純粋な法務の仕事をやっていた頃、
弁護士といえば、雲の上にそびえ立つ存在であった。
自分の上司が手土産を持って、事務所にご挨拶に行き、
歓心を買うべくご機嫌とりにいそしむ姿は、
入社後間もない自分にとっても、強烈なインパクトを違和感をもって、
受け止められる出来事であった。
知財の仕事になってからお付き合いしている社外の法律家といえば、
ほとんどが弁理士の先生方である。
「先生」という呼び名に違いはないが、
内実はかなり異なる。
打ち合わせの時、
相手が弁護士なら、相手の予定に合わせて事務所にお伺いする。
相手が弁理士なら、こっちの予定に合わせて無理やり会社に呼びつける。
そして、弁理士の先生も嫌な顔一つせず、こうべを下げてやってくる。
中元・歳暮のシーズン。
相手が弁護士なら、当然こちらからビール券なり何なりを持っていく。
付き合いが相当長い事務所になれば別だが、通常は事務所の方から
何かを送ってくることは少ない。
相手が弁理士だと、シーズンになると大量のビール券が送られてくる。
あたかも出入業者のように、貢物を引っさげて会社にお越しになる方も
少なからずいる。
要は、何から何まで正反対なのだ。
弁護士を接待することはあるが、弁理士を接待することはまずない。
弁理士に接待されることはあるが、弁護士に接待されることは決して多くはない。
その差はどこにあるのだろう、と考えたことがある。
弁理士の方が、資格持ちの数自体は少ないはずだ。
市場においては稀少財の方が価値があるはずでは・・・。
だが、冷静に考えると、
弁理士の多くは東京圏に集中している。
そして、クライアントも特定の業種の企業に集中している。
だとすれば、少なくとも今、自分が仕事をしている領域においては、
弁理士は過剰供給、飽和状態にあるといわざるを得ない。
それゆえ、個々の弁理士もその事務所も、生き残りのために、
なりふり構わず仕事をとりに行かざるを得ない、ということになるのだろう。
弁護士が大量に供給されるようになる今後を見据えて考えた時、
上のような状況は非常に示唆的である。
今、弁護士>企業法務>弁理士、となっている構図が、
将来、企業法務>弁護士>弁理士、となることは容易に予測可能である。
そこで窮した弁護士が生き残るために必要なスキルは、
単純な世渡り術なのか、紛争解決のための高度なテクニックなのか、
それとも法曹としての高次元の「資質」なのか、
今の自分には何ともいえないのであるが。