聖火騒動

テレビに映るところでも若干のトラブルが報じられているし、現地に行くともっと騒々しいことになっているのだろうが、とりあえず無事、若里公園にゴールできそうな雰囲気である。


聖火を取り囲む白い服の人々と、沿道の赤い旗とチベット旗。上から見ると、集団マスゲームを見ているようでなかなか壮観。


4年に一度のお祭りだし、前の五輪以来大きく盛り上がるイベントもなかった長野のことだから(田中康夫フィーバーの頃は一瞬だけ盛り上がったが・・・)、たまにはこれくらいの刺激があった方がいいんじゃないのか*1、と(元住民としては)不謹慎ながら思ったりもしているのだが・・・。



ちなみに、チベットの旗をもって抗議している人の多くは日本人のようで、活動家らしい人々の姿もチラホラ見受けられる。


おそらく多くの人はチベットに足を踏み入れたこともなければ、この騒ぎが起きるまでは旗の存在すら知らなかったことだろう。


知らない地域で起きている「人権侵害」に対して、“グローバルな”意識で向き合おうとするのは悪いことではない。


だが、前にも書いたように、自分は今回の“チベット支持派”の行動には共感しかねている。


そもそも、主権国家が国家の一体性を保持しようと考えることが、そんなに非難されるべきことなのか。


少なくとも、日頃から在日の韓国人や中国人を揶揄している人々に、今回の件で中国を批判する資格があるかと言えば疑問である。


先住民族と移民は違う」という反論もあるだろうが、それを言うなら、日本だってアイヌの人々にこれまでどれだけ敬意を払ってきたのか?


チベットとは異なり、彼らには(名目的な)自治権すら歴史的に与えられてこなかった。


今、チベットの旗を振っている人々が、新大久保や北海道の一角で民族自決を唱える人々が出てきた時に、同じように支援できるなら、それはそれで一環した立派な態度だと思うが、多くの人はたぶん正反対の反応を示すことだろう*2


ゆえに、少なくとも今回の件に関して言えば、「中国は一つ」のメッセージも、また尊重されるべきではないか、と思うのである(台湾に関してはまた別の問題があるにしても・・・である)。

*1:少なくとも駅前のネットカフェや喫茶店あたりは特需で沸くことになるだろうし。

*2:これは日本人に限らず、聖火妨害が相次いだヨーロッパの人間とて同じことだ。

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