続・夢見ちゃいけないのか?

白線流し」の公式ウェブサイトには、
プロデューサー・本間欧彦氏のこんなコメントがある。

サブタイトルの「夢見る頃を過ぎても」は、文字通りいつまでも夢を捨てず、前向きに、人生を肯定的に生きてほしいという願いからつけました(http://www.fujitv.co.jp/hakusen/index2.html「プロデューサーから」)。

要するに、「過ぎても・・・」の後を読んでくれ、
ということなんだろうが*1
そういうタイトルを付ける裏に、
「夢を見ることが許されるのは20代前半までである」という
固定観念の存在が垣間見えるので、やっぱり引っかかる*2


人生観は人それぞれ、と分かっていても、
「もう夢ばっかり見ていられる歳でもないし・・・」という言葉を
安易に使う人間を見ると苛立たしく感じるのが今の自分。


「もう夢ばっかり・・・」という言葉が、
他人を納得させるにも、自分を慰めるにも楽な言葉なのは確かだけど、
夢を追いかけて生きるかどうかは、あくまで本人が決めることで、
「世の中がこうだから」的な責任転嫁をするのは、
決して潔い生き方とはいえないと思う。


ちなみに、友人が上のセリフをはいたときに、
「なーんだ。もうあきらめちゃうんだ。弱虫」とか言ってしまうと、
えてして「お前に何が分かる!」と喧嘩になって、
その後音信不通になるのがオチだけど(笑)*3


いつまでも夢を見て、高望みして、
叶わなくて時々後悔と絶望にさいなまれても、
あきらめきれずに夢にしがみついて生きていく、


そんな生き方も悪くない、と自分は思っている。


夢が叶えば成功者、叶わなければただの社会不適応者(笑)。
ま、これは一種のギャンブルなので・・・。

*1:それでも、「文字通り」というのは、日本語の解釈としてはちょっと変。

*2:もちろん、ドラマで描きたいのは、それを乗り越えて進んでいこうとする7人の姿なんだろうけど、このタイトルでは、意図するところに反した単なる「現状追認」として受け止められるおそれが高い(ドラマの脚本次第ではあるが)。

*3:ドラマだと、喧嘩しても、その後言われた相手が「やっぱ俺頑張ってみるよ」的に改心して仲直りするものなのだが、実世界では、そこまで相手の人生に踏み込んでしまうと、仲直りできることはまずない(笑)。さらに言えば、実世界だとそもそも喧嘩になることもなくって、以後疎遠になるだけというのが実態かもしれない。

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