過ぎ去った五輪が教えてくれたこと

2021年8月8日、「開催するか否か」「観客を入れるか否か」、開幕する間際まで様々な喧騒の渦に巻き込まれ、始まってからもなお、多極化した世論の波にさいなまれ続けた東京五輪が閉幕の時を迎えた。

今回に限った話ではないが、僅か17日(+α)の間に33競技339種目を行う、というのは、一般的なイベントで言えば明らかに「詰め込み過ぎ」の部類に入る。

特に今大会のように、連日連夜、日本選手のメダル獲得の報が流れるような大会になってくると、最初の何日かは「柔道のあの選手が、水泳のこの選手が・・・」というふうに一つ一つの競技の印象が残っていても、そのうち次から次へと飛び込んでくる過多な情報に個々の競技、種目の印象が押し流され、気が付くと

「あれ、男子の1万メートルって、もう終わってたの? っていうか、え、今日でトラック競技全日程終了なの?」

みたいなことになってしまう*1

自分自身、まだ連休のさなかだった最初の何日かと、次の週末、さらに最後の何日かは、リアルタイムで競技映像を追いかけられる幸運を味わうことができたものの、平日はとてもそれどころではない状況で、その代わりに真夜中に見逃し配信を眺めて”時差ボケ”になるような有様だったから、自国開催といえどこれまでと何ら変わりなし。

唯一これまでと違うところがあったとしたら、これまでは五輪期間中、周囲のベタな世間話に付き合うのを避けるため、特に後半になると休暇をとって、北海道だったり(2008年北京)、沖縄だったり(2012年ロンドン)、挙句の果てにはロンドンにまで逃避して(2016年リオ)いたのが、今回はやむに已まれず東京に留まり続けていたことくらいだろうか。

でも、開幕の時のエントリーでも書いたとおり、東京23区内にいても日常では全く「五輪」の雰囲気を感じさせるものがなかったし、日常的に家庭内以外でその話題に触れる機会も遂に最後までなくて、全ての競技はインターネット(&一部競技のみグリーンチャンネル)を介して映像を見るだけだったから、異国の地のホテルの一室で映像を見るのと、実質的には何ら変わりはなかったような気がする*2

結果、自分にとっては今回の五輪も気が付けば一瞬、の刹那的なイベントとして過ぎ去っていっただけだった。

* * * *

もちろん、断片的にブログで書き、SNSでも呟いたとおり、数々の競技の映像には不変の、有無を言わせない迫力があった。

自分の関心は、日本の選手の勝った、負けた、というところには全くなかったし、もう何度も繰り返し、少なくとも二年に一度は同じような光景を眺めていれば、ちょっとやそっとのことで「感動」なんて感情も湧いては来ないのだが、それでも、それぞれの競技で既に実績を残してきた世界の一流アスリートたちが、素人目にも分かるくらいの卓越したレベルで競り合い、勝ちぬいて最後の最後で感情を爆発させる瞬間(あるいはそれまで実績のなかった選手に不覚を取って悲嘆にくれる瞬間)を目にするたびに、「たかが一試合」「たかが一競技会」ではないこの大会の重みはひしひしと感じさせられたし、「この舞台がなくならなくて良かった」という思いに改めて駆られたのは確かである。

また、有無を言わせぬ超大国から、こういう時にしか目にすることのない小国出身の選手まで、同じ舞台に立ち、時には国力の差を超えた”逆転劇”を演じる痛快な場面を目撃できるのがこの4年に一度の大舞台の面白さ。

そういった「世界を知る」舞台としての魅力は今回もいかんなく発揮されていたわけで、今の時代、いちいち解説されなくても、目に留まるパフォーマンスを発揮した選手のスペルをGoogleに入力すれば、これまでの実績からバックグラウンドまで瞬時に検索できる。検索結果から飛んで飛んで広い世界に改めて思いを馳せ、その一方で、お気に入りの選手のインスタを見つければすかさずフォロー・・・。

「無観客」の是非についてとやかく言われた大会でもあったが、見ている側としては、実際に現場にいる以上の迫力と臨場感*3を味わえたわけで、まさに災い転じて福となす、という状況だったような気がする*4

・・・といったようなことを書いてくると、「お前も大勢に流されて”東京五輪成功万歳”派に宗旨替えしたのか!」と言われてしまいそうだが・・・


それはそれ、これはこれ、である。

17日間の競技会で熱戦が繰り広げられた、という”成果”をもって「日本で五輪をやって良かった」とか、「東京五輪は成功した」という話に安易に持っていかれてしまうことには、やはり違和感しかない。

奇しくも、今朝の日経紙朝刊では大島三緒論説委員が、そんな違和感を見事に言語化した記事を書かれていた。

(競技会を無事遂行した現場の力は見事だった、名場面も多かった、としつつ)
「しかし、それでも「1964」がもたらしたような多幸感は社会に見いだせない。聖火が消えて、コロナ禍の日常に引き戻されるだけでなく、そもそも往時との落差があまりにも大きいのである。この大会をなぜ、なんのために開催するのか。問われ続けた大義は曖昧なまま現在に至る。通奏低音として流れていたのは、やはり64年の再来を望む意識だろう。五輪の呪縛が、政治家や官僚を捉えて離さないともいえる。このパンデミックは、そういう幻想を揺るがせた。続「1964」への疑念は名古屋や大阪への招致時にも生じていたが、コロナ禍はそれを噴出させた。人々は競技に感動しても、五輪という仕掛け自体には酔っていない。つかの間の夢から覚めれば、コロナ対応に手間取り、デジタル化は大きく遅れ、多様性尊重も掛け声ばかりという現実が目の前にある。そして急速な高齢化を伴った人口減が進んでいく。どんなにカラ元気を出しても昭和には戻れない。しかし皮肉にも、この異形の五輪は、日本人にようやく64年幻想からの脱却を果たさせるかもしれない。それは戦後史の転換点ともなる変化だ。」(日本経済新聞2021年8月9日付朝刊・第1面、強調筆者)

そう、ここで出てくるのは、現場レベルの運営の努力や技術力を「国家的プロジェクト全体」の成果として括ろうとすることへの違和感に他ならない。

確かに競技会の運営には成功した*5。破滅的なクラスタを生じさせず、あれがない、これがないというクレームも最小限に抑えた、という点では選手村をはじめとするロジ回りの運営にも合格点は付けられるのかもしれない。

だが、開会式や閉会式、さらにはその前後での国としてのブランド価値の発信も含めた「五輪」という仕掛け全体を見た時に、誘致に奔走した多くの人々が描いていた「東京五輪という大プロジェクト」の効用を発揮できたかと言えば、胸を張って「できた」と言える者はほとんどいないのではなかろうか。


17日間、開催を続けることができ、世界に「TOKYO」の名を発信し続けられたことで得られたものも当然ある。

今大会で夢叶ったアスリートはもちろんのこと、テレビ、インターネット越しでも、自国の選手の活躍を見聞きして声援を送った国の人々の何割かの心の中には「TOKYO」という都市の名前が永遠に刻み込まれたはずだ。

自分たちの世代の人間が、米国と言えばロサンゼルスやアトランタを想起し、スペインに行く時は何となくマドリードよりもバルセロナに行きたくなる(そして行くとモンジュイックの丘まで足を運びたくなる)のはなぜか。遠く離れた欧州のチェコから「NAGANO GOLD」なる馬が登場したのはなぜか。

今は世界中の国の都市が人を呼び込もうとしのぎを削っている時代。コロナ禍の無観客開催によって、短期的な経済効果が少々損なわれたとしても、17日の間に世界中の人々に刻み込まれたものは、「TOKYO」という街のブランド価値を高める記憶として残り続ける。

それこそが真の「レガシー」といっても過言ではない。


ただ、そういったプラス面を考慮しても、2013年からここまでの時間はあまりに長すぎた。

得られたものと比べても割に合わないくらいの多くのコストが費やされ、失われてしまった7年間だったが、それが報われるはずの「本番」は、不完全なまま、刹那的に一瞬で過ぎて行ってしまった。そのギャップがもたらす脱力感は誰にも否定できないものなのではないだろうか。


現代のオリンピックは、民間団体がスポンサーという「民」の力を借りて運営する純粋な民営イベントであり、参加する側も見て楽しむ側もあくまで「個人」のレベルで幸福を享受する、ということに重きが置かれていたもののはずである。

ところが、東京での開催が決まったことで、お上がしゃしゃり出て何とか盛り上げようと躍起になり、開催国の威信にかけて「メダルをたくさん取ろう」とか「国民が団結して盛り上げよう」みたいなことを言い出したことで、変な空気が生まれてしまった。

新型コロナ禍下での開催となったこともあって、閉幕まで国内世論が「分断」されていたことが指摘されているが、たとえ新型コロナがなかったとしても、日本政府の振り回す旗に乗って「団結して盛り上がる」なんてことには、この五輪に関しては決してならなかっただろう。

個人のレベルを超えて「国民の統合」といったような大仰なお題目を実現するには、この国は良い意味でも悪い意味でも「大人」になり過ぎたのだ

たとえコロナ禍が終わっても、五輪が歴史ある民主主義国家で開催される限り、同じようなことは繰り返されるはず。

個人的には次のパリ五輪も、その次のロサンゼルス五輪も、開催に辿り着くまでの道のりは決して容易なものではないと思っているが*6、仮にこれらの五輪が成功するとしたら、それは、政治の出番を極力薄めた純粋に私的な、あるいは個人的なイベントとしての色を前面に打ち出せたときだろう。

逆に、IOCが国家レベルのイベントとして開催国が惜しみなくリソースを割いてくれるような環境に焦がれるならば、原油天然ガスで潤っている独裁国家*7にでも開催を委ねるほかない*8

この先の五輪が、そしてそれを取り巻く国際政治情勢がどう変わっていくのか、なんてことは誰にも予測できないことではあるのだけれど、この「TOKYO 2020」の教訓が五輪の将来にほんの少しでも影響を与えることができるなら、「刹那な夏も決して無駄なものではなかった。」と言えるような気がするので、それだけを楽しみに、ここからの3年をまた追いかけていければ、と思うところである。

*1:日本選手がメダルを取れなかった競技だと当然そうなるし、取った競技ですら、58個のメダリスト全部思い出せるか?と聞かれて答えられる人はそうそういないだろう・・・。

*2:もちろん、国内にいたからこそ、豊富な生の映像コンテンツに接することができたわけで(時代とともに変わるもの、変わらないもの。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)、その意味では「自国開催」での”地元の利”を十分に堪能できていたのは確かなのだが・・・。

*3:生の映像がストリーミング配信されたことで、「試合中の選手の表情」のように放送用のカメラワークなしには得られない情報に接しつつ、本来なら現場でしか味わえない「試合中に飛び交う掛け声」や「試合と試合の間の独特の間」まで堪能することができたのは、実に幸運なことだった。

*4:当の選手たちにとってはどうなのか?という議論もあったが、結果的にはどの会場を見回しても「完全なる無観客」で行われていた例はほぼ皆無で、他の種目、他の競技の選手たちをはじめとして、勝手知ったる大会関係者の声援が随所に響き渡っていたから、過度に乱されずにプレーに集中したいアスリートにとっても、気兼ねなく仲間たちを応援したい関係者にとっても、結果的にはベストに近い環境になったのではないかな、と思うところである。

*5:前々から問題になっていた暑熱対策に関しては、やっぱり・・・というエピソードがあちこちで散見されたものの、選手の要望等も取り入れながら何とかギリギリのところで耐えしのいだところもあって、「想定の範囲内」に収まった、という評価が妥当なところだと思う。

*6:パリに関しては、大統領があのマクロンで市長は野党政治家、という日本と似たような微妙なねじれがあるし、来年の大統領選の結果次第ではそれがより複雑な関係になってくることも当然あり得る。その先のロサンゼルスにしても、7年後にアメリカという国が「1つの国」であり続けられるかどうかは、今の時点では想像もつかない。そして何より、開催地がフランス、米国といった地域政治の中心国であるがゆえに、それぞれの国の五輪も複雑怪奇な国際政治の波に翻弄されるリスクを常に秘めているといえる。

*7:中東諸国はもちろん、アゼルバイジャンカザフスタンといった国々でもその程度のリソースを確保することは、そこまで難しいことではない気がする。

*8:もちろん、多様性を重んじるIOCが、そういった国々での開催を是とするか、という問題は当然あり得るのだが、そんな贅沢を言える時代ではなくなりつつある、ということにも目を向ける必要はある。

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