鈴鹿の20年

先週発売のNumber663号の特集が「F1鈴鹿。20年の軌跡」。


読んでいて思ったのは、
もう20年になるのか・・・orz。という素朴な感想と、
まだ20年だったのか・・・という新鮮な驚き。


前者に関しては分かりやすい。


中学に入った頃の秋の風物詩といえば、
「ライオンズをどこが倒すか」が唯一のテーマだった日本シリーズ
良くも悪くもオグリキャップを中心に回っていた競馬の天皇賞
そして、鈴鹿で行われるセナ・プロ対決。


10月の最終週あたりに、その辺のイベントが一挙にやってくるわけで、
1週間、スポーツ新聞片手に「やれどっちが勝つか」と
延々と議論してきた我ら下町の男子校生たちは、
自らの主張の正しさをこの目で見届けるべく、
テレビとラジオにかじりついていたものだ*1


筆者の場合、競馬や野球は今でも現役のウォッチャーをやっているが、
クルマに関しては、自分が実際に乗れるような年代になってからは、
かなりの部分興味を失ってしまったので、
最近のF1界の動向も、
スポーツニュースに毛が生えた程度のことしか知らない。


それゆえ、最強のクルマと聞かれれば、
白+赤+マールボロ、の車体しか思い浮かばないし*2
ドライバーの名前を聞かれて、
セナ、プロスト、マンセル、ベルガーくらいまではスラスラと出てくるが*3
最近の名前を聞かれると、シューマッハー兄弟の次に佐藤琢磨
出てくるレベルなので、
「もう20年?」といいたくもなるのは当然の話なわけで。


だが同時に、最初に鈴鹿で日本GPが開催されてから
「まだ」20年しか経っていない、
というのは結構意外な気がするのも確か。


今も昔もそうだが、
スポンサーになっているテレビ局のアナウンサーは、
あたかも目の前で行われているスポーツイベントが
何世紀も前から行われている“伝統の一戦”であるかのような
実況をするわけで、
当時はまだガキだった自分も、
古館伊知郎アナにすっかり騙されていた(笑)。


来年から、日本GPの開催地は
富士スピードウェイに変わるらしい。


だが、シリーズが始まってからせいぜい2回目か3回目の開催なのに、
日本のF1といえば“鈴鹿しかない”という錯覚に
当時から陥ってしまっていたおかげで、
いまだに「は?何それ?」と思ってしまう自分がいる。


強烈な政治力が働く興行の世界ゆえ、
やむを得ないことなのかもしれないが、
歴史は浅くとも、鈴鹿の独特のコースレイアウトが、
単なる錯覚を超えた“伝統の一戦”の味を醸し出していたこと、
そしてそれが、世界をまたに駆けたF1サーカスにおける
「日本」という国のステータスシンボルになっていたこと、
を考えると、いかにトヨタ財閥の力が強力だとしても、
容易には受け入れがたい、という思いを抱く人は、
自分以外にも多いのではないだろうか・・・?


F1に関して言えば、元々いわく付きのコースだし、
最近では国内ローカルのGPコース、
というイメージが定着している富士で、
果たして新しい伝統を紡いでいくことができるのか、
筆者としては半信半疑なのであるが、
もし、何ら支障なく富士で新たなGPを開催することが
できるようになったとしても、
何らかの形で、鈴鹿にF1カーを走らせる可能性は
残しておいてほしいものだと願っている。


ことは国内自動車メーカー同士の主導権争い、
という小さな話ではないように思うのだ。


ここでもし、トヨタが、
契約期間中の富士での単独開催に固執するとしたら、
国際的なプロモーションには成功しても、
国内で“尊敬されない企業”という悪名を拭い去ることができないまま、
本田宗一郎翁とその“遺伝子”を継ぐものたちの
後塵を拝し続けることになる、
と思ってしまうのは、筆者だけだろうか・・・?

*1:昔は野球と競馬が生中継、F1はライブでラジオのダイジェスト実況があって夜にテレビ放映、という形だったから、テレビのチャンネルとラジオのチューナーを交互に回すような忙しさがあった。

*2:フェラーリの赤は、品の良さを感じないので昔っからあまり好きではなかった。

*3:あと決して早くはないがインパクトがあったのは、パトレーゼだとかA・チェザリスあたり。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html