努力が常に報われるとは限らない。だが・・・

年を追うごとに、“競争試験”としての本質が剥き出しになってきた新司法試験。
今年も発表の日を迎え、「過去最低の合格率」の見出しが躍る・・・。

法務省は9日、法科大学院修了者を対象とする2010年の新司法試験合格者2074人を発表した。昨年より31人多いが、02年に閣議決定した「10年ごろに年間合格者数3000人程度」との政府目標を大幅に下回った。」(日本経済新聞2010年9月10日付朝刊)

日経新聞(だけでなく他紙もか)は、相変わらず「3000人」という数字との対比で“合格者が少ない”という論調の記事を書いているが、2000人を超える合格者数を見て“少ない”と思える法曹関係者は、恐らく皆無だろうと思うし、「過去最低」といっても「25.4%」という数字で“合格率が低い”なんていってしまうと、今年の旧試験合格者には、鼻で笑われてしまうだろう(苦笑)。


もちろん、この合格率や合格者の属性を見る限り、当初期待されていたように「真面目に法科大学院で勉強していれば難なく受かる」という性質の試験ではなくなっているのは間違いない*1


それゆえ、企業法務パーソンから「ロー生」へと転向した人々の中には、法科大学院修了後、新司法試験にはわき目もくれずに(or くれないふりをして)、キャリアを生かしてさっさとどこかの会社の法務部に滑り込む人も結構増えているようだし、1度くらいは受験しても、結果が出る前にさっさと法務パーソンとして就職を遂げ、“75%の不運“のリスクヘッジをする人もかなり多いと聞く。


今も昔も、弁護士よりも楽しい法律関係の仕事は、世の中にたくさんあふれているのだから、彼/彼女たちの選択は、人生の選択としては決して間違っていない、というかむしろ賢いともいえるものだし、皆が皆、こういう選択ができるようになれば、当初想定していた程度の合格率の水準もキープできるんじゃないか、と思ったりもするのであるが、そうもうまくいかないのは、「(下がっても)25%」という微妙に美味しい合格率*2の誘惑ゆえだろうか・・・*3



個人的に最近気になっているのは、法科大学院ですごく生き生きと勉強していて、優秀な成績を収め、エクスターンシップ等に出れば、武者修業先の弁護士をうならせるような実力を発揮しているようなタイプの受験生から、発表当日に“悲報”を聞く機会がやけに増えてきているように思えること。


「競争試験」である以上、試験の数カ月前くらいからは、試験そのものにターゲットを当てた勉強をしっかりやらないと、(よほどの天才でない限り)合格レベルに達しないのは当たり前の話であって、“実力がありながらしくじる”タイプの人っていうのは、その辺が少し薄かったのかなぁ・・・というのは容易に想像が付くところだけど*4、こういう実態が続くとなると、試験そのものの本来のコンセプトから、見直さなければならなくなるのでは、と思うわけで・・・。


思えば、司法バブルの全盛期〜末期にもこういう話はよくあって、学内試験の成績はほぼ全優、ゼミでの発表や論文は、院生を上回るようなクオリティのものを出してきて、教官から助手(いまでいう助教、か。)に一本釣りされるような学生が、当の試験では第一関門であっさり墜落して涙を飲む、なんてことも決して珍しくなかった。


本来理想とされる法学教育の場で“優秀”と評価される者が予備校漬けの受験生の後塵を拝する、という実態が、当の法学教育の担い手である大学の法学研究者たちを動かし、当時“予備校潰し”とも言われた大幅な司法試験制度改革に駆り立てた一因ではなかったか、と自分は思っているのであるが、巡り巡ってあれから10年近く経ち、またしても同じような光景が繰り広げられるようになっているのだとすれば、それはまさに皮肉というほかないだろう。


少々日頃の行いが悪くて、教授陣の覚えがめでたくなくても、ターゲットにしっかりと照準を合わせて努力すれば、目指すべき道の入り口に辿りつける・・・そんな競争試験の一発逆転的性格の良さを否定するつもりはないし*5、その良さを残そうとすれば、「2年(3年)頑張ったけど報われない」人がある程度犠牲になることも避けられない。


だが、この業界の未来を考えるなら、そういった犠牲は、少ないにこしたことはないのも間違いないわけで、在学中の“優秀”な学生への動機付けから、試験問題の作り方まで、ちょっとした工夫で何とかできないかなぁ・・・というのが、自分の率直な心情である。

*1:もっとも、曲がりなりにも合格者の「枠」を設けてそれを争うタイプの試験であれば、「真面目にやっていれば・・・」的な期待は本来生まれようもないはずなのだが、この点については後述。

*2:そして弁護士になって成功する人間もまだ同期の3分の1〜半分くらいはいる、という職業としての微妙な美味しさも・・・

*3:もちろん、「何が何でも弁護士になりたい」という人が未だ少なからずいることも、複数回受験する“滞留者”を生むゆえんだろうとは思う。そのような「なりたい」という希望が、「(弁護士会が定義する)あるべき弁護士」の活動に対する圧倒的な情熱に起因するものなのか、それとも単に視野が狭いことに起因するものなのか、は自分にはよくわからんのだけど。

*4:「短答と論文が一緒にやって来る」という新試験の特殊性(あくまで旧試験基準の感覚だが)ゆえ、準備が難しいのは理解できるにしても、1回目の受験であれば本来半年くらい前には、やっていなければならないような性質の勉強を、3月、4月頃やっている、といった類の話を見聞きするたびに、「気の毒だなぁ・・・」という思いを禁じ得なくなる。

*5:何よりも、自分自身がこれまで何度もそんな“一発逆転“の恩恵を受けてきているわけだし・・・。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html