話題作の中に現れた“弁護士像”が示す、法曹と世間との距離。

秋の夜長に・・・ということでは必ずしもないのだが、最近、ちょっと仕事が落ち着いていることもあって、これまで積読にしていた、いくつかの本に目を通している。

そんな中、普通に読むつもりだった文芸書の中に、格好のネタを見つけてしまったので、とりあえずご紹介。

スコールの夜

スコールの夜

賞金500万円の「日経小説大賞」受賞作、しかも著者は現役官僚、ということで話題となった作品だが、正直、小説としての評価は、かなり微妙なところだと思う。

受賞時の選考委員のコメントにもあったとおり、確かに文章は整っていて、無駄がない。
また、「平成元年東大法学部卒、都市銀行トップの帝都銀行に女性総合職第一期生として入社した」主人公をはじめ、彼女を取り巻く上司、部下、対峙する子会社のOB等々、登場人物のディテールが、必要以上に生々しく、細かく描かれている*1のも、本作品の特徴で、著者ご自身の観察眼と“取材力”の確かさが至る所から伝わってくる。

だが、様々な“あるある”ディテールを組み合わせただけで物語にリアリティや迫力が出るか、といえば、それはまた別の話だし*2、描かれる登場人物の断片的な特徴が、その場面場面限りのエピソードに留まってしまうのであれば、(ノンフィクション的な路線を志向するのであればともかく)大衆小説としては、あまりに読後感が薄いものになってしまう*3

リアルな描写としては少々中途半端、かといって、フィクションとしてのストーリー性、エンターテインメント性、という点からすると??? というところがある作品だけに*4、「話題性」という理由に食いつきたい、という人以外の方々には、ちょっと購入まではお勧めしづらい。

ただ、本作品の中で、主人公との関係で重要なカギを握る“辣腕弁護士”として登場する「石田晃嗣」が、以下のような描かれ方をしていることについては、個人的に関心を惹かれるところがあった。

「石田の場合、司法試験の順位も司法修習の成績もトップクラスだったので、裁判官、検察官、弁護士のいずれを選ぶことも可能だった。その中であえて弁護士の道を選んだのは、法律論争において相手を完膚無きまでに屈服させることに快感を覚える石田の性癖があったと言わざるをえない。」
「石田は、裁判で誰もが敗訴するだろうと予想する案件を緻密な法論理展開で逆転勝訴に持ち込む場面を夢想しては、法の下の勝負において自己の能力の高さを証明してみせたいという思いに駆られていた。彼にとって裁判とは、チェスや将棋のような盤上の闘いと同じである。様々な論理を武器として駆使しながら頭脳と気力を振り絞って勝利に導くことが全てであって、それによって社会正義や世の常識に適った解決につながるか否かにはある意味無関心である。むしろ、社会正義や世の常識に背くような結論を導き出せた時というのは、自分の論理構成の強靭さが相手を捩じ伏せ、世の常識に囚われる裁判官をも説得しきれた証しなのだと誇らしく思った。」
「こうして、訴訟事案の背景にどのような複雑な事情が絡もうと、彼にとっては盤上の戦闘ゲームと同じで、純粋な法的論争ゲームに置き換わった。そして、プロの棋士が各指し手ごとに瞬時にあらゆる選択肢を比較検討するように、石田は全ての論点を蛇のように舐め尽くした上で最善の論理構成を組み立てた。それがたとえ社会正義の実現につながらないとしても、彼が弁護を手掛ける裁判の勝率は確実に高いものとなり、そういう弁護士を一流企業はもてはやし、こぞって頼りにした。」(69〜70頁)

他の登場人物と比べても、かなり念入りに書かれたキャラクター設定。

著者は、主人公との対比で、この人物に“分かりやすいヒール役”を演じさせており、上記のくだりに先立って「学業成績で他者に勝つことばかりが自己目的化してしまった」モンスターとして、「石田」という人物を描いていたりもするから*5、そういった文脈の中で読む必要があるのだが、それにしたって、何とも思い切った書きぶりだ。

おそらく、実際に法曹の世界を知っている人と、そうでない人との間で、こういうくだりの受け止め方、感じ方は大きく異なるだろう。
そして、日本における民事訴訟の何たるか、そこで本当に重要なことは何か、ということを、きちんと分かっている人が見れば、多少ならずは違和感を抱くくだりだと思うし、「ただのフィクション」、あるいは「悪い冗談」として、3秒で片づけられる人がいても不思議ではない、と思う。

でも、本作品の他の部分の記述と比較したとき、もしかすると、この作品を書いた当の著者ご本人と、その著者が情報源としたであろう企業の関係者は、「優秀な弁護士」に対して、多かれ少なかれ、本当にこんなイメージを持っているんじゃなかろうか(多少、本作品の中で盛ったところがあるとしても)、と思わずにはいられない。

本作品は、「半沢直樹」とは違って、登場人物の誰かを断罪する、というストーリーにはなっていない。
あくまで、登場人物それぞれの背景が淡々と紹介され、それぞれの生き方がずっと最後まで綴られていく物語である。

だから、この「石田」という弁護士も、著者からは肯定も否定もされていないのだけれど、(勧善懲悪系ではない)そういう淡々とした物語の中で登場する“弁護士像”が、上記のような神話めいたものになってしまう、というところに、自分は、世の中と法曹界との距離、というものを、否応なしに感じてしまう。

まぁ、「百聞は一読に如かず」でもあるし、この説明しづらいイライラ感を、この場の中でお伝えするのはかなり難儀なので、ご関心のある法曹関係者の皆様は、是非、図書館等で本作品を一度手に取ってみていただければ幸いである。

*1:特に、主人公と同窓の石田弁護士の学生時代のエピソードなどは、ちょっと年次が離れた世代から見ても、あるある系のネタが比較的多いのだが、それゆえ、同じバックグラウンドを持たない読者に、これがどこまで伝わるのか、ということが不安になってしまう。

*2:各登場人物のキャラクター設定にしても、本作品の最大の「戦場」となっている案件にしても、いろんな“あるある”を組み合わせた結果こうなった、ということは分かるのだが、リアルの極端な部分の断片を積み重ねた結果、全体としては、現実から離れた方向に行ってしまったように思えてならない。例えば、「銀行」という組織が、いかに特殊な、上位下達、減点主義だけで成り立っている、という環境なんだとしても、本体が倒産寸前、という状況でもないのに、頭取が発した号令から、「重要な位置づけの子会社を丸々取り潰して、従業員を全員整理せよ」などというミッションに一気に突き進んでいく、というプロセスには少々理解に苦しむところがあるし、そもそも、四半世紀近く同じ会社に勤めて、上位管理職の地位にまでたどり着いている人物、という設定を踏まえると、主人公の言動は少々ナイーブに過ぎるように思えてならない。この世代で、役員の一歩手前まで来られる人、というのは、男性、女性にかかわらず、「組織との付き合い方」などというものには、とっくの昔に結論を出しているはずだし、だからこそ「会社に留まって上を目指す」という道を選んでいる(特に女性の場合は、様々な他の選択肢がある中で、あえてそのラインに乗っているわけだから、一般的には男性以上に、仕事への割り切りも強いし、傍から見れば胆力があるように見える人がほとんどである)。この作品は、女性を主人公に据えてフィーチャーしているように見えるが、実際は、主人公の中途半端な“ナイーブさ”と、周辺の男性幹部のしたたかさばかりが際立ってしまっていて、いかにも「男性視点から書かれた女性ドラマ」になってしまっているのが、非常に残念、というほかない。著者には全くそのような意図はなかったのだろうが、結果的には、日経新聞の「男女共同参画」記事と似たような視点になってしまっているのが、何とも皮肉である。

*3:何らかの“伏線”を予感させる仕掛けをしながらも、それが回収されないまま(かといって、さらに想像力をかき立てるような仕掛けもない)もやもやと残ってしまう、というのが、本作品の読後感を最も損ねているところである。

*4:決して「プロ」の作家とはいえない著者の作品に、アガサ・クリスティー的な完璧なストーリー性を求めるのは、“ないものねだり”にもほどがある、ということなのかもしれないが、この手の舞台設定をする以上、無意識のうちに、皆、池井戸潤氏の作品と比べてしまうのは避けられないわけで(苦笑)、にもかかわらず、この作品に「大賞」を与えてしまった日経には、恐れ入ったというほかない・・・。

*5:その割には、終盤になってキャラクター像に“揺らぎ”も見られたりもするのであるが・・・。

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