本当は週末に書こうと思っていたのに、慌ただしさにかまけてグダグダしている間に数日経ってしまったネタ。
土曜日に名将・エディ・ジョーンズヘッドコーチ率いるイングランド代表がオールブラックスを完膚なきまでに叩きのめした姿を見て、そして、その数時間前に、典型的なエレベーターチームだったコンサドーレ札幌が、これまた名将・ミハイロ・ペトロヴィッチ監督に率いられ、ルヴァン杯の決勝で川崎フロンターレを延長戦あと一歩のところまで追いつめた姿を見て思ったこと。
競技は異なるし、代表監督とクラブチームの監督、とでは置かれている環境も全く異なるとは思うのだけれど、それでも共通するのは、指揮官の力は偉大だ、ということ。
あの日本代表をW杯本大会であわやベスト8入りするくらいのところまで持っていった名将が、本場イングランドの元々ガタイの良い選手たちを徹底的に鍛えればどうなるか、ということは、彼が4年前のW杯直後に今の就任したときからおおよそ想像は付いていたことではあるのだが、それでも、地元開催であえなく予選プール敗退を喫したチームが、4年でここまで躍進を遂げ、しかも試合前のハカから、試合中のパス回しまで、とにかく相手の良いところを潰して勝つ、という衝撃的な歴史を残せるチームになるとまでは想像できなかった。
ペトロヴィッチ監督にしても、残留争いの常連だったチームを昨シーズンリーグ上位にまで引き上げ、今年も優勝争いに絡みつつ、リーグカップも決勝戦まで連れていく、という魔法のような力を発揮している。
いずれのエピソードについても、自分は単なるメディアを通じた傍観者に過ぎず、実際に現場で何が起きているかを知る由もない。
ただ、スケールは比べ物にならないくらい小さくても、一度、二度、現実の社会で「指揮官」としてチームを率いた経験がある身としては、こういうエピソードに接するたびに、同じ立場で結果を出した人と出せなかった人の間で、何がどう違ったのか、ということは、すごく気になるものである。
選手を”選ぶ”力の差なのか、それともフィールドでの戦術の差なのか、あるいは、見えないところでのトレーニングなり、メンタルコントロールなりの差なのか、はたまた純粋な情熱、熱量の違いなのか・・・。
現実の世の中はもっと世知辛くて、「選ぶ」権限すら与えられず、使える戦術の選択肢も少なく、さらには、ベンチで采配に専念する、ということすらできない現場指揮官がほとんどだったりもするので、たとえ話でも”恵まれた指揮官”を引き合いに出されると閉口する向きは多いと思うのだけれど*1、結果を出さなければ評価されない、というシビアな世界で生き残っていることへの畏敬の念は当然あるわけで・・・。
既に話題になっていることではあるが、エディ・ジョーンズHCは、母国で一度指揮官失格の烙印を押されかけた過去がある。ペトロヴィッチ監督にしても、レッズ時代の最後の方は、功績が讃えられる前に批判の矢面に立たされることも多かった。
そういう経験が糧になって・・・みたいなまとめをするのは、あまりにベタ過ぎるところではあるのだけど、彼らの選手として、そしてプロコーチとして、積み重ねられてきたキャリアを眺めているだけで、様々なことが想起される。
そして、評価されていた時も、そうでなかったときも、プロとして仕事に徹してきた厚みが、何かを形作っているのは間違いないように思えるだけに、筆者自身も、いろいろと考えさせられるところが多い、ということは、ここで書き残しておくことにしたい*2。