何を「正義」と呼ぶべきか?

平成18年夏の事故発生以来、“飲酒運転の恐ろしさ”を象徴するような出来事として語り継がれてきた「福岡飲酒運転3児死亡事故」。

「飲酒運転」が社員のコンプライアンス上の重大事象とされるようになった一つの契機となった事故、そして、事故を起こした社員・職員の処分量定をめぐって紛議が勃発する契機となった事故でもあった。

さらに、その後、加害者が起訴され、公判で裁きを受ける段階になっても、第一審(福岡地判平成20年1月8日)、控訴審(福岡高判平成21年5月15日)とで、危険運転致死傷罪の適用を巡って判断が分かれたこともあり、判決が出されるたびにメディアを賑わせる・・・そんな象徴的事象に一つの区切りを付ける判決が出された。

最三小判平成23年10月31日(H21(あ)第1060号)*1

この事件で最大の争点になっていたのは、被告人の行為が、事故当時の刑法第208条の2第1項前段*2

アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ,よって,人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し,人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する」

の構成要件に該当するか、すなわち、

「被告人がアルコールの影響により正常な運転が困難な状態にあった」

と評価できるかどうか、という点である。

そして、第一審判決が、これを否定して予備的訴因(業務上過失致死傷及び道路交通法違反(酒気帯び))の事実のみを認定したのに対し、控訴審判決は、「正常な運転が困難な状態にあった」として危険運転致死傷罪を適用した*3、というのがこれまでの経過であった。


本件の場合、事故後、飲酒検知等を行うまでの間に少し時間が空いており(しかも、多量の水を飲む等の、被告人による“隠ぺい工作”も行われている)、飲酒検知結果等だけで、「アルコールの影響により正常な運転が困難だったかどうか」を判断するのが難しい状況にあり、それゆえ、「事故に至った原因」等も勘案して事実認定が行われてきた。

具体的には、第一審が、事故原因を長時間の脇見運転と認定した上で、道路状況・交通状況から、高速運転したまま長時間脇見運転することも「異常な状態ではない」と評価したのに対し、検察官側が新たに提出した実験結果報告書等に基づき、「脇見運転による事故」の可能性を排除した上で、「前方注視を行う上で必要な視覚による探索の能力が低下したために前方の注視が困難となって先行車の存在を間近に迫るまで認識することができない状態にあり,現実に道路及び交通の状況等に応じた運転操作を行えなかった」としたのが控訴審だったのだが、そんな中、最高裁(多数意見)は実に意外な形で決着を付けた。

多数意見は、控訴審が依拠した実験結果報告書*4の証拠価値について、弁護人の主張を入れたのか、「本件事故時の被告人運転車両の走行状況と前提条件が同じであるとはいい難い」とし、

「上記実験は、被告人が脇見をしていた可能性を否定して基本的に前方に視線を向けていたとするまでの証拠価値があるとはいえない」(4頁)

と述べて、被告人の脇見の可能性を否定していない(この点においては、第一審の事実認定に回帰した、といえる)。

しかし、それにもかかわらず、多数意見は、

「(終始前方を見ていなかった場合であっても)約8秒間もの長い間、特段の理由もなく前方を見ないまま高速度走行して危険な運転を継続したということになり、被告人は、いずれにしても、正常な状態にある運転者では通常考え難い異常な状態で自車を走行させていたというほかない」(4頁)

とし、

「刑法208条の2第1項前段の「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態」とは,アルコールの影響により道路交通の状況等に応じた運転操作を行うことが困難な心身の状態をいうと解されるが,アルコールの影響により前方を注視してそこにある危険を的確に把握して対処することができない状態も,これに当たるというべきである。」(5頁)

という解釈の下、

「追突の原因は,被告人が被害車両に気付くまでの約8秒間終始前方を見ていなかったか又はその間前方を見てもこれを認識できない状態にあったかのいずれかであり,いずれであってもアルコールの影響により前方を注視してそこにある危険を的確に把握して対処することができない状態にあったと認められ,かつ,被告人にそのことの認識があったことも認められるのであるから,被告人は,アルコールの影響により正常な運転が困難な状態で自車を走行させ,よって人を死傷させたものというべきである。」(5頁)

と述べて、原判決の結論を肯定したのである。

かくして、弁護人の上告は棄却され、懲役20年の判決は維持されることになった。

双方の「正義」

懲役7年6月が「軽すぎる」として強い批判の声が上がった・・・そんな世情を考慮するならば、執念の控訴で求刑(懲役25年)に近い刑を“勝ち取った”検察官と、結果的にその執念に応える形の判決を出した最高裁(多数意見)の方に、「正義」があるのかもしれない。

だが、“疑わしきは被告人の利益に”という刑事裁判の原則に厳密に従うならば、先に紹介した多数意見の「事故原因」の評価や、「相当程度の酩酊状態にあったことは明らか」(3頁)といった表現に、曖昧さやある種の恣意性があることは否めず、この点は、唯一の反対意見を述べた田原睦夫判事(弁護士出身)に厳しく批判されるところとなっている。

特に、

「約8秒間、被害車輛に気付かなかったとの事実から、多数意見が述べるように、それは酩酊の影響により気付かなかったものであるということが、経験則上当然に推認されるとは到底言い得ないのであり、かかる事実関係から被告人が本件事故時に正常運転困難状態にあったとの事実を認定することはできない」(18頁)

という指摘は正鵠を射たものと言わざるを得ないだろう。

最高裁判決には、もう一つの意見として、大谷剛彦判事(裁判官出身)の補足意見が付されており、多数意見が(あえて?)言っていないところを敷衍して雄弁に語っているのだが、「本件事故現場に至るまでに、狭い道路を接触事故などを起こすことなく通り抜けることができた」ことについて、「被告人の自宅付近の道路であり、道路状況を熟知していたゆえに緊張感を持って運転して事故を起こさなかったことは理解できないわけではなく、過大評価すべきではない」と述べているくだりは正直理解に苦しむし*5、「事故後の被告人の言動」について、「事故状況を確認せず、飲酒運転の発覚を免れることだけを考え、運転の身代わりを頼んだり、水を大量に飲もうともくろんだことは、むしろ正常な判断能力が損なわれていたことを示すものといえる」とするくだりなどは、推認プロセスとしては、裁判官的価値観がいささか前面に出過ぎたものと言わざるを得なず、かえって多数意見の説得力を弱めているのではないか、という疑念もわくところである。


ただ、かなりの量の酒を飲んでからハンドルを握っており、(程度は不明であれ)酒に酔っていたことも、かなりの高速度で、しかも前方を注視することなく運転していたことも明らかで、しかも事故後にいったん現場を立ち去った上に、“隠ぺい工作”までしている被告人を、「普通の交通事故」と同じ処断刑で罰するのが、本当に「正義」なのか?と問われると、それも安易に肯定することはできないわけで・・・。

また、田原判事が指摘するように、仮に今回の判決が、

「(危険運転致死傷罪の)適用範囲を立法時に想定されていた範囲よりも拡張して適用するもの」(20頁)

というべきものなのだとしても、

「それなら業務上(自動車運転)過失致死傷で・・・」

とあっさり言うのはどうか、という思いもある*6

こと「飲酒運転」については、社会的な制裁意識の強まりを受けて、「正常な運転」云々を問わず、「酒を飲んで運転する」ということ自体を、通常の業務上過失犯よりも一段重く処罰する、という立法はありうると思うのだが、それ以外にも「危険運転」と「(一般的な)過失」との間で争われる自動車事故類型が多数あることを考えると、「正義」の落とし所を考えるのは難しい・・・

今は、そんな思いに駆られている。

*1:寺田逸郎裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20111107101645.pdf

*2:なお、その後の法改正により、「四輪以上の」という限定はなくなっている。

*3:これにより、量刑も懲役7年6月から懲役20年へと大幅にアップすることになった。

*4:本件道路に横断勾配が付されているため、直進するためには前方を見ながら進路を修正する必要があり、長時間の脇見をしながら直進走行することは不可能、とする。

*5:田原判事が指摘するように、狭い道路でそれに応じた運転操作をすることができるのであれば、そもそも「正常運転困難状態」とは言い難いだろう。「走っている間に酔いがひどくなった」という理屈であればまだ理解できるが。

*6:被害者感情という観点もさることながら、法定刑上限の刑を課した第一審のような話になってくると、本来評価されるべき「過失の大小」ではなく「結果の大小」をもって量刑を過度に重くしているのではないか、という別の角度からの疑念も生じてくる(もちろん、危険運転罪の適用が検討されるような事案であれば、通常は不注意の度合いもかなり大きいと言えるはずだから、重い刑を課すことも決して不正義とは言えないことの方が多いのだろうが)。