世の中では一般的に、特許として出願するかどうか、というのが技術の価値を図る一つのメルクマールになっているようだ。
だが、これからご紹介するような事案を見ると、特許として出願することの「デメリット」もまた大きなものであることを意識せざるを得ない。
東京地判平成19年8月29日(H17(ワ)第26738号)*1
本件は化粧品に関する処方使用契約(ノウハウライセンス契約)及び特許実施契約のライセンシー(株式会社セプテム総研)がライセンサー(皮膚臨床薬理研究所株式会社)に対して提起した債務不存在確認請求本訴事件*2に端を発するものであるが、その後本訴は取り下げられ、反訴である本件についてのみ判決が出されている。
いきなり、契約解除合意をめぐって、「取締役の利益相反取引」の論点が登場するなど*3、泥仕合の様相を呈している本件訴訟であるが、面白いのは、
「反訴原告による本件処方使用契約及び本件特許実施契約の解除後における反訴被告の不法行為の成否」
について争われたくだり。
反訴原告・被告間では、ノウハウを許諾対象とした「処方使用契約」(月額770万円)と出願中の特許(特願2002-13760号)を許諾対象とした「特許実施契約」(月額160万円)が締結されていたのだが、反訴被告側は各契約の解除後も、これらのノウハウ、出願中の特許の使用を続けていたため、不法行為の成否が問題になったのだが、裁判所は、反訴原告に帰属するノウハウの一部について反訴被告側の無断使用を認めた上で、
「本件処方(ノウハウ)は、上記(1)のとおり、本件発明に関する部分も包含すると認められるので、本件発明部分とそれ以外の本件処方部分を分けて、それぞれ、不法行為の成否について検討する」
とし、それぞれについて以下のように述べた。
ア 本件発明部分について
「発明を完成した者ないしその権利の承継人が,その発明について独占的排他的な実施の権能を取得するのは,当該発明について特許権の設定登録があった場合に限られ(特許法66条1項参照)、設定の登録前の特許を受ける権利については、その発明を実施した者に対し、一定の要件のもとで、設定の登録後に補償金の請求が認められているにすぎない(同法65条)。そうすると,そのような設定登録前の特許を受ける権利に独占的排他的実施権が存しない以上,他人が当該権利に係る発明を発明者又はその権利の承継人の許諾なく使用したとしても,特段の事情のない限り,これをもって法律上保護される利益の侵害とみることはできないものと解される。」
「本件において,本件発明についていまだ特許権の設定の登録がされておらず,出願公開がされて公知の情報となっていることは当事者間に争いがなく,その他本件発明の実施について不法行為の成立を肯定すべき事情も認められないから,本件処方(ノウハウ)の本件発明部分の実施については,不法行為を構成しないというべきである。」(50頁)
イ 本件処方部分について
(ア) 本件基本処方について
「本件対象品目の製品については,上記⑴エのとおり,全成分表示があり,その表示も配合量の多いものから順に記載され,植物エキス成分は1パーセント未満であることが認められるのであり,その包装容器等の全成分表示に接した当業者は,当該製品に配合されているすべての成分について,その種類及び各成分の相対的な配合量を把握することが可能であるといえる。」
「しかしながら,本件基本処方においては,上記のとおり,各成分の正確な配合量(量目)が記載されているので,上記全成分表示によって公表される情報を超えた内容が含まれているものと認められる。」
「したがって,本件基本処方は,配合量を開示する限度において,一定程度の経済的価値を有しており,不法行為における被侵害利益となり得るものというべきである。」
(イ)本件製造工程図について
「本件製造工程図は,上記のとおり,本件対象品目の製品の製造方法が詳細に記載されたものであり,当業者がこれを認識した場合,極めて容易に,当該製品の再現ができるというべきである。」
「反訴被告が指摘する公知の知見においても,本件製造工程図に記載されているほど詳細な製造工程や製造条件は明らかにされていない。また,そのような詳細な内容は,製品ごとの試行錯誤による最適化の作業を経て確立されるものであって,当業者の技術常識であるとまではいえないものと考えられる。」
「したがって,本件製造工程図は,その対象とする製品ごとに程度の差はあれ,相当程度の経済的価値を有しており,不法行為における法律上保護される利益となり得るものというべきである。」
(以上50-52頁)
その結果、発明部分については不法行為が成立しないが、ノウハウ部分については不法行為が成立し、実施許諾料相当の損害額が算定されることになったのである(計4987万8833円)。
特許法の落とし穴
ノウハウが経済的価値を有し法律上保護される利益となりうる、という点については判決が述べるとおりだろう。
だが、「出願中の特許発明」に対する評価には、いささか疑問が残る。
確かに特許法は、出願後登録されるまでの権利行使を「補償金請求」という形でしか認めていない。
出願公開される、ということはすなわち公知になる、ということだから、ノウハウのように秘密性に基づく財産的価値を観念することも難しいのは事実である。
しかし、本件において当事者は「月額160万円」という多額の実施料を払って出願中の特許発明を実施しているのであり、そのことは、とりもなおさず、当事者がこの出願中の特許に対して経済的価値を認めていたことの現われに他ならない。
反訴被告にしてみれば、特許が設定登録された場合に高額の実施料を請求されることを回避する、というリスクヘッジの意味もあっただろうし、現実問題として明細書に開示されている情報だけで同じものを再現することは困難という事情もあったのだろうが、いずれにせよ、当事者は「設定登録される以前の特許発明」にも価値を認めていたのだ。
そうであれば、「特許法上対価請求が認められない公知の情報だから不法行為が成立しない」という評価はいかがなものか、ということになる。
どんなに審査が迅速化したとはいっても、実際には出願してから登録されるまでの間に一定の期間を要する、という現実から免れることはできない以上、実務的に「出願中の特許」に関する実施許諾契約のニーズが失われることはない。
自らが有する様々なノウハウのうち、特に価値がありそうなものを選別して特許出願するのが通常の権利者の行動だと思う。にもかかわらず、特許法による保護の間隙ともいえる、出願公開後設定登録までの期間において、「過去に実施許諾契約を締結していた相手方」による無断使用をあっさり肯定したのでは、権利者の側としてはたまったものではなかろう。
そのことに思いを馳せた時、今回裁判所が下した判断はあまりに杓子定規なのではないか、という疑問を感じざるを得ないのである。
この後、高裁でどのような判断が下されるのか、注目したい。