混迷

フィギュアスケートのグランプリファイナル。
予想どおり、というべきか、
残念ながら、というべきか、
女子は浅田真央選手の圧勝。
そして、安藤美姫中野友加里にも抜かれて表彰台を逃す“惨敗”。


浅田の圧勝の裏には、
地元開催、かつ“若すぎて”オリンピックに出られない選手であるがゆえの、
“同情票”が多かれ少なかれあるのではないかと思われるが、
それを差し引いても、今の日本選手の中で、
彼女が一番美しい演技をする選手であるのは間違いない。


それに引換え、安藤美姫
今週のNumber誌の「短期集中連載・トリノにかける女子フィギュア」では、
ロシアGPでスルツカヤに次ぐ2位、という好成績を残した
彼女の「成長した姿」が描かれている。

「私は最初にこのプログラム(筆者注・フリーで使われている「マイ・ファニー・バレンタイン」)を見たとき、安藤には早すぎると思った。彼女にはもっと溌剌とした内容が似合うと考えた。しかし、安藤は、もうそれを自分のものにしている。」
「代名詞のように語られる4回転ジャンプがなくても、スピン、スパイラルで、彼女は観客の心を惹きつける。この日までに重ねられた努力が、目に見えるような気がした。」
「試合後、ホテルに戻った安藤は、「切なさ」とは無縁の「いつも」の彼女だったし、関係者と楽しそうに談笑する姿は、一種の安らぎさえ感じさせる」*1

だが、日本で滑っている姿を見る限り、
彼女はそのような「安らぎ」とは無縁の状態にいるように思える。


グランプリファイナルでは、
NHK杯ほど曇った表情ではなかったように見えたが、
それでもフリーの演技を見る限り、本来の「伸びやかさ」が
完全に失われてしまっているのは確かだろう。


積み重なった疲労や、本人のメンタルの問題もあるのだろうが、
いまだに“4回転ジャンプ”と“アイドル的スマイル”を期待して煽り立てる
日本のメディアは、そろそろ自分たちが冒している“罪”に気付いた方がいい。


一昨年の日本選手権初優勝から、ジュニア世界選手権優勝、
世界選手権*2と続いた頃の彼女の滑りは、
本当に素晴しかった。


彼女がもう一度、世界の舞台で戦えるように、
環境を整えるのは、関係者だけの仕事ではないはずだ・・・。


ちなみに、“不本意な採点”ながら、
中野友加里も堅実に3位に入ったことで、
ますます混迷を深めている五輪代表争い。


今メダルに一番近い選手といえば、中野だろうが、
これまでの採点傾向からいって、“良くて銀”の感は強い。
むしろ、フリーの演技で採点を“狂わせる”可能性があるのは村主で、
荒川静香の「世界チャンピオン」という“顔”も捨てがたい。
だが、スポンサー(&本人の将来)のことを考えれば、
安藤美姫を送り出す、という線も残っている。
もちろん、日本選手権の結果次第なのだが、
連盟も頭の痛いところだろう・・・。


「浅田の五輪出場特例を認めない」という国際スケート連盟の方針に、
日本サイドも異議を唱えない方針を表明していたが、
上のような混迷を見れば、
これ以上の“悩みの種”を増やすような選択を望まないのは、
当然のことといえるだろう。


それに、今回出場させたとしても、
五輪本番でスルツカヤに勝てる可能性は決して高くはなく*3
それでも、五輪後(そして次の五輪前)にフィーバーが加熱することになれば、
結局悲劇の「銀メダリスト」として歴史に名前が刻まれるだけで
終わってしまう可能性が高い。
仮に金メダルを取れたとしても、
「第二のタラ・リピンスキー」にならない保証はない。


世代ごとに選手を競わせながら、長期的な強化を図ってきた日本連盟にとって、
飛び級”は決して好ましいことではないのだと思う。


既に恒例行事のようになったマラソンや、
かつての水泳、柔道など、
オリンピックの度ごとに繰り広げられる、
選手選考の悲喜こもごもを見るたび、
他人事ながら胸が痛む。


そして、本当の意味での、「敗者への共感」が、
この国(特にメディア)には根付いていないことを痛感させられる*4

*1:宇都宮直子「安藤美姫・成長の証を披露するとき」Number643号103頁(2005年)

*2:優勝したのは荒川静香、安藤は4位だったが、十分に見せ場は作った。

*3:採点競技で最後にモノをいうのは「格」だから・・・。

*4:選考直後には「敗者」にそれなりのスポットを当ててみたりしているものの、本番になる頃にはすっかり“忘れられて”しまうというのが、この国のメディアの風土である。もっとも、これは、日本という国に限らない話なのかもしれないが。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html