裁判例に見る「産学連携」の難しさ。

ノーベル賞まで受賞した高名な研究者が一方当事者となっている「オプジーボ」特許問題が広く世に知られたことで、古くて新しい「産学連携っていろいろ難しいな」という問題を改めて認識した知財担当者の方も多いのではないかと思う。

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この問題の行く末(訴訟事件化するかどうかも含めて)を今見通すことは非常に難しいのだが、そんな時、九州発の事件の判決が裁判所のWebサイトに掲載された。

事業化が爆発的に成功した「オプジーボ」とは真逆の展開になったがゆえに紛争化してしまった事案ではあるのだが、企業実務者としてもいろいろと考えさせられるところが多い事件だけに、以下、少しかいつまんでご紹介させていただくことにしたい。

大阪地判令和元年7月4日(H29(ワ)第3973号)*1

原告:株式会社アイエスティー
被告:ハリマ化成株式会社

当事者の見た目上は「企業同士の紛争」だが、原告の代表取締役(原告代表者)は九州産業大学の教授(有機化学、生物化学専攻)であり、本件の背景にあるのも、まさに「蛍光色素」の共同研究と事業化をめぐる大学研究者と企業間の関係のもつれ、だった。

概要としては、
原告は、原告・被告間で締結された「特許権等の専用実施権および仮専用実施権の設定に関する契約書」に基づく実施料(一時金)4500万円(+遅延損害金)の支払いを主位的請求として主張。
被告側が同契約の以下の条文を根拠に支払いを行わなかったことに対し、「被告が故意に本件契約第25条の停止条件の成就を妨げた」といえるか、あるいは、被告側の第21条に基づく中途解約、第22条に基づく債務不履行解除が認められるか、といった点が主な争点となっている。

第25条(契約の一体性)
 本契約は,第12条(共同研究)及び第13条(販売・製造)に定める共同研究契約,及び製造委託契約の締結を条件とする。
第21条(契約期間)第2項 
 前項に関わらず,本契約の有効期間中であっても,被告は,本件特許権等の実施にあたる事業を中止したときは,事前通知によって中途解約できるものとする。
第22条(解除事由)第1項
 原告又は被告は,相手方が本契約に定めるその他の義務に違反し,当該相手方の書面による履行催告を受領後30日以内経過後も当該違反が解消されないときは,書面による通知をもって本契約を解除することができ,かつこれにより生じた損害の賠償を違反当事者へ求めることができるものとする。

これらの条項のうち、第22条第1項は一般的な条項だが、第25条や第21条第2項は、勘の良い人が見れば「何かあるな」と思うタイプのもの。
そして、それを導いた当事者間のこれまでの経緯は、「被告が故意に本件契約第25条の停止条件の成就を妨げたか」という争点(争点1)に関する裁判所の判断の中にガッツリ出てくる。

時系列で両者の関係をまとめると、おおむね以下のような感じだろうか。

平成17年頃 原告が開発する蛍光色素を被告側がナノテクノロジーの分野に応用したいとして協議開始
平成17年10月5日 機密保持契約締結
平成19年8月1日 共同開発契約締結(委託費300万円)
平成25年7月31日 共同開発契約が期間満了により終了(当初予定から4年延長したが、原告側にスキーム見直しの意向があり、再延長には至らず)
平成25年11月 原告代表者が九州産業大学に対し,自らを研究代表者とする平成26年度実用化支援研究費の申請を行い採択、被告も共同参画の意向表明。
平成25年11月 原告と競業関係にあった古河電工が,ウイルス検査等に使用できる新蛍光粒子を開発したとする記事が新聞に掲載。
       (後に、被告を通じてサンプルが渡っていたことが判明、被告が謝罪)
平成26年10月 特許出願を巡り、原告・被告間で意見相違、原告が単独で出願。
平成27年1月 原告・被告間で医療バイオ分野における共同研究や業務提携等について協議を開始。
平成27年4月~ 原告・被告間で合弁会社設立等、業務提携スキームについて議論検討
平成27年12月7日 秘密保持契約締結
平成28年2月9日 被告が「特許権等の専用実施権および仮専用実施権の設定に関する契約書案の骨子」作成、その後契約協議
平成28年2月15日 被告が社員を原告代表者の研究室に派遣
平成28年5月7日 原告・被告が「特許権等の専用実施権および仮専用実施権の設定に関する契約書」に押印(4月22日付締結)

実に10年以上にわたる関係の末、締結されたのが問題となった契約。
そして、その契約にしても最初の協議開始から締結するまでに1年以上の期間を要している。

原告代表者は、本契約の対象となった特許だけでも12件を自己名義又は原告名義で保有しており、自ら会社まで立ち上げて独自の事業化も図っていた、というのだから、大学の研究者としてかなり意識が高い方だと思われるのだが、過去の委託研究費の多くが特許出願費用に消えている、という事情や、会社自体も多額の負債を抱えていた(債務超過だった)という事情は判決の中に出てくる。

一方、被告は東証一部上場の持株会社の下にある名門化学メーカーで当然自前の研究開発部門、知財戦略部門も備えている会社だが、元々医療バイオ分野を手掛けたことがなかったこともあって、本件業務提携や共同開発に関しても極めて慎重なスタンスを取り続けており、先に引用した契約書の中に、第25条や第21条第2項といった条文が出てくるのもそんな姿勢の表れだと言えるだろう。

裁判所は、争点1に関し、

民法130条は信義則に反する当事者の責任を重くしたものであるから,同条によって条件が成就したものとみなすためには,条件が成就することによって不利益を受ける当事者に「故意」があることに加え,条件を不成就にしたことが信義則に反することも要件として求められると解すべきである。」(18頁、強調筆者、以下同じ。)

という規範を立てた上で、「被告が共同研究契約等を締結せず,停止条件を成就させなかったことが信義則に反するかどうか」という観点から、契約締結後の状況について以下のような事情を元に判断を下した。

■「原告製品に係る蛍光色素に関する技術情報等の開示の有無」について
「以上のように,被告は原告から,共同研究を始める前提として開示を求めていた各種情報の開示を十分には受けることができなかったから,そもそも本件発明の作用効果や原告製品に係る蛍光色素の評価を十分にできなかったばかりか,今後の共同研究や製品化に当たって解決すべき課題を具体的に認識することができず,またこれらが具体的に認識できない以上,その課題解決が可能かということや,どの程度困難かということも予想できず,仮に課題解決が可能であるとしても,その課題解決にどの程度の時間を要するかも明らかではなく,製品化の見込みを立てることはできなかったと考えられる。また,被告は多大な経費をかけて本件事業を進めていくことを予定していたが,今後の共同研究や製品化に当たって解決すべき課題の具体的内容が認識できなければ,製品化の可能性や事業として成り立つ見込みも立てられないから,営利事業を営んでいる被告としては,原告との共同研究を断念し,事業の中止を検討することは不合理とはいえない。そうすると,そもそも被告が社内で共同研究契約の内容(条項)を詰めて,原告との間で,その契約締結に向けた交渉をすることができる状況に至っていたとはいえない。」(40~41頁)
■「サブマリン特許の出願の事実に開示に関する原告の対応」について
「以上より,原告が本件契約締結後,しばらく経ってから乙27発明に係る特許出願についての具体的情報を開示し,その共同出願人から仮専用実施権の設定に同意を得られないという事実は,被告が原告との間で共同研究契約を締結し,本件事業を推進するかどうかを判断するに当たり,相当程度,影響を与える事実といわざるを得ない。」(43~44頁)
■「平成28年6月下旬以降の被告側の対応」について
「原告代表者は,本件契約第25条の存在を認識しており,P2から契約書への押印前に,被告には情報がなく,共同研究契約も製造委託契約も議論のしようがなく,まず本件契約を締結するという順序は当然の流れであることを説明されていた。そして,同年6月下旬ないし同年7月の時点で共同研究契約等は締結されていなかった以上,被告側の上記対応によって,原告に対し,本件契約第25条の停止条件の不成就が主張されることはないであろうとの期待を抱かせたとまでいうことはできない。」(44頁)
以上のことを踏まえると,被告が他に主張していることについて判断するまでもなく,被告が原告との間で共同研究契約を締結しなかったことは,やむを得ないものであったということができ,そうである以上,製造委託契約を締結するという話に至ることもないから,製造委託契約を締結しなかったこともやむを得なかったといえる。そうすると,被告が条件を不成就にしたことが信義則に反するとはいえないから,被告が故意に停止条件を成就させなかった(民法130条)と認めることはできない。そして,上記判示を踏まえると,本件契約の適用において,信義則上,共同研究契約等が締結されたのと同視すべき事情があるともいえない。」(44~45頁)

Web掲載バージョンでもページ数は50を超える判決だけに、そこに出てくる当事者の「事情」も実に多岐にわたる。

そして、上記事情に関連するものだけ見ても、「経営判断に際して慎重を期すため詳細な技術情報を要求する企業側と、マイペースな対応に終始しがちな大学側」、「いきなり発覚する『サブマリン特許』」、「空気を読まずに権利化(審査請求すること)にこだわる大学当局や、民間への独占権付与に抵抗を示す公共団体(サブマリン特許の取扱いを巡って露呈した問題)」、「担当者ベースの協議ではしのげず、社内上層部の意を汲んだ要求を次々と繰り出す企業側と、それに不信感を募らす研究者側」等々、まさに「産学連携あるある」のオンパレードだ。

もちろん、実務に通じた人であれば、上記のような事情を踏まえて、裁判所が「被告が条件を不成就にしたことが信義則に反する(=故意に停止条件を成就させなかった)とはいえない」と判断したことに、何ら違和感を抱くことはないだろう。

ただ、同時に、10年以上続けてきた関係がこんな形で断絶する事態になってしまった、という現実を、身につまされる思いで眺めた人も決して少なくないと思われる。

本件では、予備的請求として、「被告が原告と共同研究を行う意思がなかったにもかかわらず,原告に本件契約の締結を持ちかけ,ノウハウ等を詐取した」として、詐欺による不法行為まで原告によって主張される事態となったのだが、企業側の人間にしてみれば、「そんなわけないだろ!」と怒りをぶつけたくなるところで、裁判所が以下のように主張を退けたのも当然、という思いはあるだろう。

「前記認定事実によれば,被告は,本件契約締結前から原告との共同研究や事業化に向けた検討をし,原告とも打合せや会議を実施していたし,本件契約締結後も,被告の「プロジェクト」として進めることを前提として,事業化に向けた研究開発計画の策定を行おうとしており,原告との共同研究に向けた検討・準備をしていたと認められ,前記認定の本件契約の締結前後の経緯によれば,被告は,本件契約締結後の原告の対応等を受け,原告との間で共同研究契約等を締結することはできないと判断するに至ったと認められるから,原告が主張するように,本件契約の締結時から,被告に原告と共同研究を行う意思がなかったと推認することはできず,他に原告の主張を認めるに足りる証拠はない。」
「また,製造委託契約については,その性質上,共同研究契約が締結されないにもかかわらず,製造委託契約だけが締結されるということは考え難く,以上の認定・判示によれば,被告が本件契約締結前に,製造委託契約を締結する意思を有していなかったと認めることもできない。したがって,被告が詐欺を行ったとする原告の主張は,認められない。」
(45頁)

しかし、大学の研究者の先生方のご自身の研究への執念は、時に組織の中でサラリ―で暮らしている人間の想像を大きく超えてしまっていることも稀ではないわけで、一つボタンを掛け違えてしまうと、ここまで到達してしまうリスクは常にある、ということは、気に留めておく必要があるだろう。

ということで、実務者にとって教訓的なエッセンスが多々含まれる本判決のご一読を、産学連携に関わる全ての皆様にお勧めする次第である。

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