蒼国来関解雇無効事件が示唆する「事実調査」の怖さと難しさ。

東京地裁で3月25日に出された解雇無効判決で、前代未聞の“土俵復帰”なるか、が注目されていた蒼国来関が、遂に夏場所で復帰することが確定した。

通常は、“地獄の果てまで”のコースになることが多い解雇無効訴訟だが、本件に関しては、(後にひっくり返ることも稀ではないとはいえ)仮処分の段階から元力士側の疎明は一応認められていた事案だったことや、本人のみならず、親方までもが一貫して「潔白」を訴え続けていたこと*1などから、相撲協会側も↓の記事のとおり、観念したようである。

日本相撲協会は3日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、八百長問題で解雇した元幕内・蒼国来関(29)=本名・恩和図布新、中国出身=の解雇処分を無効とした東京地裁の判決について、控訴しないことを決めた。判決を覆すだけの証拠が乏しいと判断した。力士として復帰することを認め、今後、当時の八百長調査が適正だったかについて検証する」(日本経済新聞2013年4月4日付朝刊・第35面)

様々な大相撲不祥事の最後を飾るかのように、2年前のちょうど今頃、“八百長疑惑”の嵐が吹き荒れていたことは、未だに記憶に新しい。
そして、あの時は、散々“不祥事”が続いた後で、大相撲に対する逆風がピークに近い状態だったうえに、暴露されたメールの内容のインパクト(「流れで・・・」等々)もかなり強かったこともあって、名前が挙がった力士たちが次々と引退勧告→引退の道を辿っていくことに、疑問を投げかける声はほぼ皆無に等しかった。

だが、あれから2年経ち、法廷での争いを経て発覚したのは、宗像紀夫・元東京地検特捜部長が「こんなに薄い証拠で処分していいのか」とコメントするような状況で、一連の処分が行われたという事実である。

“完全なる成果主義”、それも取組みの勝敗、という不透明な基準が入り込む余地のない基準で、地位が決まっていく世界だけに、通常のサラリーマンや団体競技のアスリートとは違って、ひとたび復帰が決まれば、後は元通りになるのにそんなに時間がかからない*2、と思われる世界だけに、早期に決着がついたのが何より、というところではあるが、それでも「2年」という歳月は決して軽いものではないだろう。

*1:この点は同じく八百長疑惑での解雇無効を争っていた星風関とは、事情が異なるようである。

*2:とはいえ、スポンサーの関係にはかなり影響するだろうし、ファンがどういう反応を示すのか、ということも、蓋を開けてみるまでは分からないところではあるが・・・。

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“就職活動さらに繰り下げ”論の愚かさ。

毎年、この時期になると、“就職活動”の是非をめぐる議論が湧き立つものだが、そんな中、日経紙に驚くべき記事が載っていた。

「政府は企業による大学生の採用活動の解禁時期を遅らせ、大学4年生の4月にするよう経済界に検討を促す方針を固めた。現在の大学3年生の12月解禁から4か月後ろ倒しを要請する。学生が学業に専念する期間が延びるほか、海外で学ぶ留学生の就職活動の幅が広がる。2015年春卒業予定の学生の就職活動からの適用を目指す。」(日本経済新聞2013年3月15日付け朝刊・第1面)

こういった動きが出てくる背景に何があるのか、自分には知る余地もない。

もしかしたら、教室に少しでも学生をつなぎとめたい大学関係者の入れ知恵があったのかもしれないし、「採用活動の長期化」を密かに負担に思っている企業側からこっそり働きかけている可能性も否定はできない*1

だが、この点については、過去のエントリーにも書いたとおり*2、「就職活動時期を一律に繰り下げることを企業に(半ば)強制する」ことには、百害あって一利なし、だと自分は思っている。

これまでの記事との重複を避けるために、(競馬ファンにとってだけw)分かりやすい喩えで表すならば、「学生を学業に専念させるために就職活動の時期を繰り下げる」というのは、

「若駒にじっくりと育成調教する暇を与えるために、新馬戦の開始時期を3歳3月まで繰り下げる」

ようなもの*3

そうでなくても、G1級のレース出走をにらんだ、スタンダードな条件の新馬戦には出走希望馬が殺到し、抽選除外で思うように出走すら叶わない状況がある中で、“解禁”時期を一斉に後ろ倒しにしたら、限られた出走可能頭数の枠に大量の若駒たちが殺到し、満足にレースに出ることすらできないまま消えていく馬を大量に出すだけ・・・ということになってしまうのは、火を見るより明らかだ。

いくら一生懸命調教を積んだところで、それをレースで生かすことができなければ、無駄な筋肉を付けるだけ。

学生の採用選考についても、これとまったく同じことが言えるわけで、大学生がまだ“少数エリート”の地位を辛うじて保っていた20年前ならともかく*4、同世代の就職希望者のほとんどが“大卒採用枠”の中で競い合う今、就職活動期間を短縮したら、「説明会」から「グループ面接」、「1対1面接」、「役員面接」といったプロセスを平日も休日も、朝も昼も夜もないスケジュールで一気にこなす羽目に陥ることになり、それこそ大学4年の夏学期などは、学校に足を運ぶどころではなくなってしまうだろう。

しかも、そんな過密なスケジュールの中では、肝心の企業サイドの人間の話を聞き、じっくりと“この会社・業界は自分に合っているのだろうか”といったことを検討するような暇もほとんど得られそうにない。

その代わりに「学業に専念できる」から、学生にとってはいいことなのだ、という御仁も中にはいらっしゃるのかもしれないが、学問だけで身を立てられるごく僅かの人々を除けば、「いかに学業を極めたところで、それを通じて身に付けたものを世の中で生かす機会がなければ意味がない」わけで、多くの学生にとって世の中に出るためのもっとも重要なステップとなる就職活動を犠牲にしてまで学業を優先させなければならない、というのは、それこそ本末転倒の議論だと思う。

*1:記事にもある通り、経済界は表向きは“反発”するだろうが(そもそも政府が口を出すのがおかしな話なので・・・)、会社にとっても、長期間“採用に向けたアンテナを立て続ける”負担は大きいのは事実で、黙ってても入社志望者が集まるような(そしてOBを通じたルートで優秀な志望者を押さえられるような)ネームバリューのある大企業の中には、かつてのような“短期集中”型の採用活動にしてくれた方がむしろありがたい、という感覚も根強いのではないかと思う。

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110113/1295165433http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20101119/1291566071など。

*3:補足すると、現在、新馬戦の開始時期は2歳の6月くらいからで、そこから3歳の春くらいまで、それぞれの馬の育成過程に応じて、ある程度の幅を持ってデビュー戦の時期を選べるようになっている。ただし、クラシックレースに出ようと思ったらそれなりのステップを踏む必要があるし、3歳の秋までに未勝利戦を勝ちあがらないと、その後の出走機会がほとんどなくなってしまうので、そこから逆算してレース選択をする必要はあるが。

*4:あの頃は、水面下で大企業の採用選考が行われ、解禁日に一斉内定、というのが、当たり前の慣行だった。

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「準正社員」というと聞こえは良いが・・・。

日経紙の一面に、「準正社員」という聞きなれないフレーズとともに、以下のような記事が掲載されている。

「政府は職種や勤務地を限定した『準正社員』の雇用ルールをつくる。15日に開く産業競争力会議で提案し、6月にまとめる成長戦略の柱とする。職種転換や転勤を伴わない分、企業は賃金を抑え、事業所の閉鎖時に解雇しやすい面がある。労働者は人生設計にあった働き方の選択肢が増える。人材移動を促して産業構造の転換に柔軟に対応できるようにし、日本経済の底上げにつながる。」(日本経済新聞2013年3月14日付け朝刊・第1面)

まるで、経●連の政策提言ペーパーを引き写しにしたような口当たりのいい言葉が躍るが、要するにこれって所詮は、労働契約法が改正されたことで、有期雇用契約社員の「2018年問題」が生じることに備えた“先取り”策に過ぎないよなぁ・・・というのが、直感的な印象である。

契約社員」のカテゴリーに属する限り、通算5年を超える前にきっちり雇い止めする、という割り切りができる会社は良いが、人材確保に苦心する会社の多くは、優秀な有期契約社員の契約更新を無限に繰り返しているのが実情。ゆえに、5年経過して無期転換権を行使された場合にどういう“受け皿”を用意するか、というのが、現在、人事労務業界の最大の関心事となっている。

そんな中、「企業が正社員とパートの中間的な位置づけで地域や職種を限定した準正社員を雇いやすくするよう政府が雇用ルールをつくる」というのが本当なら、業界にとってはまさに渡りに船*1、ということになる。

「自分が身に付けた技量を、慣れ親しんだ職場で少しでも長く発揮し続けたい」というのは、働く側にとっても重要なニーズだと思うし、奇しくも同日の紙面で、裁判所に「違法」判断を受けたと報じられているマツダの「サポート社員制度」のような歪んだ雇用慣行(?)に企業を走らせるくらいなら、多少なりとも身分の安定性が保障される「準正社員」制度を検討することも、一概に悪いこととは言えないのだろうけど・・・

*1:「雇用ルールを作る」といっても、いったい何をするつもりなのか、労働契約法をさらに手直しして、解雇権濫用法理の例外規定を設ける、ということなのか、それとも「パートタイム労働法」的な特別立法をするつもりなのか、それとも単なるガイドラインレベルでルールメイクするのか、記事を読んだだけではさっぱりわからないのではあるが・・・。

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アルジェリアの悲劇はこの国に何をもたらすか?

最初の一報と、その後の「制圧作戦」のニュースを聞いた時に、皆薄々と感じていたことだろうが、今日になって、とうとう「アルジェリアの日本駐在員7名死亡」という悲しい知らせを聞くことになってしまった。

なんだかんだ言って“平和な国、日本”に生きてきた我々が、欧州列強やイスラム原理主義者との闘いを通じて培われたアルジェリア指導層のリアリズムを真の意味で理解することは難しいし、同国政府の“選択”を、今、批判すべきでもないと思う。

ただ、やはり、これだけ多くの日本人が犠牲になった、という事実は重い。
そして、この重大な危機に直面して、情報収集という観点からも、現地政府に対する慎重行動の要請、という観点からも、この国の政府がほとんど何もできなかった、という事実も、それと同じくらい重いことだと自分は思っている。

一般の日本人には馴染みが薄い土地での出来事で、世論の関心がそんなに盛り上がらなかった*1ことに加え、政権が発足したばかりで、まだ“ご祝儀ムード”が残っていたことも、今の首相には幸いした、というべきなのかもしれないが*2、ここ数日の一連の報道と、ニュース番組の中でのその位置づけを見ていると、色々と引っかかることも多かった。


うがった見方をするならば、猫も杓子も「グローバル化」を唱え、そんなに外国に行きたいとも思っていない若手世代に海外に出ることを強要する風潮が強い、というのが、悲しい哉今の日本の実態だけに、そんな動きに水を差すようなニュースを大々的に報じることを、ためらったという面もあったのかもしれない*3

だが、この話を日本の中で大きく取り上げようが、取り上げまいが、日本企業が世界の隅々に活動圏を広げれば広げるほど、こういったリスクが増える、という事実に変わりはない。

*1:むしろ、桜宮高校の“体罰自殺”とその後の入試中止問題の方が、国内におけるメディア占有率は高かった。こちらも、生徒が1名亡くなっている話だから、決して軽く考えるべきことではないが、本来であれば、アルジェリアの話の方にニュースの主役を譲るべきネタだったはずで、大手メディアの情報の取捨選択のあり方には、ちょっと疑問も残ったところである。

*2:もし、同じ事件がついこの前までの民主党政権下、あるいは、数年後の自民党政権下で起きていたら、今頃、「責任とれ」の大合唱が起きていたかもしれない、ということは容易に想像できるところであろう。

*3:もちろん、純粋に情報がなくて記事が書けなかった、ということもあるだろうけど、少なくとも日経紙の記事には、そんなトーンが垣間見えていたように思う。

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古き良き時代の終わり。

外資系企業、と言えば、何かとドライな印象が強いが、日本に長い間根付いている企業の場合、雇用環境も含めて意外にウェットな一面を持っていたりする。

日本IBM、という会社もかつてはそうだった。

元々お世辞にも“社員に優しい”会社とは言えなかったとは聞くところだし、メーカーとしての顔を捨て、システムソリューション主体の会社に転換を遂げてからは、よりその傾向は強くなっていたものの、それでも、「リストラ」をするにあたっては、日本流の“真綿で首を絞めるような迂遠な手口”が多用されることが多かったように思う*1

いずれにせよ、社員に職を失わせることに変わりはないし、退職に至る過程においては、むしろ「即解雇」以上のストレスをかける恐れすらあるこの手の手法を褒めるつもりなど、自分には毛頭ない。

だが、我が国での歴史の浅い外資系企業のように、ドラスチックに「解雇」を突き付けるわけでもなく、一応、“自主的な逃げ道”を残す、という迂遠な手法を取るあたりに、タダの“外資”ではない「日本IBM」らしさがあったのは確かだろう。

「中の人」から伝えられる様々なエピソードや、会社のトップに長年日本人が就いていた、といった事実と合わせて、興味深いカルチャーだなぁ・・・と自分は思っていた。

ところが、今春、56年ぶりに外国人社長が就任したことがそんなカルチャーを暗転させたのか、日経紙には実に寒々しい記事が掲載されている。

日本IBMの人員削減を巡る動きが訴訟に発展している。最近、退社した元社員3人が10月15日、同社を相手取り解雇の無効と賃金の支払いを求めて東京地裁に提訴した。」
「原告の一人は『突然解雇されて戸惑っている。こういうことが続いていいのかと思い、裁判に踏み切った』と語った」
日本経済新聞2012年11月28日付け朝刊・第11面)

さすが天下の日経(苦笑)だけあって、記事の大半は「マーティン・イエッター社長の経営改革への注目」に割かれており、むしろ“好意的”なトーンにすら見えるところもあるのだが、ここで紹介されている、

「今、起きていることは人員の新陳代謝だ。人が入れ替わることはどこの会社にもあることだ」(同上)

という社長発言を見ただけで、身震いがするような“ありえなさ”を自分は感じざるを得ない。

ちなみに、このニュースは、1か月前の「赤旗」でも既に取り上げられて話題になっていたネタで、そこには、いわゆる「ロックアウト型ピンポイント(指名)解雇」の生々しい実態が描かれている*2

媒体が媒体だけに、ある程度差し引いて見るべきところもあるのかもしれないが、それでも、「解雇通告を先に突き付けて、即座に退職願いを書かない限り、即日執行」という事実が本当だとすれば、実に由々しき事態だと思う*3

*1:たとえば、現在進行中の退職強要に関する損害賠償請求事件においても、「自ら退職を選択させる」ような手口が取られていたようだ(http://biz-journal.jp/2012/12/post_1099.html)。

*2:http://blogos.com/article/49242/

*3:もちろん、純粋外資系の金融・投資会社等では、かねてから良く行われていた手法だとは思うのだが、問題は、これが、長年日本的風土に近い形で運営されていた会社の中で普通のサラリーマン(ノン・エグゼクティブ)に対して行われた、ということにある。

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競業避止契約をめぐる潮流の変化?

今週の日経の月曜法務面に、「競合他社への転職制限」をめぐる記事が掲載されている*1

このテーマに関しては、自分にもちょっとしたこだわりがあって、今年の1月に「アリコ」の転職禁止条項をめぐる東京地裁判決が報道された時も、最近の不勉強を承知で、ついついコメントしてしまったものだった*2

そして、この時点では、基本的な考え方の部分では、10年前からそんなに変わったわけではなさそうだ、と思っていたのだが・・・。

日経紙の記事を見て一番驚いたのは、最近の裁判所の判断が紹介されているくだりである。

まず最初に出てくる、英米系保険ブローカーのエーオンジャパンから競合のウィリスジャパンに移籍した社員をめぐる仮処分申立事件では、大阪地裁が競業禁止契約を公序良俗に違反するとして、会社側の申し立てを却下したとのこと。

記事から引用すると、裁判所は、

「男性は入社時、誓約書の形で『在職中あるいは退職後も、会社と競合する業務を顧客のために行わない』と約束した。この契約は競業禁止期間と範囲を明確に定めておらず、地裁は『無制限に義務を負わせている』と違法性を指摘した。」
「会社側は男性に高い給料を払っていたとしたが、地裁は、優秀な社員だったこの男性が高給をもらうのは当然で『代償措置なく職業選択の自由を制限する義務を負わせることは、著しく妥当性を欠く』と判断した」
「地裁は、営業マンが以前の人脈を使うことは違法でなく『そうした行為も制限するなら適切な代償措置が必要で、競業禁止の範囲も最小限にすべきだ』と退けた。」

という判断を示したようだ。

確かに、「誓約書」というあっさりとした書面で、しかも、期間・範囲無制限の競業制限を課している、ということになれば、その効力が全面的に認められる可能性は以前から低かったと思うのだが、それでも、これまでの裁判例なら、契約そのものを無効とするのではなく、期間等を限定解釈することによって穏当な結論を導こうと試みていたのではないかと思う。

にもかかわらず、大阪地裁は、契約そのものの違法性を指摘する、という思い切った判断を示した。
また、代償措置等についても、単に「高給」というだけでは「代償措置あり」とは認めない、という、一昔前に比べるとかなり厳しい内容になっているように思われる。

記事の中では、この却下決定に対し、

「大阪地裁の判断は、人脈や顧客など企業秘密に該当しないものまで守ろうとして競業を禁じるのなら、相応の金銭補償が不可欠だと明示したといえる。」

と総括しているが、(人脈はともかく)「顧客」に関する情報などは、不正競争防止法上の「営業秘密」としても保護されうるものであり、一昔前なら、顧客情報にアクセスする地位にあり、高額の給料が支給されている、といった事情があれば、競業禁止契約の有効性は当然のごとく認められても不思議ではなかった。

また、記事では続いて、「外資系保険会社の元幹部が転職前の会社を訴えた裁判」の東京高裁判決についても取り上げており、

「転職禁止の期間や範囲を定めておらず、代償措置も不十分」

として、転職禁止契約を違法としたことも伝えられている。

確かにこれも、事実関係がこの記事で引用されている裁判所の判断のとおりだとするならば、上記仮処分申立事件と同じく、「転職禁止」の効力が否定されてもやむを得ない、ということになるのかもしれない。

だが、外資系保険会社に関しては、以前このブログで取り上げた東京地裁の判決(東京地判平成24年1月13日)*3のように、「執行役員、かつ金融法人本部の本部長」という地位にある者について、「禁止期間2年」という限定が付されていたケースであっても、

「原告の退職前の地位は相当高度ではあったが,原告は長期にわたる機密性を要するほどの情報に触れる立場であるとはいえず,また,本件競業避止条項を定めた被告の目的はそもそも正当な利益を保護するものとはいえず,競業が禁止される業務の範囲,期間,地域は広きに失するし,代償措置も十分ではないのであり,その他の事情を考慮しても,本件における競業避止義務を定める合意は合理性を欠き,労働者の職業選択の自由を不当に害するものであると判断されるから,公序良俗に反するものとして無効であるというべきである。」

として、原告の退職金請求を認容した事例もある。

かつて、家電量販店の店長が同業他社に転職した事例で、「競業避止条項の目的の立証」や「代償措置」が不十分なものであったとしても、競業避止条項の有効性が失われることはない、とした判決*4があったことを考えると*5、もはや隔世の感があると言わざるを得ない。


今回の日経紙の記事に切り取られた、「競業禁止契約に係る裁判例の動向」は、あくまで多数の裁判例の一角だけを切り取ったものに過ぎず、現実には原告の請求があっさり退けられるケースもあるのかもしれない。

だが、仮にそうだとしても、従来に比べて、競業避止契約の無効リスクが確実に高まっている、という一点に関しては、もはやごまかしが聞かないレベルまで来てしまっているように、自分には思えてならないわけで、ことこのタイプの契約については、“従来のマニュアルが当てにならない”時代が来ているように思えてならないのである。


企業を取り巻く経営環境が厳しく、人材の専門化も進んでいく中で、今後もおそらく絶えることがないだろうと思われる「競業禁止契約」をめぐる事例。個人的には、今後の事例のさらなる蓄積に期待してみたい。

*1:日本経済新聞2012年11月5日付朝刊・第15面。ちなみにメインの特集ではなくサブの記事である。

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120114/1327157385

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120114/1327157385

*4:東京地判平成19年4月24日。

*5:この件では、転職制限期間は「1年」にとどまっているものの、地域限定等はなかった。

不幸と憎しみの連鎖

かねてからこのブログでも何度か取り上げている、オリンパス内部通報者不当配転訴訟。
夏休みには当事者である浜田氏の本もご紹介したところだったのだが*1、この問題の根の深さを改めて感じさせるような記事が、4日付の朝刊に掲載されている。

「社内のコンプライアンス(法令順守)窓口に上司の行為を通報した後の配置転換が裁判で無効と認められたのに、会社側が処遇を改善しないなどとして、オリンパス社員、浜田正晴さん(51)が3日、同社に1500万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。」(日本経済新聞2012年9月4日付け朝刊・第34面)

この件に関しては、会社側の上告が既に棄却されており、浜田氏に対する配転無効の判決も既に確定している。

にもかかわらず、「オリンパスは配転先から異動させず、子会社への転籍や出向を打診」するなどしている、というのが損害賠償請求訴訟を提起した浜田氏側の言い分であり、多くの人にとっては、「オリンパスというのは、何とヒドイ会社なのだ」と思わせるにふさわしい記事だと思う。

だが、ある程度の規模の「会社」の中での“人の動かし方”を知っている者としては、そんなに単純に結論を出すことはできない。

いかに本人が「○○から××の部署に異動したい」といっても、受け入れる側でそのニーズがなければ、そう簡単に話は進まないわけだし、仮にニーズがないとは言えない状況だとしても、受け入れ候補となっている職場に「異動希望者その人の受け入れを許容する空気」がなければ、異動後、より深刻な問題が引き起こされることにもなりかねない。

今回の件については、本人が、社会的反響を巻き起こすような事件の当事者だけに、なおさら「異動」人事は、センシティブな問題になってしまっている可能性が高いといえるだろう*2

記事の中で掲載されている、「本人と調整の場を十数回持ってきたが、合意に至らず時間がかかっている」という会社のコメントは、ともすればマスコミ向けの逃げ口上のように思われがちだが(そして、そういう側面もたぶんにあることは否定しないが)、調整なくしてことを進めるわけにもいかないのが、人事の難しさでもあるわけで・・・。

ちなみに、最高裁で是認された東京高裁判決の主文(配転無効に係る主文)は、

「控訴人が,被控訴人Y1株式会社ライフ・産業システムカンパニー統括本部品質保証部システム品質グループにおいて勤務する雇用契約上の義務がないことを確認する。」

という、「口頭弁論終結時の在籍箇所で勤務する義務がないこと」の確認に過ぎず、いかに配転命令が不当なものであったとしても、それが無効であることを前提に、“原職に巻き戻す”効果が判決の確定によって生じるわけではない。

この辺に「不当配転」について司法の場で争うことの限界を感じざるを得ないのであるが*3、いずれにしても、このまま行けば、訴訟を通じて、不幸と憎しみの連鎖が再び引き起こされることは必至であろう。

当事者たる社員の方も、その周囲の方々も、より傷つかない方法で今回の訴訟がソフトランディングすることを、筆者としてはただ願うばかりである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120807/1344664923

*2:いかに本人に「正義」があったとしても、万人共通の善悪の尺度だけでは動けないのが人間の性である以上、本人にとって好ましい環境が自然に形成される、と期待するのは、楽天的に過ぎるように思う。

*3:人事権が会社側にとって最も重要な権限の一つであること、「原職復帰」という選択肢が常に有効な方策とは限らないこと(そもそも、元の職場自体が消滅している場合も少なくない)から、判決で「元の職場で勤務させなければならない」という形成的な命令まで出せるようにするとなると、いろいろと弊害が大きいのかもしれないが、「解雇無効」型以外の紛争類型も既に多数生じている現状に鑑みれば、訴訟の場でもう少し実効性のある解決を図れるようにするための努力をしていく必要があるのではないかと思う。

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