年度を跨ぐまで、ズルズルと引きずったままになっていた東電会長人事だが、ここに来てようやく原子力賠償支援機構の下河辺和彦運営委員長(64、弁護士)を充てる方針が固まったようだ。
勝俣恒久会長の退任が確実な状況になって以来、財界関係者の名前がいろいろと挙がってはいたのだが、大企業の経営者の名前が挙がっては消え、また別の名前が挙がっては消え・・・ということで、とうとう誰も引き受けないまま、弁護士に経営再建の旗振り役を委ねる、というこの状況は、何ともいい難いものがある。
日経紙が、「経済界、火中の栗拾わず」という小見出しを付けて、今回の“迷走”劇の内幕を報じているのだが、その中でも書かれているように、今、東電が直面している経営課題は、あまりに大きい。
福島の原子炉を再び暴走させない、という最優先ミッションを達成しなければいけないのはもちろんのこと*1、原発事故により大きな被害を被った個人、事業者、自治体等への巨額の賠償も進めていかなければならない。
そして、この先のことを言えば、原発の再稼働が事実上封じられた状況で、どうやって電力を安定供給し、増加したコストに見合う収益を挙げていくか、そして、内部から崩壊しつつある組織をどうやって立て直していくか、と、いった具合に問題は山積している。
何より、政治家も含めて、世の中に大手を振って東電の後ろ盾になろうとしてくれる人が誰もおらず、逆に状況を好転させるための手を打とうとすれば、あらゆる方面からバッシングの嵐が飛んでくる、というのが現状だから、精神的にも相当タフで、自分と家族の命を危険に晒す覚悟がなければ到底務まらない。
就任後、何かにかこつけた株主代表訴訟に晒される、といったことも含めて、そんなリスクだらけのポジションに誰が就くか!というのが、恐らく賢い財界人の本音なのだろう。
ただ、だからと言って、誰も手を挙げないこの状況を、看過するわけにもいかないわけで・・・*2。
会社経営者に対して必要以上に過大なコストとプレッシャーを与えるようになってしまった世の中の問題なのか、それとも、天下国家の将来より*3我が身の保身に汲々としてしまうような経営者の“小粒化”が問題なのか、あるいはその両方か。
仮に、下河辺会長や会長直参の社外人材が経営をコントロールする東電が、短期間で劇的な体質改善を見せるようなことになったら、入り口部分で揉めている“社外取締役義務付け”待望論が、“1人以上”などという生ぬるいレベルに留まらずに広がって行くのではないか・・・なんて想像も湧くところであるが、そこまでいかないとしても、名立たる経営者の誰もが、“経営のプロ”としての気概を示せなかった、という事実がこの先の日本企業の行く末を暗示するような気がして、何とも残念に思えてならない*4。
*1:最近、この問題がどこかに忘れ去られているような気がする。何も報道がないのは良い方にことが進んでいる証拠だと信じたいのだが、単なる無関心が本質的な問題を隠すこともあるので、油断は禁物だろう・・・。
*2:御巣鷹山事故直後のJALや、国鉄分割民営化直後のJR各社、あるいは、バブル後に経営破たん寸前に追い込まれた銀行など、過去にも厳しい状況に直面した会社の会長ポストが社外の人間に委ねられたケースはあったが、いずれも、財界から適任者が派遣されて存在感を発揮していたはずである。
*3:首都圏の電力事業を担う会社の行く末を担う、ということは、天下国家の未来の一部を担う、ということに本来は等しいはずである。
*4:この先、経団連会長が、どれだけ政府の対東電政策を批判したとしても、財界自ら経営リスクを引き受ける判断ができなかった以上、単なる“負け犬の遠吠え”としてしか、受け止められることはないだろう、と思う。