予想通りだが後味の悪さが残る「実刑」判決

16日に東京地裁で行われたライブドア事件の判決公判。


既にあちこちで取り上げられているとおり、東京地裁(小坂敏幸裁判長)は求刑懲役4年に対して懲役2年6月の実刑判決を言い渡した。


エスタブリッシュなオジさん連中にウケのよい記事を書くことしか頭にない日経新聞の紙面では、

「市場への背信に厳罰」(1面、坂口祐一編集委員コラム)
「野心の錬金術断罪」(社会面)
「株主欺き利益追求」(社会面)
「憮然・・・視線うつろ」(社会面)
実刑判決「当然」の声」(社会面)
(以上、2007年3月16日付け夕刊)

「市場を生かす規律 確立を」(末村篤特別編集委員コラム)
実刑判決だけでは量れぬ堀江被告の「罪」」(社説)
「「異端児」断罪3つの背景 情報開示無視 倫理観の欠如 粉飾、手口巧み」(第3面)

と容赦ない見出しが躍る・・・。


昨年1月の強制捜査堀江被告の逮捕以降、本ブログでも何度となくこの事件に関するエントリーを掲載してきた*1


筆者自身は、本件において問題とされた「証券取引法違反」の事実の多くが、元々明確には「クロ」とされていない問題に後出し的制裁を加えたものに過ぎず、「クロ」とされるものについても相対的にみれば微々たるルール違反に過ぎない、という見方をとっており、それは現在においても変わってはいない。


「事件」を起こした会社が「ライブドア」という新興企業でなかったら、あるいは、ライブドアの経営者が堀江氏でなかったら、おそらく行政上のぺナルティを課されたに留まったレベルの事件だと考えるのが妥当なところだ。


だが、弁護側が譲歩して“適当な落としどころ”を示さない限り、検察側が構築したストーリーが優先的に採用される傾向のあるこの国の刑事訴訟の現状を鑑みると*2弁護団が全面的に公訴事実を否認するという戦術を取り、「反省の情」を一切示さなかった時点で、この日の判決結果は予想できていたのも確かである。


無罪を主張して争ったら「反省の情が見られない」とされてしまうのでは、被告人側の“争う権利”などないに等しいではないか、というのはホリエモンのみならず誰しも思うことであるが、一般的にどの事件を見ても、大概そのような運用になっているのだから、日本において裁判を受ける以上、仕方のないことと言わざるを得ないのだろう。


判決文がオープンになるまでには暫く時間がかかるだろうし、それ以外に論じるに足るだけの材料も手元に存在しないため、判決の当否に関する詳細な検討はここではできかねるのだが、裁判所が如何なる論理で堀江被告実刑判決を下したかはともかく、この結果が世の中に与える影響は、企業実務に携わる者にとっても決して芳しいものとはいえない。


例えば、上記日経新聞の坂口祐一編集委員のコラムには、

「一般市民が安心して参加するためには「違法とまでは言えない」行為も許容されない。企業法務詳しい中島茂弁護士は「素朴な常識論が通る市場でなければならない。細かい会計基準を持ち出して『合法である』と言えばコンプライアンスを矮小(わいしょう)化する」と指摘する。」(2007年3月16日付け夕刊・第1面)

というくだりがあるが、「素朴な常識論」という曖昧なものによって企業の行動が制約されてしまうような“臆病な社会”が人々にとって生きやすいものだとはとても思えないし、そのような曖昧な規範がエスタブリッシュ側による“狙い撃ち”に用いられるのは目に見えているから、結局、新しい世代、新しい企業によって生み出される社会の活力も、大いに殺がれていくことになってしまう*3


また、ライブドア株の暴落で損失を受けた、として会社や堀江氏らを訴えている個人株主らの「実刑は当然」「早く賠償に応じるべきだ」といい声も取り上げられているが(2007年3月17日付け朝刊・第43面)、そのような方々の中に、財務諸表を検討して株式を購入した人はどれだけいたのだろうか?


今回の一件で損をした人々の多くは、“ライブドアという会社が醸しだす何となく凄そうなムード”につられて株を買っただけで、株取引をやる以上は、そういったリスクも本来は自己責任の範疇で処理すべきであろう*4

株で損をした → 経営者が悪い → 損害賠償してやれ

という無責任な現象がまかり通ることになれば、当時としては合理的な経営判断、法的に許容される判断を行った企業であっても、責任を追及されることになりかねず、「投資家感情」に名を借りた刑事処罰と連動した“負のスパイラル”を加速させることになるのは目に見えている・・・。


堀江被告サイドは、既に控訴して争う気満々のようであり、失墜した「ホリエモン」ブランドの命脈を守り抜くためには、筆者としてもその方が得策であると思うのであるが、だからといって、一ITベンチャー企業の経営者が「塀の中に落ちる」という事実がこのまま覆らずに確定することによる上記のような悪影響を鑑みると、たとえ本意ではなくても「改悛の情」を示していただいて、執行猶予付きの判決にしてもらった方が良いのではないかと思ったりもしている(堀江氏自身が一番悩ましい思いを抱えているであろうことは想像に難くないが・・・)。


いずれにせよ、今回の地裁判決のニュースを聞いて、なんともやりきれない気分になったのは筆者だけではあるまい。ここぞとばかりに、堀江氏を断罪できてしまうメディアやコメンテーターの皆様方がなんとも羨ましく思えてならない週末の午後・・・。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060118/1137521432#tbhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060120/1137714626#tbhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060124/1138041640#tbなど

*2:捜査が余りに杜撰で、明確な“冤罪”といえるような事件であれば別だろうが、一般的にそこまで明確な事件がそうそうあるわけではなく、「グレーゾーン」における法解釈が問題とされる本件のような事件では、検察側のストーリーを完全に覆すのは不可能に近い。

*3:そもそも買収防衛策に血道を挙げる弁護士を紹介するコラムを大々的に組むような日経紙が、こういったコラムを掲載すること自体、大いに矛盾している。

*4:強いて他に責任を求めるのなら、「ITバブル」を意図的に演出した証券取引所やメディアに対して求めるべきだろう。

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