人騒がせな審査官

日経紙に、珍しいジャンルの特許権侵害請求事件の記事が掲載されている。

「切り餅がきれいに焼ける技術に関する特許権を侵害されたとして、越後製菓新潟県長岡市)が「サトウの切り餅」で知られる佐藤食品工業新潟市)を相手取って製造差し止めと賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であり、大鷹一郎裁判長は請求を棄却した。」(日本経済新聞2010年12月1日付朝刊・第38面)

記事によれば、原告である越後製菓の特許は、「餅の周囲に切り込み(スリット)を入れることで焼いたときに餅がきれいに膨らみ、形崩れを防ぐ」というもののようであるが、こんな単純な特許で何でまた訴訟にまでなってしまったのか、判決を見ながら考えてみることにしたい。

東京地判平成22年11月30日(H21(ワ)7718号)*1

原告:越後製菓株式会社
被告:佐藤食品工業株式会社

原告には代理人として末吉亙弁護士ら、潮見坂綜合法律事務所(旧・末吉綜合法律事務所)*2の弁護士等が付き、被告側代理人には島田康男弁護士らが付く、という、特許訴訟の分野で名高い代理人同士の戦いでもあるこの事件。

問題になった特許は、発明の名称を「餅」とする特許第4111382号*3で、特許請求の範囲には以下のような記載があった。

【請求項1】
焼き網に載置して焼き上げて食する輪郭形状が方形の小片餅体である切餅の載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に長さを有する一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設け,この切り込み部又は溝部は,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に一周連続させて角環状とした若しくは前記立直側面である側周表面の対向二側面に形成した切り込み部又は溝部として,焼き上げるに際して前記切り込み部又は溝部の上側が下側に対して持ち上がり,最中やサンドウイッチのように上下の焼板状部の間に膨化した中身がサンドされている状態に膨化変形することで膨化による外部への噴き出しを抑制するように構成したことを特徴とする餅。」(4〜5頁、太字筆者)

これに対し、「争いのない事実」として認定されている被告製品の構成は、

a 焼き網に載置して焼き上げて食する輪郭形状が直方形の小片餅体である切餅の
b1 上面17及び下面16に,切り込み部18が上面17及び下面16の長辺部及び短辺部の全長にわたって上面17及び下面16のそれぞれほぼ中央部に十字状に設けられ,
b2 かつ,上面17及び下面16に挟まれた側周表面12の長辺部に,同長辺部の上下方向をほぼ3等分する間隔で長辺部の全長にわたりほぼ並行に2つの切り込み部13が設けられ,
切り込み部13は側周表面12の対向する二長辺部に設けられている
d 餅。
(5頁)

というもの。

もし仮に、原告特許の請求項の記載が、「切餅の側周表面のみに切り込み部を設ける」というものになっていたとしたら、側周表面だけでなく上にも下にも切り込みが入っている被告製品は、非侵害だ、という結論が比較的あっさり出ただろうし、訴訟にまでもつれ込むこともなかったのではないかと思う。

だが、上記のとおり、原告特許の請求項の記載が、「載置底面又は平坦上面ではなく・・・側周表面に」という日本語として微妙に解釈が分かれうる表現になっていたことが、すっきりとした解決を妨げることにつながった。

そして、何よりも以下のような登録審査時の審査官とのやり取りが、原告により強硬的な姿勢を取らせる一因となったものと思われる。

すなわち、原告は出願後、平成17年5月27日付けの拒絶理由通知に応答して、同年8月1日付けの手続補正書等で、いったん、

「小片餅体の載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の側周表面のみに」(斜体が補正部分、太字は筆者)

と構成を限定したにもかかわらず*4、その後の平成17年9月21日付け拒絶理由通知において、

「「「小片餅体の上側表面部の側周表面のみに,」(補正後の請求項1)は願書に最初に添付した明細書又は図面(以
下「当初明細書等」という。)に記載されていない。当初明細書等には「小片餅体の・・・上側表面部の側周表面に,」との記載(請求項2)及び「小片餅体1の・・・上側表面部2の側周表面2Aに,」との記載はあるものの(発明の詳細な説明の段落0011),記載された事項から「のみ」であることが自明な事項であるとも認められない。」

と、上記補正が要旨変更に当たると指摘され、それに対応した平成17年11月25日付け意見書で、

「切り込みが側周表面にのみ存するとの点については,審査官の要旨変更とのご指摘を踏まえて,元通り「のみ」を削除し,この「のみ」であるか否かは出願当初どおり請求項には特定せず,本発明の必須の構成要件でなく出願当初通り「のみ」かどうかは本発明と無関係と致しました。」
「この切り込みを形成する小片餅体は,先回の補正と同様に焼き網に載置して焼き上げて食する小片餅体(丸餅あるいは切餅)であって,この上側表面部の側周表面に前述のように切り込みを設けて焼き上げるに際して膨化による外部への噴き出しを抑制するように構成した点を明確に特定致しました。」
「この点に真に本発明の画期的な創作性があるのです(尚,この最中サンドのように膨れて持ち上がるように焼き上がることが本発明の最も重要な必須の発明ポイントであり,この発明ポイントが重要なのであって,勿論見た目が悪くなっても構わなければ平坦上面にも更に切り込みを追加しても構わないことは言うまでもないことです。)」

と述べ、「のみ」を削除する等、最終的な請求項の記載とほぼ同じ形に補正することによって、本件特許の登録を受けることができたのである*5

「審査官が限定してはダメといったから限定しなかった」
     ↓
「その結果登録できたのだから、「側周表面に切り込み部を設ける」という構成に限定して解釈すべきではない」

という理屈は、一応理解できなくもない。

その結果、被告に対する製造等差止め、及び14億8500万円という巨額の損害賠償金の支払いを求める訴訟へと発展したのであるが・・・

裁判所が出した結論

結論として、裁判所は、明細書に記載されている本件特許発明の作用効果等を参酌しつつ、

「本件発明の特許請求の範囲(請求項1)の記載及び前記(イ)の本件明細書の記載事項を総合すれば,本件発明は,「切り込みの設定によって焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に,焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化でき」るようにすることなどを目的とし,切餅の切り込み部等(切り込み部又は溝部)の設定部位を,従来考えられていた餅の平坦上面(平坦頂面)ではなく,「上側表面部の立直側面である側周表面に周方向に形成」する構成を採用したことにより,焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に,「切り込み部位が焼き上がり時に平坦頂面に形成する場合に比べて見えにくい部位にあるというだけでなく,オーブン天火による火力が弱い位置にあるため,焼き上がった後の切り込み部位が人肌での傷跡のような忌避すべき焼き形状とならない場合が多い」などの作用効果を奏することに技術的意義があるというべきであるから,本件発明の構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,・・・切り込み部又は溝部を設け」との文言は,切り込み部等を設ける切餅の部位が,「上側表面部の立直側面である側周表面」であることを特定するのみならず,「載置底面又は平坦上面」ではないことをも並列的に述べるもの,すなわち,切餅の「載置底面又は平坦上面」には切り込み部等を設けず,「上側表面部の立直側面である側周表面」に切り込み部等を設けることを意味するものと解するのが相当である。」(47頁)

と、「切り込み部」の部位を「側周表面」に限定する、という解釈を採用した。

そして、クレーム解釈に関する原告の主張を一通り退けた上で、出願経過についても、

「上記認定事実によれば,原告は,本件特許の出願過程において,積極的に「(切餅の上下面である)載置底面又は平坦上面ではなく,切餅の側周表面のみ」に切り込みが設けられることを主張していたが,その主張が,平成17年9月21日付け拒絶理由通知(甲9)に係る拒絶理由によって認められなかったため,これを撤回し,主張を改めたものというべきであるから,本件発明では切餅の上下面である載置底面及び平坦上面に切り込みがあってもなくてもよいことを積極的に主張し,その結果,本件発明について特許すべき旨の審決がされたとの原告の主張は,その前提において失当である。」
「このように,原告が主張する前記a?の点は,本件特許の出願人である原告が,特許庁に提出した意見書等の中で,本件発明の構成要件Bに関して原告主張の解釈に沿う内容の意見を述べていたということ以上の意味を有するものではなく,このような事情が,本件発明の特許請求の範囲(請求項1)の解釈に直ちに結びつくものとはいえない。」(66頁)

と原告側の主張を一蹴したのである。

当初、「のみ」を付して構成を積極的に限定しようとしたのが原告の方だった、という事実が、裁判所の心証に大きく影響しているのは間違いない。

また、本件では無効論にまで踏み込んだ判断はなされていないものの、「餅に切り込みを入れるかどうか」というシンプルな発明である以上、仮に、原告が主張するような解釈を採用したとしても、容易想到性の観点から、特許無効の抗弁がピタリとはまる可能性は高かったのではないかと思われる。

だが、出願経過において、審査官が“あえて”構成を限定させずに登録に導いた、という事実は重いわけで*6、原告としても、今回の結論に対して、いろいろと思うところは多いのではないだろうか。

約15億円の請求の落とし前をどうつけるのか、今後の展開に注目したい。

*1:民事第46部・大鷹一郎裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20101203173939.pdf

*2:ちょうど1年前に名称を変更されたようである。今回初めてそれを知り、恐縮した次第・・・。http://www.stwlaw.jp/ja/overview.html

*3:平成14年10月31日出願、平成20年4月18日登録。

*4:ちなみに、出願当初のクレームの記載は、「角形の切餅や丸形の丸餅などの小片餅体の載置底面ではなく上側表面部に、周方向に長さを有する若しくは周方向に配置された一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設けたことを特徴とする餅」というものであった。

*5:個人的には、「のみ」を削除してもなお限定しているように読めてしまう記載をそのまま放置して登録を認めてしまったあたりに、この種の審査にありがちな“イージーさ”を感じざるを得ないのであるが・・・。

*6:しかも、曖昧なクレームを放置したまま・・・。

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