日本版フェアユース規定の行方

新聞を見ても、テレビを付けても、「今年一年を振り返る」系の特集が目白押しな季節なのであるが、著作権法界にとっての2008年を一言でまとめるなら、

「『ダビング10』で始まり『フェアユース』で終わった一年」

ということになるのではなかろうか*1


本ブログでも、これらのテーマについて何度か取り上げているところである。


◆「ダビング10」問題について

「私的録音・録画補償金」問題、最終局面へ。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080509/1210268120
実るか援護射撃。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080521/1211301929
時代は動くのか?
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080528/1211911829
主役不在の迷走
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080601/1212341994
意外な落としどころ
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080617/1213811901
予定調和的決着。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080620/1214015579
Endless War
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080710/1215710559


◆「フェアユース」問題について

「挑戦」することの難しさ
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080708/1215560447
著作権法は「大陸法」的か。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080825/1219707166
フェアユース」待望論にまたしても水を差してみる
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080908/1220916747


ダビング10」の話は、結局、五輪商戦に紛れて静かにフェイドアウトしていってしまった感があるが*2、今年突如として導入機運が盛り上がってきた「フェアユース」の方は、勢いそのまま、翌年に引き継がれていきそうな気配である。


筆者自身、これまでの権利制限規定をめぐる審議会の不毛な議論*3を見るたびに、「フェアユース」のような包括的規定が必要なんじゃないか、と考えてきた側の人間だから、本来なら両手を挙げて歓迎したいような話であるはずだ。


だが、そこはひねくれ者の悲しい性、「万能兵器」としての「フェアユース」規定の効用が巷で盛んに吹聴されているのを見聞きするたびに、懐疑的な思いに駆られるようになってきてしまっているのは否めない*4




年末に発刊された『BUSINESS LAW JOURNAL』2009年2月号には、本エントリーと同じタイトルで、上野達弘・立教大学准教授の冷静かつ客観的な見解が掲載されており、その中で語られている内容は、現時点で導入推進派が拠って立つ見解としては、もっとも信頼できる部類に属するものだといえるだろう。


しかし、そこにも若干引っかかるところはある。


例えば、上野准教授は、日本版フェアユース規定を

「(著作権法の厳格解釈による不都合を回避するため)根拠条文となる一般条項を設けるとともに、考慮要素を明示することにより、裁判官がどのような事情をどのように考慮して判断すべきかを明確にすることで、その判断に一定のコントロールをおよぼすべき」
(上野達弘「日本版フェアユース規定の行方」Business Law Journal11号19頁)

もの、と定義されており、「考慮要素を明示した一般条項」とすることで、「判断基準が不明確となるのではないか?」という批判に応えようとされている。


だが、その「考慮要素」が、上野准教授が「参考にな(る)」と紹介しているような、「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様」といったレベルのものに留まるのであれば、それが法的安定性を高めるとは必ずしも言い難いのではないかと思う*5


逆に、「法的安定性を高める」ことを期待して考慮要素を付加すればするほど、権利制限が認められる範囲を狭めるための突破口を権利者側に与えることになり、結局はフェアユース規定の趣旨が没却されるようなことすら懸念される。

「もともと私が日本版フェアユースとして念頭においていたのは、個別の制限規定を厳格解釈したために不当な結果になってしまう事態を救済するための規定でした。こうしたいわば防御的な規定であれば、裁判上の結論としては、あってもなくても基本的に変わらないような規定になろうかと思います。」(同19頁)

という上野准教授のスタンスは、今の状況を考えると極めて現実的なものであって、筆者としても異論はない。


だが、そうであれば、端的に「個別の権利制限規定に該当しない場合でも権利が制限される場合がある」ということを明示すれば足りるのであって*6、今後の議論が「考慮要素」をめぐる議論に終始するのであれば、従来同様、審議会の先生方の英知の用い方としてはあまりに勿体ないことになるような気がしてならないのだ*7



ちなみに、この論稿の中で最も印象に残るフレーズは、

「日本版フェアユース規定があれば、打ち出の小槌のようにどんな問題にも対応可能ということはないと思います」(同20頁)

というくだりで、上野准教授は、

「これまで裁判例等において違法とされてきた一定の行為についても、フェアユース規定によって合法化すべきという期待もあるようです。(略)しかし、果たしてそのような広い適用範囲をもったフェアユース規定が妥当なのか疑問が残ります。アメリカでもフェアユース規定ができる前から裁判例においてフェアユース的な判断が積み重ねられてきたわけであって、明文の規定はそれを根拠づけたにすぎません。現行の日本法で裁判例がすでに違法としてきたものが、フェアユース規定ができたことで簡単に適法になるというのは難しいのではないかと思います」(同20頁)

と述べて、「違法とされてきたサービスを適法とする」直接的な法改正等を経ずして、安易にフェアユース規定に依拠しようとする動きをけん制されている。


我が国の裁判所がこれまで「フェアユース的な判断」を積み重ねてきていたかどうかはともかく*8、「打ち出の小槌ではない」という点については、筆者も大いに同意できる。


だが、そうなると、なおさら、「フェアユース」規定を導入することの意味が問われることになるのは間違いない*9



結局のところ、今、「フェアユース」規定を導入する背景事情として挙げられている問題一つひとつをとってみると、

「どれほどのメリットがあるのか疑わしい場面でまで、杓子定規的に権利を主張する著作権者」
「自制心を持つことなく、著作権者の利益を明らかに害するような行動を平然と行うユーザー」
「一方当事者(特に権利者側)の立場に偏った見解を構成しがちな学者や立法担当者」
「本来、創造的法解釈は得意なはずなのに、なぜか権利制限規定の適用場面ではそれをためらう裁判所」
そして、
著作権侵害になるリスクが、リスクが・・・と唱えながら結局チャレンジすることさえ躊躇する事業者」

といった当事者の行動に全ては帰着するように思えてならない。


ゆえに、「フェアユース」規定が、著作権法を取り巻くこれらの当事者のマインドを動かすくらいにインパクトのあるものにならなければ、結果的に「大山鳴動して・・・」という事態に陥ることも覚悟しなければならないだろうと思う。



来る2009年が、「著作権法にとっての一大転換点」として長く記憶される年になるのか、それとも「お馴染みの光景にため息を付くありがちな一年」として忘れ去られてしまうことになるのか*10


当然ながら筆者に予知できる能力はないし、流れを変える力があるはずもないので、ここは一つ、期待せずに温かく見守るのが一番なのだろうが・・・。まだまだ先は長そうだ。

*1:違法複製物ダウンロード違法化の問題なども盛り上がっていたが、「私的使用」が問題になっている点では「ダビング10」と同根なので、ここは一つに括っておくことにする。

*2:もちろん水面下では関係者間での激しいせめぎあいがあったと推察されるが・・・。

*3:部屋の本棚を5?動かすのに、喧々諤々と1年かけて議論するイメージ。

*4:上に挙げたエントリーの中にも、そんな思いがにじみ出ている・・・。

*5:現に、当の同一性保持権に関する著作権法20条2項4号にしても、「引用」規定にしても、文言の抽象性ゆえに様々な解釈が出てきているし、裁判所の判断も決して安定しているとは言い難いのが実情であろう。

*6:何らかの「考慮要素」を手掛かりに、実質的な「適法」/「違法」の境界線を動かすことを意図しないのであれば、少なくともユーザーにとっては「考慮要素」を付加する意味はなくなる。

*7:フェアユース規定に頑なに反対する権利者側に対するエクスキューズとして「考慮要素」の存在をアピールするのであれば分からなくもないのだが、そこまでして導入する「フェアユース」規定にどれほどの意味があるのか、筆者には良く分からない。

*8:そもそもその点に対して懐疑的な意見がユーザー側を支配していたからこそ、フェアユース規定導入の機運が盛り上がってきたような気がするのだが・・・。

*9:上野准教授は、「私のいう一般条項はあくまで受け皿規定でありますから、今後も個別規定を整備する意義は失われません。むしろ個別規定と一般条項のタイアップによって安定性と柔軟性を兼ね備えた判断基準が実現されるのではないか。」(20頁)と述べられているが、著作権法20条2項4号の古典的解釈(1〜3号の列挙事由から4号まで限定的に解釈してしまう、というもの。)を見るまでもなく、「個別条項と一般条項」という住み分けがうまくいく保証はないのであって、先に挙げた「考慮要素」の問題と合わせて、「フェアユース」規定導入後も引き続き個別の権利制限規定の導入を進めていくことで、ますます解釈が歪になっていく悪夢も想定しておかなければならないだろう。

*10:もちろん、その時のインパクトはたいしたことがなくても後から振り返ると「あれが一大転換点だった・・・」と評価される可能性はあるので、来年末の時点で即断はできないのだが。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html