早起きは5割増しの得・・・的施策への疑問

昨年「フレックスタイムの廃止」という、あっと驚く施策を打ち出して物議を醸した会社が、またしても勤務制度改定の話題で日経紙の1面を飾っている。

伊藤忠商事は社員の働く時間を朝方にシフトさせ残業を減らすため、新たな賃金制度を導入する。時間外手当の割増率を、夕方以降に残業するよりも早朝に勤務する方が高くなるように見直す。家族と過ごす時間などを確保するワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)に配慮した働きやすい環境をつくり、業務の効率化や人材確保につなげる。」
日本経済新聞2013年8月2日付け朝刊・第1面)

「夕方以降の残業」よりも「早朝勤務」の方がワークライフバランスに資する、というのを一般論として言われてしまうと、「えっ、何で?」と猛烈に反論したくなるのだが、この制度に関しては、「午後10時以降の深夜残業禁止」(職場を完全消灯)という措置とバーター、しかも、従来「午後10時〜午前5時」の超過勤務に対して支給していた割増率50%を、「午前5時〜9時」の早朝時間帯に支給する(しかも管理職にまで割増25%を付ける、という大盤振る舞い)、ということだから、「総残業時間削減策」と「経済的不利益緩和策」をミックスさせた好施策、という見方も一応はできるのかもしれない*1

だが、自分は、このような制度改定が、働く者にとって真に有益だとは到底思えないし、こういう悪しき制度が流行るようになってしまっては困るので、以下、思うところを書き残しておくことにする。

「朝シフト」の弊害

上の記事で紹介されている制度は、従来、深夜帯に行っていた仕事を、そのまま早朝帯にシフトさせて行うことができる、ということを、ある種の前提としているように思われる。

しかし、一日の仕事の流れに乗っかって夜10時から2時間残業するのと、早朝の5時、6時から会社に行って2時間程度それまでより余分に仕事をするのとで、どちらが心身に負担がかかるか、と言えば、むしろ後者の方ではないか、と自分は思う。

自分の場合、典型的な夜型人間なので、朝早起きして仕事をする、というのは、苦手以前に「無理」なのだが、そこまででなくても、いったん寝て起きて、朝5時だの6時だのから、職場で起動できるように切り替える、というのは、普通の人にとっても相当難儀なはずで(通勤時間の長短等にもよるが、人によっては3時起きくらいで始動しないと出社できない、というケースもあるだろう)、特に、早起きの上司に合わせて毎朝早朝出勤していた若手がメンタルをやられて・・・という場面を、一人や二人ならず見てきた人間としては*2、「早起きは三文の・・・」的な擦りこみに惑わされて、「朝型」を押し付けるのは百害あって一利なしだと言わざるを得ない。

また、記事の中では「早朝に出社し保育園に子供を迎えに行くために定時に帰宅する女性社員などが働きやすい環境づくり」などともうたわれているが、仕事を朝にシフトさせたところで、周りの社員よりも早く帰宅しなければいけない状況に変わりはないわけだし、5時、6時から働くことを事実上強要されるようになれば、一体誰が朝、子どもを保育所に連れて行くんだ・・・ということになる。

要は、朝でも夜でも、「会社に行って仕事をしなければならない」ということを前提にする限り、子育てする親にとっての「働きやすい環境づくり」にはつながらないわけで、もし、この会社がそういったところをウリにしようとしているのであれば、とんだ●わせ物だと言わざるを得ないだろう。

ワークスタイルを強制されることが従業員にとっての幸福につながるのか?

実のところ、これまでグダグダと自分が書いてきたようなことは、件の会社の制度設計者も当然想定のうちに入れているのではないかと思われる。

要するに、「朝早く出社すれば、これまで同様に超過勤務手当が支給される」という羊頭を掲げつつも、物理的、心理的に夜の残業と同じだけの仕事時間を確保できるはずもないので、結果的に社員の残業時間は減るし、支給する手当の総額も減少する。それで、「ワーク・ライフ・バランス」も「コスト削減」も両方図れるのだから、文句なしではないか・・・と。

だが、ホワイトカラー職場の場合、仕事の中身は人それぞれだし、仕事を捌くリズムも人それぞれである。
そして、時間配分も含めた仕事のやり方に、どんなにささやかでも個々の社員の個性と創意工夫を反映させて仕事を進められる仕組みを作ることが、働いている当人の幸福と職場の生産性の向上に最も資する、ということを、自分はこれまでの経験の中で、痛いほど感じてきた。

朝早く来て仕事をしようが、夜遅くまで仕事をしようが、それが本人の選択によるものであるならば、そういった選択は最大限尊重されるべきだし、自律的に動いている限り、どこかでバランスを取るのが人間の本能だから、極端に過重な労働時間数を記録することもない。あとは、管理職が見かけの“働きぶり”に惑わされることなく、成果を客観的にきちんと評価することができさえすれば、不公平が生じることもない。

それが、本来目指すべき,“ホワイトカラー”のあり方だと自分は確信している。

それだけに、会社が特定の勤務時間帯に社員を誘導し、事実上「朝シフト」を強要することによって、仕事を進める上での最も重要な要素である「働く時間」についての社員の裁量が奪われようとしている、ということは、実に由々しきことだと言わざるを得ない*3

そもそも「フレックスタイム制」という制度に手を付けた時点で、あるべき姿からは大きく後退してしまっているのが実情なのかもしれないが、この会社が、それに輪をかけるように今回の制度改正を行おうとしていること、そして、ともすれば、メディアが(おそらくは会社側の説明の受け売りで)そのことに対して問題意識を感じさせないような評価をしてしまっている、ということに自分は重大な疑問を感じている。

願わくば、これに追随するような会社が現れないことを。そして、万が一現れた場合でも、しっかりと制度の検証をすることで、そこで働く方々に与えるダメージが最小限のものにとどめられることを、自分は願ってやまない。

*1:余談だが、記事にある「社員1人当たりの残業時間が月平均37時間」という数字は、これが「超過勤務手当を支給されている時間とイコール」という前提で考えるならば、羨ましいくらいに(苦笑)多い。いや、これでも実残業時間の半分もつけてない、というのであれば同情するが、必ずしもそういうことではなさそうなので・・・。

*2:そういう社員に対しては、程度が軽いうちに、フレックスギリギリの時間に合わせて朝ゆっくり出勤させるようにするのが、一番の処方箋だったりする。

*3:蛇足になるが、自分は、“残業は一切認めない”というポリシーを取る会社は、“残業青天井”を強要する会社と同じくらい「ブラック」だ、と思っている。会社の思惑で、一方的に選択の余地のない高密度な業務を押し付ける、というのは、ホワイトカラーに対する仕打ちとしてはあまりに酷い(しかも“残業青天井”の会社は、労基署が入れば皆臨時収入を得て一瞬ハッピーになれるが、“ノー残業”の会社は、そんな役得すら得られない)。残念なことに、後者に比べて前者の問題性が話題にされることは少ないし、かえって“理想的な職場”として取り上げられることさえあったりするので、余計にタチが悪い。

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