考えさせられるところが多い一冊。

連休中に暇を見ていくつか書を読んでいたのだが、中でも印象に残ったのが、↓である。


俺たち訴えられました!---SLAPP裁判との闘い

俺たち訴えられました!---SLAPP裁判との闘い


4部構成だが、いずれも週刊誌等を活躍の場としているフリーライター2氏(+α)の対談形式、という体裁になっていることもあり、全編を通じて読み物風の柔らかさがある。


だが、そこで語られている中身は、かなり深い。




本書には、「訴えられる側」の当事者として「名誉棄損訴訟」に直面した方にしか書けない、ルポルタージュ的要素がぎっしり詰まっている*1


特に“60件訴えられた”という西岡研介氏の“裁判に向けた周到な準備”の有り様(特に弁護士とのやり取りや、火種となった雑誌編集者等とのやり取りの様子など)から学ぶべきところは多いのではなかろうか。


本書の副題が「SLAPP裁判との闘い」*2となっていることからもわかるように、本書の中では、訴訟という手段を用いてメディア上の“書き手”の表現を“妨害”しようとする“名誉棄損の被害者”の行動に激しい批判の刃が向けられているのだが、かといって、西岡・鳥賀陽両氏が、本書の中で現状のメディア報道(特に週刊誌報道)の有り方を全面的に擁護しているわけではない。


取材力不足、編集側の危機回避能力の弱さといったものに起因する、新聞・雑誌メディアの“劣化”現象を指摘し、それを憂いつつも、“俺たちは違う!”という強烈なプライドに下支えされた発言が並ぶ*3


そこに、本書の潔さと爽快さがある、といえるだろう。


本書の著者たち、特に鳥賀陽氏が力説する「反SLAPP」という発想が、彼らが直面した個別事例を離れて*4、一般論として今の世の中にどこまで浸透していくか、ということについては懐疑的な思いもあり*5、自分も彼らの主張に全面的に依拠しようとは思わない*6


だが、本書で語られている生々しいエピソードと、汗がほとばしるような“熱い”発言の数々を見ていると、一見単純に見える「名誉権(or プライバシー権等)侵害」事例であっても、その背後に隠された当事者の思惑を読み取り、(当事者の代理人になったような場合には)その構図を端的に裁判所に伝えるための努力が欠かせない、ということを思い知らされる。


また、著者であるライター両氏と出版界の人間の対話にとどまらず、“訴える側”の弁護士*7との対談も組まれている(第四部「矢田次男弁護士に聞く‐訴える側の理屈」)ことが、本書をより奥深いものにしていると思う*8


本書のタイトル等を見ただけで、“トンデモ本”的な嫌悪感を抱く人ももしかしたらいらっしゃるのかもしれないが、「表現の自由」と「名誉権」との関係を真摯に考えてみよう、と思った方*9には、是非読んで欲しい一冊である。

*1:自分が当事者になった裁判のルポみたいな本は他にもあるが、本書は、プロのライターが自ら経験したことを表現しているだけあって、読み応えは十分だ。

*2:本書において「SLAPP訴訟」という語は、「自分に不利な情報や意見が公にになることを妨害するための民事訴訟」と定義されている(例えば8頁)。

*3:本書の著者たちのこういった自己認識が客観的に見て正しいのかどうか、といった評価は、その業界の方々に委ねたいと思うが。

*4:鳥賀陽氏が抱えていたオリコン訴訟にしても、西岡氏が抱えている革マル訴訟にしても、「名誉棄損訴訟」という類型の事件としてはかなり特殊な部類に属すると思われるものである。西岡氏の事件については、最高裁HPにもいくつか下級審での判決がアップされているが(さいたま地判平成19年4月27日(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070518163139.pdf)、広島地判平成19年5月25日(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070619150244.pdf)、これらが明確な法的根拠なくして提起された訴訟であることは、両判決を一読すれば容易に想像できるだろう。

*5:ちょうど訴訟進行中に構成された対談、ということもあってか、鳥賀陽氏の発言はやや感情的になっているところがあり、特に対オリコン訴訟で被告敗訴を導いた裁判所や代理人弁護士に向けられた発言は、若干辛辣に過ぎるくだりもあるように思う。それがその後に続く「反SLAPP」の主張のインパクトを落とす結果につながっていることも否定できない。

*6:そもそも、個々の訴訟が彼らが定義する「SLAPP訴訟」に該当するかどうか、の判断も現実にはかなり難しいのではないかと思う。

*7:ジャニーズ事務所等の代理人として名誉棄損訴訟を提起した経験のある、のぞみ総合法律事務所の矢田次男弁護士

*8:被告となったライター2氏との“ガチンコ対決”的要素をはらむ対談であるが、議論がかみ合う形で、双方の主義主張がうまくまとめられており、かなり面白い。

*9:もちろん、民事訴訟ってどんなんだろう?といった、より単純な動機でも読んでも十分に意義はある中身だとは思う。鳥賀陽氏の事件の、地裁で敗訴した後の高裁での訴訟戦術や和解協議のプロセスなどを描いたくだりはそれ自体貴重でもあるし。

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