最高裁決定の読み方

東京地裁で無罪判決が出されて以来、当ブログでもフォローしていた「(インターネット上の書き込みによる)名誉棄損被告事件」に対し、最高裁が判断を示した。

「個人利用者によるインターネット上の表現行為と、新聞や雑誌といった従来の媒体での記載とで、名誉棄損罪の成立要件を区別すべきかが争われた公判の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は16日までに、表現媒体によって区別をしないとする初判断を示した。」(日本経済新聞2010年3月17日付朝刊・第42面)

インターネット上で個人が発信する情報の価値を軽視したかのようにも読めてしまう東京地裁判決の判旨(結論としては被告人無罪)*1に比べ、被告人を有罪とした東京高裁判決の判旨*2の方が、多くの良心的なユーザーには好意的に受け止められているのではないかと思うし、自分も高裁の考え方でいいんじゃないかな? と思っていたところだけに、今回の決定(最一小決平成22年3月15日*3に対しても、さほど違和感はない。


もっとも、アップされた決定文を見ると、原判決が認定した「罪となるべき事実」の要旨は、

「被告人は,フランチャイズによる飲食店「ラーメン甲」の加盟店等の募集及び経営指導等を業とする乙株式会社(平成14年7月1日に「株式会社甲食品」から商号変更)の名誉を毀損しようと企て,平成14年10月18日ころから同年11月12日ころまでの間,東京都大田区内の被告人方において,パーソナルコンピュータを使用し,インターネットを介して,プロバイダーから提供されたサーバーのディスクスペースを用いて開設した「丙観察会逝き逝きて丙」と題するホームページ内のトップページにおいて,「インチキFC甲粉砕!」,「貴方が『甲』で食事をすると,飲食代の4〜5%がカルト集団の収入になります。」などと,同社がカルト集団である旨の虚偽の内容を記載した文章を掲載し,また,同ホームページの同社の会社説明会の広告を引用したページにおいて,その下段に「おいおい,まともな企業のふりしてんじゃねえよ。この手の就職情報誌には,給料のサバ読みはよくあることですが,ここまで実態とかけ離れているのも珍しい。教祖が宗教法人のブローカーをやっていた右翼系カルト『丙』が母体だということも,FC店を開くときに,自宅を無理矢理担保に入れられるなんてことも,この広告には全く書かれず,『店が持てる,店長になれる』と調子のいいことばかり。」と,同社が虚偽の広告をしているがごとき内容を記載した文章等を掲載し続け,これらを不特定多数の者の閲覧可能な状態に置き,もって,公然と事実を摘示して乙株式会社の名誉を毀損した」

というものであり、太字部分の表現の過激さを考えると、名誉棄損罪の成立を否定する要件を多少緩めたところで、違法性が阻却されると言い張るにはちょっと難しい事案だったように思えてならない*4


それゆえ、理屈としては正しくても、本件の判断において、

「個人利用者がインターネット上に掲載したものであるからといって,おしなべて,閲覧者において信頼性の低い情報として受け取るとは限らないのであって,相当の理由の存否を判断するに際し,これを一律に,個人が他の表現手段を利用した場合と区別して考えるべき根拠はない。そして,インターネット上に載せた情報は,不特定多数のインターネット利用者が瞬時に閲覧可能であり,これによる名誉毀損の被害は時として深刻なものとなり得ること,一度損なわれた名誉の回復は容易ではなく,インターネット上での反論によって十分にその回復が図られる保証があるわけでもないことなどを考慮すると,インターネットの個人利用者による表現行為の場合においても,他の場合と同様に,行為者が摘示した事実を真実であると誤信したことについて,確実な資料,根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限り,名誉毀損罪は成立しないものと解するのが相当であって,より緩やかな要件で同罪の成立を否定すべきものとは解されない(最高裁昭和41年(あ)第2472号同44年6月25日大法廷判決・刑集23巻7号975頁参照)。」(2-3頁)

とまで、きっぱりと説示する必要があったのかどうか、ちょっと疑問も残るところだ*5


また、上記一般論に対応して引用された、

「被告人は,商業登記簿謄本,市販の雑誌記事,インターネット上の書き込み,加盟店の店長であった者から受信したメール等の資料に基づいて,摘示した事実を真実であると誤信して本件表現行為を行ったものであるが,このような資料の中には一方的立場から作成されたにすぎないものもあること,フランチャイズシステムについて記載された資料に対する被告人の理解が不正確であったこと,被告人が乙株式会社の関係者に事実関係を確認することも一切なかったことなどの事情が認められる」

という認定事実にしても、太字強調部分で指摘されているようなことは、多かれ少なかれ、一般的な批判記事を書いているユーザーの多くにも当てはまることで、この判断要素を抜き出して一人歩きさせるのが適切かどうか、ということについては、もう少し検討する必要があるように思う*6


まぁ、冷静に考えれば、名誉棄損罪というのは、

「公然と事実を摘示し」

て初めて成立しうるものなのであるから、書く側で、「事実」と、それ以外の「推論」や「評価」とをきっちり切り分ける姿勢を忘れなければ*7、表現が著しく制約されることにはならないだろう、とは思っているのだが・・・。



なお、個人的には、(せっかくなので)今回の最高裁決定を自分自身の表現の仕方を見直す良いきっかけにしようか、と考えているところである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080302/1204502652参照。

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090201/1233593669参照。

*3:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100317094900.pdf

*4:これまで、地裁、高裁の判決全文に接する機会がなかったため、具体的にどういう表現だったのか、ということが(記事だけからだと)分かりにくかったのだが、これで心から結論に納得することができた(苦笑)。

*5:もっとも、この判旨によっても、あくまで比較対象は「個人が他の表現手段を利用した場合」であり、最高裁がインターネットにおける個人の表現行為を、報道関係者等の“プロ”が表現行為を行う場合と同視した、とまで言うことはできない。

*6:この辺りは、あくまで本件事案に即した考慮要素、と割り切った方が、無用な萎縮効果を避けるには望ましいのかもしれない。

*7:時には、切り分けたつもりでも、そのようには理解されないこともあるから、ちょっとややこしいのだが・・・。

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