NBLの最新号(2005年12月15日号)を見ていたら、
面白い論文を見つけたので紹介する。
数々の「独自の見解」で知られる牛木理一弁理士による論文である*1。
そもそも“クレーム力”という用語自体がいかにも怪しいが、
牛木弁理士の定義によると、
「出願の前後を問わず、発明者にとっては弁理士との綿密な打合せこそ、将来の彼の前記対価を決めるカギとなるといっても過言ではない。これを、発明者の「発明力」に対して、弁理士の「クレーム力」と呼ぶことができる。」*2
ということらしい。
で、本稿の内容を要約すると、
1.特許の効力は、弁理士が「クレーム」をいかに記載するか、によるところが大きい。
↓
2.それにもかかわらず、青色LED事件において、「クレーム」を書いた弁理士の貢献度は 全く考慮されていないように見える。
↓
3.発明に対する経済的評価は「クレーム力」あってのものである。
↓
4.特許発明に対する発明者に与えられる対価は、特許権の成立に関与した弁理士及び出願 担当者(リエゾン)による貢献度を十分に考慮した上で決定されなければならない。
ということになる。
確かに、弁理士の腕次第で、
高度な技術がクズ特許になることもあれば、
強力な特許になることもあるのは確かである。
そういう意味で、“クレーム力”が特許の効力を左右することはありえよう*3。
だが、そもそも、発明対価算定のベースとなるのは、
「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」であって、
出願代理人となった弁理士の腕が悪く、
使用者に承継された発明が、結果として価値のない特許になってしまったとしても、
理論上は、「受けるべき利益」*4をベースに対価を算定する、
というのが原則となるはずである。
また、仮に優れた「クレーム」が作成されたことにより
高額のライセンス料が得られたとしても、
それは、ライセンス契約の獲得にあたって使用者側が費やした労力等と同様に、
あくまで「使用者側の貢献度」を算定する上での一要素として斟酌されるにとどまり、
それをあえて“クレーム力”などという大仰な言葉を使って
独立して観念する必要は乏しいものと思われる。
牛木弁理士は、
東京高裁が青色LED事件の和解に臨んで発表した「見解」の中に、
「弁理士が作成した「クレーム」の貢献度と評価について」
の言及がなされなかったのがご不満のようである*5。
しかし、そもそも弁理士は、
出願人たる使用者との委任契約に基づいて、
「クレーム」を作成しているのであり、
そこにかけた労力は、委任報酬で評価し尽されている、
と考えるのが社会通念上相当であるから、
弁理士の「貢献度」は、当然に使用者の「貢献度」に“吸収”される
と考えるのが自然であろう。
東京高裁にも、使用者側の貢献度の算定根拠を説明する上で、
多少は「弁理士の貢献」に言及する“余裕”があっても良かったのかもしれないが、
それを独立した考慮要素として挙げる必要は全くなかったと思われる。
牛木弁理士は、「クレーム力」への“評価”も必要だとして、
次のように説かれる*6。
「弁理士の「クレーム力」への評価は、弁理士への特許庁手続に対する手数料等とは別の、発明者に与えられる相当の対価と同様に、特許権発生後の成功報酬の請求権の行使として実現されるべきであろう。」
「「クレーム力」の評価は、発明者の「発明力」の評価と同様に、司法裁判所によって決定されて然るべきである。この弁理士の報酬請求権は特許権者に対して行使されることになるが、これは弁護士の報酬請求権が依頼人の発明者に対して行使されることと同様の立場であるといえる。」*7
牛木弁理士には、
「弁理士が一生懸命クレームを書いているのに、
その労力が従来の報酬では適正に評価されていない」
という思いがあるのかもしれない。
だが、それは、使用者と弁理士との間の報酬交渉で問題にすべきことである。
何ゆえに、「発明者に対して」上記のような報酬請求権を行使しうるのか、
その法的根拠は、全く明らかにされていない。
というわけで、非常に“面白い”論文であることには違いないのだが、
NBL編集部がこのような論文を載せた意味が、自分には理解できない。
もしかすると、
「発明者に過度の報酬を与えるべきではない」と考えている
実務側の“願望”とマッチすると思ったのかもしれないが、
「“企業法務と理論をつなぐ”NBL」と謳っている雑誌である以上、
あまり褒められた話ではない。
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なお、NBLの同じ号に、
先日コメントした久保利先生のコラムの“元ネタ”が掲載されているので、
追ってご紹介することにしたい。
*1:牛木理一「「職務発明」の対価問題について−弁理士の“クレーム力”を評価せよ」NBL823号38頁(2005年)
*2:牛木・前掲40頁
*3:もっとも、いかに巧いクレームを書く弁理士の手によるものであっても、「箸にも棒にもかからない技術」が、「画期的な特許」になることはまずない、と言って良い(拒絶査定を免れる可能性が多少高くはなるかもしれないが)。また、法は、「発明の内容=特許の内容」となることを前提に制度設計しているのであるから、弁理士によるクレーム作成の巧拙によって特許の効力が変動するというのは、本来「異常な事態」であるはずである。やはり、事実論と法律論は、分けて考えるべきだろう。
*4:まともな特許になっていれば得られたであろう利益。
*5:牛木・前掲43頁
*6:実のところ、これが一番いいたかったのかもしれない(笑)。
*7:以上、牛木・前掲43頁