そこまで言うなら・・・と思った瞬間。

法学教室2月号に、「新司法試験の結果(1)」として、法務省大臣官房人事課課付検事の方のコメントが掲載されているのだが、その内容が実に辛らつで面白いので紹介したい*1


山口氏は、まず、公法系科目の「論文式試験について」の項で、個人的な印象として、「全体の約4分の1を採点したが、憲法の論文の問題で問うている最も核心的問題をきちんととらえ、論じている答案が1通もなかった」(7頁)という講評を披露された後に、以下のような見解を述べられている。

法科大学院の教員が法律雑誌に解説を書いている中にも不適切、不十分な解説があったことを考慮すると、限られた時間の中で、考え、資料を読み、書かなければならない受験生ができなかったとしても、責めることはできないようにも思われる。」(7頁)

また、同氏は最終合格者の決定を終えて抱いた“危惧”として、

「予備校や受験にかかわる雑誌では採点者からすると優秀答案(模範答案)とはいえない合格者が書いた答案が「優秀答案」として扱われ、受験生はそれを「模範答案」として暗記する。こうして、優秀とはいえない答案が、パターン化して蔓延することになる。」(7頁、太字筆者)

と述べ、このことが「法科大学院教育の「崩壊」を招くのでは」という懸念を表明されている。


個人的には、

「そこまで言うなら、司法試験委員会で模範解答(ないし詳細な採点基準)を開示したらいいじゃん、と思うのは、私だけ〜?」(だいたひかる風)

といった感もあるのだが、あえてそれを行わず、出題趣旨の行間を読ませるあたりに、読者としては、同氏のプロとしての奥ゆかしさを感じなければならないのだろうw。


また、刑事系科目については、「今回の受験生の中のかなりの者は旧試験の試験勉強をしてきた者」だと推測した上で、

これらの者は従前の受験勉強の過程でいわば論点主義の丸暗記による学習の態度が身に付いており法科大学院で教育を受けたにもかかわらず、なお従前の態度が抜けきれず、それが今回の答案に反映されているのではないか」
「あるいは、・・(略)・・、刑法プロパーの授業になると指導者が旧来の教育態度を維持して、論点中心で抽象的な解釈重視の記憶本位の教育をなお行っているのではないかということである。具体的な授業内容の検証を経ずに軽々に申し上げることはできないが、もしこのような教育が行われていたのだとすれば、従前どおりの論点中心の勉強方法でよいのだとの誤ったメッセージを暗黙のうちに学生に伝えていたことになる。」(以上、10頁。太字筆者)

と相当厳しい見解を述べられている。


「旧試験の問題と新試験の問題には重要な違いがあると考え」ている、という前提に立ったご見解ではあるが、察するに、そもそもこのコメントを寄せられているお方自体、「旧来の教育態度」の下で法律家としての第一歩を踏み出されておられるはずで、旧試験を経て今のお仕事に就かれている、という輝かしい経歴とあわせ、そんなご自身の過去を否定してまでも、新制度の“理念”を徹底しようという情熱は、到底凡人に真似できるものではないw。


人生数十年、小賢しい試験テクニックだけで生きてきた筆者としては、いかに司法試験といえど、競争試験である以上他人よりも点数を取ることが大事なのであって、“論点主義”と揶揄されようが「論点そのものを見つけられないよりはましだろう」と開き直るのもまた一興ではないか、と思ったりもするのであるが、上記のような高邁な理想の前でそんな志の低い話をするのも野暮というものだろう。


本ブログの読者の中にも少なからずいらっしゃるであろう、賢明なる新司法試験受験生の皆様には、かくのごとく素晴しき試験委員に問題を作成してもらえる幸運を十分にかみ締めていただいた上で、来るべき栄光に向かって邁進されるよう、ただただ願うのみである。

*1:山口久枝「新司法試験の結果(1)−公法系・刑事系科目のヒアリング概要」法教317号6頁(2007年)。ちなみに、2月号なのに、なぜかこの項だけヘッダーの表記が「2007Jan. No.317」になってます(笑)>有斐閣殿。

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