携する仕組みを構築すべきである。」(中間とりまとめ・21~22頁)

とまとめられているため、これはちょっと大変そうだな・・・という気配しかしないのだが、ここで念頭に置かれている「秘密特許制度」を導入することの問題点については、東大未来ビジョン研究センターの渡部俊也教授がコメントされているとおりであり、軽々に今の特許制度にこの思想をぶち込むことには慎重な検討がなされる必要があると思われる*6
www.sankeibiz.jp

ということで、選挙の争点にするにはやや難解で、一般メディアで取り上げて解説するにも馴染まなそうなこの「経済安全保障」というテーマが、今後どこまで盛り上がるのかは分からないが、

ロクロク議論されないまま施策だけが先走るのが一番怖い。

ということで、多少はバズワードになってくれることを願いつつ、丁寧な議論の下、的確に施策が進められることを期待して、ひとまずは筆をおくことにしたい。

*1:これはかつて日本版フェアユースが議論されていた頃の知的財産戦略調査会のペーパーなどを見ながら感じていたことでもある。

*2:令和3年中間まとめでは、「エネルギー」についてさらに踏み込み、2030年、2050年の電力需要量について「省エネ等に係る技術革新が十分には進まない悲観シナリオも念頭に、様々な前提を置いた複数シナリオに基づく見積もりを行うこと」ということも書かれており、EUに追従しすぎた環境政策に対する経産族系のさや当てだなぁ・・・と感じつつも、書かれていることはその通りだろう、と思うところはある。

*3:これらの提言では、「社会経済活動の維持に不可欠な基盤を強靭化することにより、いかなる状況の下でも他国に過度に依存することなく、国民生活の持続と正常な経済運営を実現すること」と定義されており、対象として意識されている業界(「戦略基盤産業」と定義されている)はエネルギー、情報通信、交通・海上物流、金融、医療で、それ自体には大きな異論はないところだと思われる。

*4:これらの提言では、「国際社会全体の産業構造の中で、わが国の存在が国際社会にとって不可欠であるような分野を戦略的に拡大していくことにより、わが国の長期的・持続的な繁栄及び国家の安全を確保すること」と定義されている。

*5:ついこの前まで世界中で一元的な繁栄を謳歌していたアップルやGoogleアイデンティティが「米国の企業」というものだったのか、ということは個人的には疑問に思っているし、いまや”官製”の色を強めつつある中国の企業ですら、一部のIT企業は国家の軛から飛び出そうとする動きを見せていた(だからこそ当局に全力で叩かれることになったわけだが・・・)。「経済安全保障」の名の下に産業支援策とセットで国内に囲い込んだ結果、次に潮目が変わった瞬間にはさらに絶望的な差を付けられていた、ということにならない保証はどこにもない。仮に今後2,3年、日本の産業政策がこの提言の影響を受け続けるとしても、未来ある企業の経営者には、長期的視点に立って、果敢に”面従腹背”する度量が求められるのではないかな、と思うところである。

*6:なお、渡部教授と一橋大学の吉岡(小林)徹講師によるワーキング・ペーパーでより丁寧な論証がなされているので、関心のある方にはご一読いただくことをお薦めしたい。ifi.u-tokyo.ac.jp

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