今年は、書こうと思って温めているうちに、旬を逃して腐りかけているネタが例年に増して多いのだが、間もなく施行される平成24年度著作権法改正のネタもその一つ*1。
もっとも、さすがにこれだけの改正を放っておくわけにもいかない、ということで、ちょうどタイミング良く、ジュリスト1月号に掲載された特集「変革期の著作権法」の内容をフォローしつつ*2、これまでストックしていた雑誌記事等へのコメント等と合わせて、施行ギリギリ直前のこのタイミングでアップすることにしたい。
Jurist (ジュリスト) 2013年 01月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2012/12/25
- メディア: 雑誌
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伝わらない立法担当者の思い?
さて、平成24年著作権法改正において新設された権利制限規定は、概して評判が悪い、というのは、当ブログの読者の皆様であればよくご存じであろう。
特に、過激な批判が展開されているのが、L&T57号(2012年10月号)に掲載された座談会記事*3で、冒頭から、中山教授が、
「審議会でかなり時間をかけて報告書を出しましたが、それが似ても似つかないような細かい条文に変わってしまった。これは聞くところによると、内閣法制局とのやりとりでこうなったようですが、実態はわかりません。つまり、わからないところで今回の四つの条文ができあがってしまった。言ってみれば密室で改正が行われた点が問題だろうと思います」(1-2頁、強調筆者(以下同じ))
とばっさり*4。
わざわざ小見出しにも「フェアユースのなれの果て」と付けて、徹底的に改正法の権利制限規定を叩く・・・というこの記事に溜飲を下げた方も多かっただろうなぁ、と思う一方で、立法担当者にはちょっと気の毒な気もしていた。
そんな中、ジュリストの座談会*5には、法改正当時、文化庁に在籍していた池村聡弁護士(前・文化庁著作権課著作権調査官)が登場。
司会の小泉直樹・慶大教授との間で、以下のようなやり取りを展開している。
「今回の改正を受けて、『こんなのフェアユースじゃないじゃないか』というご批判をよくいただくのですが、今お話したとおり、審議会では、ワーキングチームにおいても、法制問題小委員会においても、米国型フェアユース規定の導入は多数の支持を得ることができず、結果ABC類型という形での結論になっているわけですし、我々立法担当者も米国型フェアユース規定ではなくあくまで審議会報告書を出発点として改正法の原案を作っていますので、そんなこと言われても・・・という感じが正直するのも事実です。」(13頁)
うん、実に正直なコメントだ(笑)*6
実際には、多くの識者が問題にしているのは、平成23年1月の「文化審議会著作権分科会報告書」*7に記載された「A〜Cの3類型からの後退」であって、「“米国型フェアユース規定”にならなかったこと」それ自体が問題視されているわけではないから(一部の方を除き・・・)、若干問題がすり替えられているように思えなくもないし*8、
「我々立法担当者としては、・・・できるだけ忠実な形で条文化したかったですし、当然その方向で準備を進めたのですが」(16頁)
というエクスキューズが発言の節々で登場するあたりも、見る人が見たらカチンと来るところかもしれない*9。
以前、BLJ誌の座談会記事をご紹介した際にも言及したとおり、自分は「足元を見ないフェアユース賞賛論」には安易に与すべきではない、と考えているから*10、「何でフェアユース規定を入れなかったんだ」的な批判についてはスルーしたい気持ちも理解できるのだけれど、報告書A〜C類型との関係で内容が後退したこと(詳細は後ほど)については、もう少ししっかりとした検証をすべきではないかと思っていて*11、その点に関しては、今回のジュリストの記事を見てもモヤモヤ感が拭えなかったところである。
付随対象著作物の利用規定(改正法第30条の2)について
さて、ここから先は各論であるが、今回の権利制限規定を考えるにあたっては、まず、この第30条の2を避けて通るわけにはいかないだろう。いわゆる「写り込み」に関する権利制限規定である。
話題になっている審議会報告書各類型との関係でいうと、
A その著作物の利用を主たる目的としない他の行為に伴い付随的に生ずる当該著作物の利用であり、かつ、その利用が質的又は量的に社会通念上軽微であると評価できるもの
が、以下のような条文に化けた、という規定である。
第30条の2
写真の撮影、録音又は録画(以下この項において「写真の撮影等」という。)の方法によつて著作物を創作するに当たつて、当該著作物(以下この条において「写真等著作物」という。)に係る写真の撮影等の対象とする事物又は音から分離することが困難であるため付随して対象となる事物又は音に係る他の著作物(当該写真等著作物における軽微な構成部分となるものに限る。以下この条において「付随対象著作物」という。)は、当該創作に伴つて複製又は翻案することができる。ただし、当該付随対象著作物の種類及び用途並びに当該複製又は翻案の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
2 前項の規定により複製又は翻案された付随対象著作物は、同項に規定する写真等著作物の利用に伴つて利用することができる。ただし、当該付随対象著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
ご覧いただければ一目瞭然、元々「付随的」かつ「社会通念上軽微」という要件を満たした利用であればよい、とされていたのが、「著作物を創作」することが前提となった上に、「分離困難」という要件まで付され、さらに「ただし書き」までくっついてしまった、ということで、審議会が目指していた「小さな一般規定」の趣旨を骨抜きにした、という批判が最も似合う条文だと個人的には思っている*12。
これまでに立法担当者サイドから出されている解説を見ると、「それでも頑張って作ったんだ」というトーンが強く出ていて、例えば、永山裕二・前文化庁長官官房著作権課長の講演録*13では、「軽微な構成部分」というくだりについて、
「議論の過程では、『軽微な構成部分』という規定では何が軽微で何が軽微でないかがわかりづらいのではないか。明確性の原則からいうと問題があるのではないかという考え方もありました」
(略)
「仮に『2割以下』と規定したとき、これは権利者にとっても利用者にとっても問題のある規定になってしまいます。」
(略)
「やはり全体の作者の意図とか、創作時の状況を総合的に勘案して軽微かどうかということを判断せざるを得ない。それによって権利制限の対象か否かを判断せざるを得ないので、やはり最終的には、ある程度幅のある概念で整理をしたというのが、今回の改正になります。」(永山・前掲注13)13頁)
といった解説も付されている。
だが、一般規定導入推進派の立場から見れば、
「分離が容易な場合であっても、利用を認めることが相当な場合というのがあると思います。まさに、そうした場合に備えて、著作権者の利益を害しない付随的利用行為一般を対象として、裁判所の解釈により柔軟に権利制限の可否を判断していこうというのが今回の改正の趣旨だったのだろうと思います。その意味で、改正法が分離困難性を要件としているのは疑問が残るところです」(中山ほか前掲注3)16頁)
という横山教授のコメントに尽きるわけで、「軽微」かどうかでいくら幅を持たせたところでねぇ、という思いは残るところだ。
実は、今月号のジュリストに掲載された前田哲男弁護士の論稿*14では、この第30条の2について、かなり大胆かつ柔軟な解釈論が示されている。
例えば、「写真の撮影」、「録音」、「録画」のいずれにも該当しない「イラストやCG中での複製・翻案」の場合も、「本条の拡張ないし類推適用の対象になり得る」(30-31頁)とか*15、「固定カメラで撮影するように著作物の創作には当たらない場合も、本条の拡張ないし類推適用の対象になり得る」(31頁)*16と、30条の2の射程を広げた上で、
「『分離することが困難』であることは、結果として『付随して対象となる』場合の典型的な理由を示していると解される」(31頁)
と、立法担当者の解説で示されている「要件」と、真っ向から対立(笑)*17。
前田弁護士も、さすがに「意図して本来の被写体の近くに置いて撮影対象に含める」という意味での「写し込み」にまで30条の2が適用される、とまでは仰っていないし(32頁)*18、「軽微」性の判断についても手堅い解説にとどまっている印象を受けるが*19、全体としてみれば、ずいぶん思い切った論稿を書かれたなぁ・・・というのが率直な印象である。
おそらく、上記論稿の根底に流れているのは、
「これらの規定は、検討過程において具体例として挙げられていたもの等を典型例として条文化したものであるから、その文言にピタリとは当てはまらないものを当然に違法とする趣旨ではないと解するべきである」
「とりわけ、23年報告書のA類型に由来する30条の2は、従来『違法』であったものを適法に転化するのではなく、日常的に行われてきた行為が許容されることを著作権法上明確にするための規定であるから、限定的に解釈されるべきではない。」
(29頁)
といった思想であり、それは、福井健策弁護士が述べられている、
「もしこの改正が実現すれば、実務において私たちが血肉をつけていかなくてはなりません。時には判例を作ろうというくらいのリスクテイクの発想で、判断基準を積み上げていくことも重要です。」(福井・前掲注12)27頁)
というところにもつながってくる話なのかもしれない*20。
いずれにしても、第30条の2は「著作物の利用が外から見える」場面を想定した規定だけに、今回の改正法の中では、今後の運用が最も注目される規定だと、個人的には思うところである*21。
検討の過程における利用の規定(改正法第30条の3)について
B 適法な著作物の利用を達成しようとする過程において合理的に必要と認められる当該著作物の利用であり、かつ、その利用が質的又は量的に社会通念上軽微であると評価できるもの
が、
第30条の3
著作権者の許諾を得て、又は第六十七条第一項、第六十八条第一項若しくは第六十九条の規定による裁定を受けて著作物を利用しようとする者は、これらの利用についての検討の過程(当該許諾を得、又は当該裁定を受ける過程を含む。)における利用に供することを目的とする場合には、その必要と認められる限度において、当該著作物を利用することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
となったのがこの規定である。
元々対象とされているのが、「商品化の企画にあたって企画書に著作物を掲載する」といったレベルの話であり、「誰がそんな些末なことを気にしてるんだ!」って突っ込みを入れたくなるような場面が想定されている規定だけに*22、実務上の影響についても、シニカルなコメントを寄せる方が多いように見受けられる*23。
また、この規定に関しては、審議会報告書B類型の中で権利制限の対象とすべき、とされていた内容から、「個別権利制限規定の適用を受ける利用の過程における著作物の利用」というものが抜け落ちているのだが、これについては、立法担当者が「個別権利制限規定に基づく利用の過程における合理的な範囲内での著作物の利用行為であれば、各個別権利制限規定が許容していると考えられることによる」*24という見解を一貫して述べていることもあり、そんなに問題視することもないだろう*25。
個人的には、「利用についての検討」という第30条の3の文言を字義通り解釈し、「結果的に許諾を得て利用するかどうかは30条の3の適用の前提ではない」という考え方を突き詰めるならば、
「社内資料に第三者の著作物を用いる場合は、当該著作物の脇に『利用許諾申請検討中』というクレジットを付しておけば、常に権利制限の適用を受けられる」
という“珍解釈”が出てきても不思議ではない(そうすると、結果的に、私的複製に係る権利制限規定を企業内複製に及ぼすのと同じ話になる?)と思っているのだが、ただし書きも存在することだし、穏健な実務家なら、あまり無茶はしない方が良いだろう・・・。
技術の開発又は実用化のための試験の用に供するための利用規定(第30条の4)及び情報通信技術を利用した情報提供の準備に必要な情報処理のための利用規定(第47条の9)
ここは、審議会報告書の時点でかなり広い射程を持っていた
C 著作物の種類及び用途並びにその利用の目的及び態様に照らして、当該著作物の表現を知覚することを通じてこれを享受するための利用とは評価されない利用
の類型を、
第30条の4
公表された著作物は、著作物の録音、録画その他の利用に係る技術の開発又は実用化のための試験の用に供する場合には、その必要と認められる限度において、利用することができる。
第47条の9
著作物は、情報通信の技術を利用する方法により情報を提供する場合であつて、当該提供を円滑かつ効率的に行うための準備に必要な電子計算機による情報処理を行うときは、その必要と認められる限度において、記録媒体への記録又は翻案(これにより創作した二次的著作物の記録を含む。)を行うことができる。
という形で規定化したものである。
「表現を知覚することを通じてこれを享受するための利用」という表現をダイレクトに条文化することは、元々難儀することが予想されていただけに、ここはまぁ、仕方ないのかなぁ、という気はする*26。
また、池村弁護士の
「平成18年改正や21年改正で加わった一連の権利制限規定のように複雑かつ難解な条文にならないよう色々と苦心した結果、特に30条の4や47条の9は条文それ自体はかなりシンプルなものになっておりますので、その点は多少なりとも前向きに捉えていただきたいところです。」(小泉ほか・前掲注5)16頁)
というコメントに強烈な自負が表れているとおり、この2つの規定、特に第30条の4は、かなりシンプルで広範な解釈が可能になっているものだと言えるだろう*27。
まぁ、30条の4なんかに関して言えば、改めて「これができるようになりました!」と周知して初めて「あれ、これまで違法だったんですか?」というリアクションが研究所から返ってくるような気もするし(苦笑)、47条の9に関して言えば、ここまできれいなものを条文化できるのであれば、47条の6のような、読みにくくてしょうがない規定を先に整理してほしかったなぁ・・・という突っ込みも出てくるところではあるのだが、あまりクレームばかり載せるのもどうかと思うので、この辺までにとどめておくことにしたい。
その他の新設された権利制限規定
いわゆる「日本版フェアユース」議論の延長線上の規定としては、ここまで、なのだが、今回の改正では「国立国会図書館による図書館資料の自動公衆送信」や、「公文書等の管理に関する法律に基づく利用」という規定も入っている。
中でも、国立国会図書館に関する規定は、平成21年著作権法の流れを引き継ぐもので、「図書館資料のデジタル化」の流れにもマッチングした、非常に評判の良い規定である*28。
ただ、ジュリストに論稿を掲載されている上野達弘教授が、「(権利行使を認めるか権利制限するか、ということについて)「オール・オア・ナッシング」となっている現在の規定の在り方に疑問を投げかけ、
「技術発展によって可能となったサービスをあえて禁じるのではなく、権利制限によってこれを一定の範囲で許容する一方で、権利者には報酬請求権を与えることによってその利益を確保するというあり方も検討されて然るべきではないかと思われる」*29
という問題提起をされていることについては、著作権法の将来像を考える上で、念頭に置いておかねばならないだろう。
おわりに
本来であれば、2回に分けてアップするくらいの分量を一気に書き上げたこともあって、このエントリーでは、「ただし書き」の解説だとか、新設された条文以外の関連条文の説明等がごっそりと抜け落ちてしまっているが、そこは池村弁護士のNBLの論稿なり、永山前課長のコピライトの論稿なり、を適宜ご参照いただければ、と思う。
自分がこのエントリーを通じて伝えたかったのは、改正法第30条の2に象徴されるように、今回新設された権利制限規定の解釈は、一義的に「こう」と決められるようなものではなく、今後、大きな「幅」をもって運用されることになるであろう、ということである。
そして、新設された規定がそういった性格のものである以上、今、これらの規定が「一般規定」か、「個別制限規定」か、といった議論をしても大した意味はないのであって、これまでの多くの権利制限規定のように解釈を硬直化させるか、それとも事実上フェアユースを先取りした規定として生かすか、というのは、実務サイドの努力にかかっている、というほかない。
最も大事なのが、紛争が持ち込まれた時に解釈を行う「裁判所」の役割であることは言うまでもないが*30、現実に裁判所に持ち込まれる権利制限をめぐる紛争が、“氷山の一角”であることを考えると、クライアントから相談を受ける弁護士、そして、さらにその前で日々、現場から上がってくる問題にジャッジを下していく法務・知財担当者の責任も重大だ。
ギリギリまで広めの解釈の余地を残そうとした立法担当者の“好意”に応えることなく、安易に、“石橋を叩いて壊すような安全策”に走るようなことがあれば、何のためのこの数年間の議論だったのか、ということになる。
それからもうひとつ、ユーザー側の企業としては、間違っても「権利制限規定の適用範囲が分かりにくいから明確化してくれ」などとは言わないこと。
ご承知のとおり、今回の改正案については、参院で「関係者からその具体的な内容が条文からだけでは分かりにくいとの意見等があることを踏まえ,これらの規定の対象となる具体的な行為の内容を明示するなど,その趣旨及び内容の周知を図ること」という附帯決議が付されており、それを受けて、文化庁のHPには、「いわゆる「写り込み」等に係る規定の整備について(解説資料)」が掲載されている*31。
さすがに、ついこの前まで、「フェアユースを!」という声が大きかったことに考慮してか、文化庁の解説も遠慮気味で、当然ながらギリギリのところに突っ込んだような解釈は示されていない*32。
そして、当然のことながら、これだけでは、複雑な実務に、完璧な答えを出すことは不可能である。
だが、自分は、「権利制限規定」が、「(権利者の利益に配慮しつつ)ユーザーにいかに自由を与えるか」という性質のものである以上、ユーザーサイドから、当局にそれ以上の「解説」を求めるべきではないし、その必要もないと思っている。
最近の法改正を求める議論の中で、引っ張り出されることが多い「基準が不明確であるがゆえの委縮効果」というフレーズは、「一般規定」を求める潮流の中では、最もふさわしくないものであろう*33。
今、求められているのは、
「権利制限規定の適用範囲が不明確である。それゆえに挑戦する。」
というマインドなのであり、(対象は狭いながらも)微かに「一般規定」の香りを残している新たな権利制限規定の運用は、まさにそういったマインドが試される試金石となるのではなかろうか*34。
ここで、「適用される範囲が良く分からないから使えない」などという声を挙げてしまい、自ら手足を縛られることを望むようなら、さらに踏み込んだ「一般規定」など到底実現化しない、ということを肝に銘じつつ・・・。
新たな年とともに施行される新たな規定が、著作権法の新たな未来を切り開くことを期待して、時を待つことにしたい。
*1:違法ダウンロード刑事罰化規定が先に10月から施行されていることもあって、忘れられがちだが、平成24年度改正の“メイン”である権利制限規定新設等の改正は、あくまで「平成25年1月1日施行」である。
*2:ちなみに、昨年に引き続き1月号に「知財特集」が掲載されたことで、「知財特集といえば新年号」という10年来の“慣例”も何となく戻ったような気がする(笑)。ネタがなくて他の特集が組まれる年も多いのだけれど。
*3:中山信弘=松田政行=岩倉正和=横山久芳=相澤英孝[司会]「座談会・改正著作権法と著作権法の課題」L&T57号1頁(2012年)。
*4:そして、さらに続いて(あの)松田弁護士ですら「こんなことを審議していたのかと思うくらい小さなフェアユースになってしまいました」(2頁)とコメントし、岩倉弁護士、横山教授が畳み掛けてとどめを刺す(笑)という、法律雑誌の座談会企画としては異例の過激な展開になっている。
*5:小泉直樹[司会]=池村聡=高杉健二「鼎談・平成24年著作権法改正と今後の展望」ジュリスト1449号12頁(2013年)。ちなみにこの企画、座談会のように見せつつ、実際にはやり取りのほとんどが小泉教授と池村弁護士の間で交わされるものになっていて、日本レコード協会の高杉常務理事の「発言」箇所は、違法ダウンロードやリーチサイトに関するわずか3か所しかない、という異例の構成になっている。権利者側の方に「権利制限」についてコメントしてもらうのは難しい、というのは理解できなくもないが、ちょっと極端すぎるなぁというのが率直な感想である。
*6:このコメントに続いて小泉教授も審議会での議論の経緯等を引きながら、きちんとフォローしている(13-14頁)。ジュリストの鼎談は、メンバー構成的にもL&Tの座談会のアンチテーゼのような企画だと言えなくもない。
*7:http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/pdf/shingi_hokokusho_2301_ver02.pdf
*8:例えば、今回の改正に対するコメンテーターとしては最も信頼に値する(と自分が勝手に思っている)上野達弘教授ですら、「あえて審議会の方向性を修正するのであれば、その理由と責任の所在を明らかにすべきではないでしょうか」とBLJ誌上でコメントされている(上野達弘「立法過程の見直しも大きな課題」BLJ51号32頁(2012年))。
*9:ちなみに、池村弁護士は、早い時期に書かれたNBLの解説の中でも、控えめな表現ながら、「明確性の原則に配慮しつつ、政府部内で条文化作業を行った結果、(可能な限り包括的な規定を目指したものの)取りまとめられた内容よりも、権利制限の対象となる行為が一定程度狭まることとなった。」(池村聡「著作権法の一部を改正する法律の概要」NBL983号27頁(2012年))と、しっかり「立法担当者の努力」をアピールしている。
*10:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120426/1335463884
*11:法令審査の本質にかかわる問題なのか、それとも、「内閣法制局」と「文化庁(文部科学省)」という組織間のbargaining powerの問題なのか。他の法令審査の状況等とも対比しながら、考えていく必要があるように思う(抽象的な規定で刑事罰まで網をかける立法例が他に存在しないとは思えない。しかも、今回の話は罰則規定そのものではなく、その「適用除外」の範囲に関する話なのだから、A〜C類型の文言に従って、最大限広く解釈するようにすれば、明確性の原則と実質的に抵触することにもならないはずだ)。
*12:件のL&Tの座談会では、横山教授が「かなり要件が事細かに規定されていて、実務上のニーズを満たすにはほど遠い限定された内容になってしまっています」(中山ほか・前掲注3)15頁)と評しているし、福井健策弁護士も「むしろ侵害となる範囲が明瞭になったという効果もあるかもしれません」と、かなり皮肉めいたコメントを残されている(福井健策「保護と利用のバランスが再び焦点」BLJ51号27頁(2012年))。
*13:永山裕二「著作権行政をめぐる最新の動向について」コピライト2012年11月号2頁以下。
*14:前田哲男「『写り込み』等に係る規定の整備」ジュリスト1449号28頁以下(2013年)。
*15:「生放送」の場合に本条を類推適用する(30頁)、というレベルであれば、単なる条文ドラフト上の瑕疵として解釈で補う妥当性を認めても良いと思うが(何より、必要性が録画の場合以上に高いから・・・)、CG、イラストであれば、単純な「写り込み」を人為的なプロセスで排除することが容易にできると思われるので、果たして類推できるのか、疑問なしとはしない(どちらかと言えば「分離困難性」要件に係ってくる話なのかもしれない)。
*16:これは、確かに前田弁護士のご意見の方が妥当な結論になるような気もするのだが、「定点撮影のように何の創作性も加えず写真や映像を撮った場合には、それは著作物ではないということになりますので、そのような場合については、今回の条文の対象にはならない、ということになります」(永山・前掲注13)12頁)という立法担当者見解と真っ向から対立している点に注意が必要である(永山前課長は「民法の一般原則の援用により」適切に解決することを念頭に置いているようであるが、前田弁護士の見解はダイレクトに30条の2を適用せよ、ということになる)。
*17:既にご紹介した池村弁護士のNBLの解説(注9))、永山前著作権課長の解説(注13))のいずれにおいても、独立した要件とされているのは「分離することが困難である」の方で、上記のような条文の読み方をして「本来の被写体に『付随して』撮影等の対象となる場合は、本条が拡張ないし類推適用されると解する」という大胆な解釈を示しているのは、筆者の知る限りでは、前田弁護士だけではないかと思う。
*18:「写し込み」という用語は、今回の改正をめぐる文脈では非常に多義的に使われていて、「単に著作物の利用を認識している(あ、なんか他の著作物がフレームの中に入っちゃう、と気づいたけど撮ってしまった、というレベル)」ということを指しているのか、「意図的にフレームの中に引きいれて写す」ことを指しているのかによって、「『写し込み』に30条の2が適用されるのか?」という問いへの答えは変わってくるだろう。この点については、池村弁護士もしっかり座談会の中でフォローしている(小泉ほか・前掲注5)15頁)。筆者も、前者はともかく、後者についてまで権利制限を及ぼすのは、明らかに行きすぎだと考えている。
*19:例えば、「面積的な割合が小さくても軽微とは評価できない場合がある」(33頁)といったコメントも残されている。
*20:これは、今回の法改正で導入された権利制限規定全般に言える話であるが、特に、立法事実が比較的明確であったにもかかわらず、条文上かなりの“制約”が付されることを余儀なくされた第30条の2については、実務サイドでしっかり“チャレンジ”していく必要があると思う。
*21:この規定の適用の可否が問題になる場面を想定するならば、裁判所でこの規定の解釈が正面から問われるような事態が頻発するとは考えにくく(当事者から主張されるとしたら、かなり筋が悪い場面ではないのかな、と思う)、むしろ運用場面で、どれだけ勇気をもってユーザー側の法務・知財担当者が「適法」というジャッジをすることができるか、という点にこの規定の先行きはかかっている、と自分は考えている。
*22:仮にこれまで気にしている人がいたとしたら、それは典型的な“重箱の隅つつきコンプライアンス”で、かえって問題だろう、と自分は思う。
*23:たとえば、福井弁護士は「『企画書で対象著作物を使っていいでしょうか』というご相談はさすがに受けたことがありません」として、「非公開・小規模でアドホックな複製行為についてまで目くじらを立てる権利者は、そもそも少ない」というコメントを残されているし(福井・前掲注12)28頁)、横山教授も「実務上たいした意味はないのではないか」と切って捨てている(中山ほか・前掲注13)17頁)。
*24:池村・前掲注9)21頁、永山・前掲注13)14頁。
*25:L&Tの座談会では若干気にしているようなコメントも見られるが・・・(中山ほか・前掲注13)17頁)。
*26:横山教授などは、ここでも「当初の改正の趣旨が十分に活かされない結果となってしまった」(中山ほか・前掲注13)18頁)と結構厳しいコメントを残されているのだが・・・。なお、「C類型」について、中山教授は元々「かなり狭い」ものと理解されていたようであり、“最初から期待してないよ”的なトーンでのコメントになっている(前掲注13)18頁)。この辺は関係者によって、意見が大きく分かれるところかもしれない。
*27:今回の改正に対して厳しめの評価をされている上野教授も、「改正案30条の4の規定などは、使える場面が結構あるかもしれませんね。」と“お褒め”のコメントを残されている(上野・前掲注8)32頁)。
*28:本エントリーで批判的なコメントを多数引用している学者、実務家の先生方も、この規定に関しては非常に前向きに受け止めている。なお、規定内容の詳細については、文化庁HPの解説や、後ほど紹介する上野教授の論稿等を参照していただきたい。
*29:上野達弘「国会図書館による絶版等資料の送信」ジュリスト1449号40頁(2013年)。なお、上野教授がここで念頭に置かれているのは、図書館から利用者に対して「直接」ファックスやメールによる送信を行う(ドイツ法下では報酬請求権とバーターで認められているようだ)というモデルである。
*30:審議会報告書を作る過程で、あれだけ「フェアユースを導入するまでもなく、裁判所は柔軟に対応できる」という論調を前面に押し出した以上、これから裁判所に課される責任は重い、といえるだろう。
*31:http://www.bunka.go.jp/chosakuken/utsurikomi.html。
*32:これはあらゆるこの種の行政のガイドラインに共通する話だが。
*33:なぜなら、精緻に条文化することによってルールを定めるのではなく、緩やかなルール設定の元、その時々の司法判断の場を通じてルール形成を行っていく、というのが「フェアユース」なり「一般規定」のキモの部分なのだから。
*34:本当は、既に存在する第32条(引用)の規定なんかの方が、よほどチャレンジできる余地はあるのだけど、こちらは、古い解説の呪縛が未だ抜けていなかったりするので、まずは新しいところから、といったところである。