必ず押さえておきたい一冊。

公刊された当時からあちこちで盛り上がっていたようなので、今さら・・・の感は強いのだが、“著作権にかかわる人なら必ず押さえておきたい一冊”、として、福井健策弁護士の『著作権の世紀』をご紹介しておくことにしたい。


著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)


著作権」にあまり馴染みのない方にとっては、本書の序盤で展開される著作権制度の分かりやすい解説(豊富な実例とふんだんに使われている写真等の「引用」*1が、無味乾燥になりがちなこの種の話を非常に魅力的なものにしている)だけでも読む価値があるし、以前「延長問題を考えるフォーラム」の動きなどをウォッチしていた身としては、著者の方の思い入れが伝わってくる、 第4章、第5章あたりにも読みごたえを感じる。


だが、本書の一番の魅力は、やはり、近年の「著作権の変容」現象を明快に説明し、これと一見結びつきにくい*2「情報の囲い込み」という現象を、「疑似著作権」等のキーワードを使って関連付けることにより、現在の「『情報の流通と独占』のかたち」*3を解き明かそうとしたところにあるのではないだろうか(章でいえば、第6章〜終章)。


後者の「情報の囲い込み」に関しては、個人、会社、団体を問わず、物の“パブリシティ権”を主張したり、文章中の商標使用を規制したり、といった、「自由利用の領域にありそうな情報をさまざまな手段で囲い込む努力」*4を行っている“権利者“が多かったにもかかわらず(そして、そのような「囲い込み」の背景にはそれなりの理由があって、単に「明確に法で保護されている領域ではないから」という理由だけで、そのような行為自体を一概に不合理なものとして排除するのはいかがなものか、と思える状況があったにもかかわらず)、これまでは、このような現象が、無視されたり、単なる慣行として捨象されたりすることが多かった。


しかし、福井弁護士は、「占有される情報」と「自由に利用できる情報」の間の境界線が「曖昧」であり、かつ「変動」しうるものであることを認めた上で*5

「議論の過程で、曖昧で不公正な「グレー領域」は明確化されていくべきです。しかし筆者は、グレー領域がまったく無くなるべきだとは思いません。「多次的創作」で触れたとおり、そのなかには、微妙に関係者の価値観やビジネス上の事情が反映され、バランスがはかられているケースがあるからです。」(本書223頁)

として、「やわらかい法律」としての著作権の未来像を考えていくことを提唱され、本書の結びとされている。


情報の自由利用の価値を非常に重視しておられる福井弁護士の「疑似著作権」に対する評価と、自分のそれに対する評価とでは、ちょっと違ってるな*6、と思うところも多いのは事実で、福井弁護士のご主張(というか、評価のニュアンス)のすべてに、自分が共感できるわけではない*7


それでも、<情報の海>と題された215頁の図に象徴されるような、古典的な「著作権」の領域と、その周辺にある“囲い込み”を同じ次元で分析しようとする手法は、実務的にしっくり来るものだし、この点に関しては非常に共感できるところが多いのである。



いずれにせよ、「新書」という表現媒体を最大限活用したこの一冊なくして、現在の著作権は語れない。


これまで著作権にあまり興味がなかった人もそうでない人も、あるいは、「フェアユース」の導入を待ち望んでいる人もそうでない人も、是非一度読んで欲しい・・・そんな一冊である。

*1:なお、著者の福井先生は、法の本来の趣旨に沿う形での「引用」(著作権法32条等の要件を満たしている限り、著作権者の権利は制限され、個別に許諾を取る必要はなくなる)を行うことにこだわりを持っておられるようで、個々の写真等には丁寧に出所明示がなされているし、「あとがき」にも「○○の許可を得て掲載した云々」というコメントに代えて、「筆者の責任で選択し掲載した」旨がきっぱりと明記されている。

*2:というか、「著作権法」という土俵の上で論じられることが少なかった

*3:本書5頁「はじめに」より。

*4:本書209頁。

*5:本書219-223頁。

*6:自分は、顧客吸引力を冒用しようとする類のフリーライドを、ある種の“囲い込み”によって防衛しようとすること自体は、もっと許容されて良いのではないかと思っている。それを著作権法の延長線上で考えるかどうかは別として。

*7:もっとも、本書全体を通して、筆致がバランス感覚に優れており、異なる意見が述べられているフレーズでもさしたる不快感は感じない。この点も実に素晴らしい(笑)。

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