「大渕説」の危機

最近の関心事である特許法181条2項について、
知財高裁(第4部・田中昌利裁判長)が興味深い判決を書いている。
知財高裁平成18年1月30日判決*1


この事件は、日立工機が有する特許権に対して、
マックス株式会社が無効審判を仕掛けたことに端を発するものだが、
この事件が通常のケースと違うのは、
無効審判において、

「請求項1〜7については特許無効」
「請求項8については審判不成立」

となり、取消訴訟において両事件が併合されたために、
こと請求項8に関しては、「無効不成立審決取消訴訟であるにもかかわらず」
181条2項による取消決定を求める上申がなされることになった、
ということである。


通常の特許権者であれば、自分の特許の権利範囲をなるべく狭めたくない、
という心理が働くから、“勝ち戦”である無効不成立審決取消訴訟のさなかに、
わざわざ訂正審判を仕掛けて取消決定を求めることは考えにくい*2


したがって、これは各請求項を“一体不可分として扱う”
現在の特許庁の運用実務*3の元で生じたレアケースといえ、
それを重く見た知財高裁もあえて「補足説明」を行うこととなった*4


知財高裁は、自ら、
「法181条2項は、無効不成立審決の取消訴訟にも適用があるのか」
という命題をたて、それを肯定した上で、その理由を次のように述べる。


まず1点目。

「まず,法181条2項は,その文言解釈上,無効不成立審決の取消訴訟における適用を除外するものとは解されない。すなわち,法181条2項では,「特許無効審判の審決に対する第178条第1項の訴えの提起があった場合において」とされているところ,特許法における「特許無効審判の審決」という文言は,無効審決のみならず無効不成立審決をも含む概念として規定されている(例えば,法134条の3第1項の規定と対比すると明らかである。)」

この点については特に異論のないところだろう。
だが、問題は2点目にある。

「次に,法181条2項は,特許庁の無効審判及び裁判所の審決取消訴訟という手続において,特許無効の審理をより適切にするために,当該事案の諸事情を勘案した裁判所の裁量により,実体判断に入ることなく審決を取り消して,特許無効審判においてさらに審理させるために事件を審判官に差し戻す余地を認めた趣旨であると解される。そして,審決で無効と判断された請求項と無効不成立とされた請求項とが密接に関連している場合などのように,両者を併せ検討しつつ各請求項の発明に係る特許を無効にすることについて,特許無効審判においてさらに審理させることが相当であると認められるような事案も想定されるのであって,法181条2項は,無効不成立審決の取消訴訟への適用を排除する趣旨とは解されない。」(太字筆者)

無効不成立審決であっても差戻しを認める、という結論自体には
なんら異論のあるところではない。
だが、その過程で述べられた「181条2項の趣旨」、
これが裁判所によって述べられたことのハレーションは大きいように思う。


181条2項をめぐっては、

「181条2項は、訂正審決が確定してから差し戻したのでは審理の無駄になるため、審決確定を待たずとも、訂正審判請求さえすれば、特許庁への差戻しができるようにした規定である。」

とする実務通説的見解と、

「平成11年最判の「訂正審決確定による無効審決の当然取消」の立場を否定し、(訂正審決が確定しても)裁判所の手によって終局的判断ができるようにするための規定である」

という立法過程参画者(大渕教授)サイドからの見解が、
並立している状況であるということは、
以前のエントリーで紹介したとおりである。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060107/1136727486


そして、立法に至るまでの経緯を重視し、
「手続遅延の弊害の解消」というドグマの解消を第一に考えるならば*5
大渕教授のご見解に理あり、ということも、既に述べていたとおりである。


だが、今回の知財高裁の「181条2項の趣旨」はどちらかといえば、
実務通説的見解に依拠しているように見える。


もちろん、
「裁判所の裁量」によって差戻すか否かを決定できる、という点に関しては、
知財高裁の見解も決して大渕説と対立するものではないのだが、
(「当然取消し」と言ったわけではない。)
「実体判断に入ることなく差し戻すことのメリット」を説くあたりは、
「裁判所が差し戻すことなく判断するメリット」を強調する大渕説とは、
相容れないものがある。


ここで注意すべきは、
いくら審決取消訴訟での審理が進んでいても、
訂正審決が確定すれば特許庁に差し戻さなければならない、
という平成11年最判を前提とする限りにおいては、
「実体判断に入ることなく差し戻すこと」が
審理迅速化のための唯一の途である、ということだ。


おそらく知財高裁としても、そのような“頭”で
上記のような「趣旨」を導いたように思われる。


だとすれば、181条2項の立法をもって
「平成11年最判法理の立場が否定された」とする大渕説は、
ここにひとつの危機を迎えることになる。


本件に関していえば、相手方も異議を唱えていない、というのだから、
差し戻すのが妥当な事例だったと推測されるし、
これまでの知財高裁における運用の中でも、
些細な訂正について「差し戻さなかった」実績もあるようなので*6
単純に結論を出すのは早計なのだが、
181条2項の文言の書きぶりからすると、
平成11年最判を打ち崩す使命を負わせるのは、
この条文には少し荷が重いというべきなのかもしれない。


なお、以前にも書いたように、
181条2項に基づく取消決定を求める、という戦略は、
「特許無効をさっさと確定させて決着をつけたい」と願う企業にとっては
厄介なことこの上ないものであるのに対し*7
ヘボいクレームの特許を少しでも長く存命させたい、と願う企業にとっては、
願ったりかなったりの“武器”になるものだから*8
「差し戻せること」に重点を置く議論と、
「差し戻さないこと」に重点を置く議論のいずれが優れているのか、
一概に論じることは難しい。


だが、“クレーム”ならぬ“条文”の書き方によって、
立法者の意思が換骨奪胎されたのであれば、それは由々しきことであり、
実務家の側も、裁判所の側も、
その見地から、再度「大渕説」の言わんとするところを
見返してみる必要があるのではないかと思うのである*9


もし、自分が無効審判−審決取消訴訟を通じて「攻める側」に立った折には、
ぜひとも大渕先生の文献を引用したいと思っているところではあるが、
残念ながらそういうチャンスが回ってくるとはとても思えないのが、
悩みの種である・・・*10

*1:http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/456df76d88ac88b549256fce00273b69/791a61cd9faa66064925710d00305461?OpenDocument

*2:仮に取消訴訟で敗訴しても、特許庁に戻ってから訂正請求を仕掛ければ十分に間に合う。

*3:そして、それに対応した訴訟戦略。

*4:実際には、当事者双方とも差し戻しには異議を述べていない事案であるから、特に論じることなく特許庁に差し戻すこともできた事案であったと思われる。当事者の主張に引きずられたわけではなく、「裁判所自身が」述べた判示であるという点に、以下の問題の大きさがある。

*5:自分自身は、このドグマの正当性自体にかすかな疑問を感じているのではあるが。

*6:もっとも、件数は2件ほどだと言われており、その中身も「訂正が認められるとは考えられない」レベルのものだったと言われている(ある判事の講演会より)。

*7:もっとも、訂正の内容によっては事実上紛争に決着がつく(権利範囲が極端に減縮されればその特許はもはや脅威ではなくなる。)こともあるから必ずしも厄介とばかりはいえないのかもしれないが。

*8:一見すると、こういう“願い”は愚かなもののように思えるが、実際には優れた技術なのに、ヘボクレームのせいで弱い特許になってしまっているものもあるから、こういう“願い”を一概にわがままと片付けるべきではないだろう。

*9:なお、本事件では、請求項1〜7について無効審決取消訴訟を提起している原告が、「請求項8」も含めた審決全体について取消決定を求めることについても、「訴えの利益」との関係で問題にされている。この点についても、おそらくは“想定外の事態”だったというべきなのだろう(裁判所は結果として肯定)。

*10:わが社はさしづめ、「弱い特許の宝庫」とも言うべき会社である。技術開発と弁理士にもっと金使わんとだめなのかしらん・・・。

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