そして遂に優勝旗は白河の関を超えた。

何度かの休養日も挟み、昔に比べると長い間続いていた気がする夏の高校野球全国大会。

甲子園に観衆が戻り、例年以上に実力の伯仲した戦いが人々を惹きつけ、そして最後に優勝旗は白河の関を超えた

これまで夏になると、「白河の関」というフレーズが呪文のように連呼され、お約束のように「今回も夢破れる」という言葉で締めくくられて終わり、というパターンが何度となく繰り返されてきた。

100年以上前の第1回大会、秋田中の準優勝から続く”東北の悲劇”の系譜。

かつては存在したかもしれない”地域差による絶望的なギャップ”は、力のある球児たちが高校入学時点で土地に縛られることなく全国に散らばっていくようになった今の時代にはもうほとんど感じられない。

特にこの10年ちょっとの間には、青森から光星学院が2年連続(春の選抜も含めれば3季連続)決勝まで勝ち上がる奮闘を見せたかと思えば、その3年後に仙台育英が決勝に、さらにその3年後には秋田代表・金足農業が決勝に・・・とコンスタントに優勝争いに絡むようになっていて、最近めっきり優勝旗に絡めなくなった九州勢と比べるとはるかに勢いのある地域になりつつあった。

そもそも地理的な影響、ということで言えば、優勝旗は白河の遥か北、津軽海峡を越えて18年前にはもう北の大地に辿り着いているのだから、頂点まで辿り着くのも、もう時間の問題といえばそれまでだったといえるだろう。

今大会でも東北勢はこれまで以上に好調で、一関学院が初戦で昨年ベスト4の京都国際を破ったのを皮切りに、八戸学院光星、鶴岡東、聖光学院といったチームが次々と初戦を突破。特に日大三高、横浜高といった関東の強豪を次々と撃破した聖光学院などは、準決勝で仙台育英とぶつかるのが惜しいくらいの大躍進を遂げていた。

個人的な記憶を辿れば、本当の意味で”ちゃんと見始めた”最初の夏の甲子園大会の決勝戦が、仙台育英対帝京だったりもするから*1、あれから30年以上の時を経て、あの時無念の涙を流した学校が頂点に立った、ということが非常に感慨深いことだったりもする*2

あれから、特に理由もなく、最初は縁もゆかりもなかった東北エリアのチームを何となく応援するようになり、やがて社会に出て、地方には地方の複雑な事情があることを知っても*3、「東北代表」が大阪や関東の強豪校と対戦するときは必ず前者を応援する、というルーティンだけは守ってきた。

今回の優勝に際してあまり報じられてはいないが、今大会で優勝した学校は、まだ記憶に新しい5年前、部員の不祥事で重い対外試合禁止処分を科され、長年名将と謳われていた佐々木順一朗監督辞任、という激震にも見舞われている。

だが、そのタイミングで就任した若き須江航監督が、コロナ禍を挟み、4年の時をかけてチームを作り上げて頂点に立たせたというのだから、これをドラマチックな”逆転劇”と言わずに何というか。


今後は、地域を問わず同じようなパターンで勝ち上がるチームが出てくるたびに「仙台育英的な戦略」というラベリングがなされる可能性は高いだろうし、そうやって甲子園の歴史にしばらく名を刻めるのであれば、それが何よりのことでもある。

そしてそれ以上に、今回、最初の一校が「関所」を突き破ったことで、後に続く東北勢が次々と出てくる可能性もあるんじゃないか、ということを秘かに信じて、またこれから始まる新しいシーズンを見守っていければ、と思っているところである。

*1:もちろんそれ以前に校歌を歌えるようになるくらいPL学園の試合にくぎ付けになっていた時代もあったりはしたが・・・。

*2:今、Wikipediaで調べて、あの大会の仙台育英宮城県勢初の決勝進出校だった、ということを知り、ちょっとびっくりしたところもあるのだが・・・。

*3:端的に言えば、全国レベルの大会に出れば”判官贔屓”のファンから声援を送られるような有名私立校が、地区予選では地元のファンから完全に「ヒール」扱いされていたり・・・といった事情である。

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