ここしばらく「生成AI」という言葉を目にしない日はない気がする。
ChatGPTが付けた火は、瞬く間に世界中に広がって燃え上がり、遂にG7の舞台まで浸食するに至った。
確かに「もっともらしい文章(的な)表現」をする機能に関して言えば真新しさはあるが、アウトプットの質という点に関して言えばこれまでのものと比べても決して優れているとはいえないし、そもそも世の中の目に見えない裏側ではもう何年も前からChatGPTより遥かに高度な処理能力を持つAIが稼働しているというのに、そういうファクトに目を向ける人は多くない。
そして、米欧で話題になったのにかこつけてこの国にも議論を持ち込む人が現れ、そこに”これぞ商機”と群がる人々が殺到する、という光景は、これまで見てきた他の様々な舶来系の話題とも共通するところが多く、あまりにしつこくこの話題が繰り返されるがために、食傷気味になっている人も決して少なくはないはずだ。
自分もそんな状況だったから、先週17日、よりによって一般社団法人日本新聞協会 が出した「生成AIによる報道コンテンツ利用をめぐる見解 」*1を見た時は、これはまた随分と振りかぶったものだなぁ・・・ともう苦笑いするしかなかった。
「「生成AI」と呼ばれる人工知能(Artificial Intelligence)技術の急速な発展により、社会の様々な面で利便性の向上が期待されている。一方、他人の著作物等をAIが無断利用したり、AIを不適切な形で使ったりする“負の影響”も広がっている。AI技術の進歩に法律や社会制度が追いついておらず、AI開発会社の情報開示も限定的だ。民主主義を下支えする健全な言論空間を守る観点から課題が生じており、報道関連分野における懸念について当協会の意見を述べる。 」(見解1頁、強調筆者、以下同じ)。
制度に不十分な面があることは確かで、不適切な利用事例も当然どこかでは出てくるだろうが、「健全な言論空間」云々まで言ってしまうのはいささかやり過ぎだと思うし、何よりこのリードのちょっと後に出てくる以下の記述を見ると、大丈夫かな・・・と心配になる。
「日本では、2018年の著作権法改正によりAI等の開発過程で既存の著作物を無許諾で収集・利用することが原則として合法になった(法第30条の4)。欧州のように商用利用の制限やオプトアウトが設けられなかったのは、法改正時に、技術開発のための利用は著作物を人が知覚を通じて享受するものではなく、したがって権利者の対価回収の機会を損なう利用には当たらないと整理されたからだ。権利者の利益を害さない以上、オプトアウトなど権利者保護は不要とみなされた。 しかし、当時、生成AIのような高度なAIの負の影響が十分に想定されていたわけではない。立法過程で強調されたのは、日本発のイノベーションを促すための法改正、具体的には日本版検索エンジンの開発だった。AIへの言及は限定的で、AIが新たな表現物を生成して権利者を脅かす恐れのあることが政府から示されたことはなかった。権利者側も技術開発のための著作物利用が問題になるとは思わず、このため国会で大きな議論とならないまま、AI開発を優遇する法改正が実現した。 」(見解2頁)
確かに2018年著作権改正は、それまで長年くすぶっていた「イノベーション 対 著作権」という問題に一つの解を示した、という点でエポックメイキングなものではあった*2。
そしてそれによって生まれた(新)法30条の4の規定が、日本を『機械学習パラダイス』を呼ぶことができるくらい画期的な柔軟さを備えた規定、と評されていることも否定しない*3。
だが、先に取り上げた「見解」が批判する「AI等の開発過程で既存の著作物を無許諾で収集・利用」する行為に関して言えば、この2018年改正のさらに昔、平成21年(2009年)改正の時点で「情報解析のための複製等」(当時の法47条の7)として既に権利制限の対象となっており*4、2018年改正で30条の4に明記された「非享受利用」の概念も、それまで何ら異論なく受け入れられてきた(旧)30条の4や47条の7のエッセンスを集約したものに過ぎないのだから、「2018年改正が・・・」と批判するのは明らかにお門違い。
それでもなお2018年改正を攻撃するのであれば、「電子計算機による情報処理及びその結果の提供に付随する軽微利用等」まで権利制限の対象とした法47条の5をターゲットにしなければならないはずだが、この規定は、
「当該各号に掲げる行為の目的上必要と認められる限度において、当該行為に付随して、いずれの方法によるかを問わず、利用(当該公衆提供等著作物のうちその利用に供される部分の占める割合、その利用に供される部分の量、その利用に供される際の表示の精度その他の要素に照らし軽微なものに限る。以下この条において「軽微利用」という。)を行うことができる。」
という限定がされた上で、さらに
「ただし、当該公衆提供等著作物に係る公衆への提供等が著作権を侵害するものであること(国外で行われた公衆への提供等にあつては、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものであること)を知りながら当該軽微利用を行う場合その他当該公衆提供等著作物の種類及び用途並びに当該軽微利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。」
というただし書きまで付されているから、新聞協会が懸念するような「権利者を脅かす」ほどの表現物をAIが生成するような場合にまで適用されることはまず考えにくい。
要するに、今の著作権法の権利制限規定は、これまでの度重なる議論を経てできあがったもので、しかも「電子計算機による情報処理」の結果、権利者を脅かすような一定のアウトプットが出てくることまで想定して、権利者・利用者双方のバランスに考慮した内容で条文化されたものなのである*5。
そのような繊細なバランスの上に成り立っている規定を、ChatGPTの”影”に怯えた結果生じたヒステリックな叫びで簡単に壊して良いはずがないのであって、前記「見解」の起案者に求めるべきは、”猛省” ただそれだけである。
そして、それまで、どちらかと言えば「賛意」ないし「無関心」で一連の権利制限の動きに接してきたメディアが、足元にちょっと火の粉が飛んできただけで慌てふためいて逆の”世論”を作ろうと躍起になっている姿を見ると、
やっぱりガチの『米国型フェアユース』規定になっていなくてよかった
と心の底から思わずにはいられないのである*6。
*1:https://www.pressnet.or.jp/statement/20230517.pdf
*2:その背景に知財戦略本部から文化審議会著作権分科会小委に至るまでの激しい議論があり、あの改正案は、関係者が知恵を寄せ集めた末にできあがった「知の結晶」であるということも、ここで改めて書き残しておく。
*3:この点については以下のエントリーで引用した上野達弘教授のコメントを参照されたい。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
*4:https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/h21_hokaisei/pdf/21_houkaisei_horitsu_gaiyou.pdf6頁参照。なお、この規定ができるまでは、厳密には情報解析のための著作物の利用は「著作権侵害」になりうる余地もあったのだが、自分が知る限り、現場の技術者の多くはそんなことは気にも留めずに著作物を機械に読ませていたし、そのことにより著作権者との間で紛争が生じたという話も寡聞にして聞くことは皆無だった。
*5:当時の国会ではさほど話題にならなかったのかもしれないが、学識者の間では当然AIの”進化”やそれに伴う様々な問題の登場も念頭に置いた上で議論を進めていたはずだし、当時の状況を象徴するものとしてそれは目の前に迫る問題か? それとも頭の体操か? ~「AIと著作権」をめぐって - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~のようなエントリーもある。
*6:今、米国でどういう動きになっているかまでは十分把握できていないのだが、この国でも判断基底に世の中のその時々の価値判断が取り込まれがちな「フェアユース」規定だけで目下の状況を乗り切ろうとしていたならば、下級審レベルで思わぬ判断が出て予測可能性が著しく害されたり、それ以前に強烈な萎縮効果が働いて開発にブレーキがかかることは覚悟しなければならなかったような気がしている。↓で引用したようなやり取りも今となっては非常に懐かしい。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com