そして、エースは去った。

人生それなりに長く生きていれば、どうしても様々なサプライズに直面することになるし、自分自身も散々ハードな経験をした今となっては、ちょっとやそっとのことでは驚かない自信もある。

だが、それでもなお、「聞きたくなかったこと」、「聞いて仕事の手が一週間止まってしまうようなこと」に遭遇して、何とも言えない思いになることはあるわけで。

以下、ごく個人的なつぶやきになってしまうが・・・。


大きな会社の中で新しいことを始める時に、土台のないところからスタートとして、しっかりと仕事を回せる組織を作る、というのはすごく難しい作業。
また、そのためには、目指す仕事のやり方、自分のチームに求められている機能のイメージに合わせて人を育てる、という時間のかかるプロセスも必要になる。

自分が歩いてきたこの数年間は、まさにそのための時間だった。

チームの長たる「管理職」とはいえ、人の採用権限もなければ、元々潤沢なスタッフが与えられていたわけでもない。
かといって、自分自身の個人技で全てを突破できるようなスキルも時間的余裕もなく、そんな中で、会社の業容拡大に合わせて、既存の業務+αの仕事を担える態勢を整えるのはまさに至難の業。

最初の頃は、「従来のメンバーに外から採ってきた有資格スタッフを加えることで何とか乗り切れないか」と画策したものの、それまで自社内ではほとんど手掛けていなかった領域の話で育成ノウハウがあるわけでもなく、頼みの綱だった中途採用者もキャリアが浅すぎて社会人教育から始めないといけないような状況。いくらポテンシャルがあっても各人の当座のスキルは「普通に仕事が回せる」レベルには程遠く、数か月で破綻寸前の憂き目に・・・。

こうなったら、「経費が一桁増えることも覚悟でアウトソーシングするしかないか」と破れかぶれになりかけたところで現れた救世主が今日の話の主人公(以下「X氏」としておく)である。

X氏は、自分より一回り近く年下の法務プロパー採用の社員。
自分は、入社した頃から勉強熱心で向上心も強そうなやつだな、と好意的に眺めていたが、少々気ムラな一面があった上に、仕事の進め方にも粗削りなところがあり、一度、スキルアップを目指して職場から飛び出していった時は、当時の上司との折り合いの悪さゆえ「しばらくは戻ってこない」という噂も流されていたくらいだった。

だが、そんなX氏は、いろんな偶然の重なりもあって運よく元の職場に戻ってきた。
そしてそこから、全てが変わった。

・「法務」の仕事を担う上では、仕事のスピードや処理の迅速さもさることながら、相談してくる相手の意図や求めに応じたリアクションをいかに的確に返せるか、というスキルがもっとも大きな意味を持つ。
・いかに細々とした知識を頭の中に抱えこんでいても、それが相手の求めるもの、その時々の解決に必要なものでなければ何の意味もない(企業内法務の世界は、ハイレベルな知識を開陳すれば、そこそこ「先生」と崇めてもらえるような世界とは全く別次元の世界だ)。

というのが、約20年の実務経験の中で培った自分の考え。

残念ながら、普通の人にはもちろんのこと、法務の中にいる人間にすらそれを理解してもらうのはなかなか難しかったのだが*1、初めて本格的に一緒に仕事をして分かったのは、X氏は誰に教えられるでもなく、上記のようなエッセンスを見事に発揮できる稀有な存在だった、ということ。

もちろん、外で磨いてきた専門的スキルも出し惜しみすることなく発揮してくれたし、高いコミュニケーション能力ゆえ、一度相談に来た社内クライアントからは決して引き合いが絶えることもなかった。

加えて「一度外に出て、自分の組織を客観的に眺めた」経験のある者に共通する胆力と反骨心が、元々の向上心と相まって、X氏自身の、そしてチームの伸びしろをどんどん大きなものにしていった。

指示を出したときにソツなくこなしてくれる部下は他にもいたのだが、X氏が優れていたのは、単に従順に指示に従うだけでなく、常に自身のアレンジを付け加えて一回りレベルの高いアウトプットにしてくれた、というところ。「A」という指示が「A’」になることは日常茶飯事だし、時には180度転回した「Z」となって出てくることもあるが、そういう時は必ず合理的な理由が付されていたし、ちゃんと状況判断した上でのアウトプットだな、ということも分かる。

一見すると、いちいち口答えをして”反逆”しているように取られる可能性もあるし、自分の指示に「絶対服従」を求める上司も多い組織風土の中、X氏のそれまでの評価は必ずしも芳しいものではなかったのだが、そんなに高いスキルも豊富なアイデアを持ち合わせていたわけでもない分野で手探りでおろおろしていた自分は、X氏の数々の”アドリブ”に何度となく助けられた。そしてそのおかげで、暗闇の中、八方破れの状態で立ち尽くしていた状況から一気にポジティブな方向に仕事を広げていくことができるようになったのだから、管理職としては、こんなに嬉しく、ありがたいことはなかった。

結果、そこからの数年間、会社のその分野での事業拡大のスピードと軌を一にして、密度の濃い快進撃が始まった。

とにかく忙しく、振り返る暇もないくらい慌ただしい時間だったが、事業の拡大と合わせ、後発だった自社の体制を一気にトップランナーのレベルにまで引き上げられるんじゃないか、という、夢を通り越した幻想を抱くことができるくらい充実した時間でもあった。そして、本当なら、今日の今日まで、ずっとそんな時間が続いているはずだった・・・。


*****

この一年ちょっとの間に、いろんなことの積み重ねで会社全体が内向きになり、本来職責を担うべき人たちが、「新しいこと」に真摯に取り組むマインドを失ってしまったこと。さらに、短期間のうちに目覚ましい成長を遂げ、数多くの華々しい成果も出したX氏が、周りのスタッフと比べるとまだ若く、社内での職位も決して高くはない存在だったことが、不幸の発端。

「能力と意欲の両方を兼ね備えた者を積極的に登用し、活躍にふさわしい処遇を与える」というのは、いつの時代でも組織を発展させていく上で欠かせないことのはずだが、戦国武将でも徳川幕府の時代でも、明治維新以降でも、本当にそういう「登用」を試みた権力者や経営者は、「歴史」にわざわざ記録されるくらい数少ないわけで、内向きなマインドに陥った組織の中で、突出した活躍を遂げ、高い評価を受ける者が〝逆風”に晒される、というのは、洋の東西を問わず世の常であり、X氏も決して例外にはなれなかった。

自分もそんな雰囲気は薄々感じていたから、本来の仕事でのあれこれに駆け回る傍ら、X氏の負担を減らし、雑音に頭を悩ませることなく仕事に専念できるような環境を作るべく動いてきた。

しかし、大組織の中でその手の話を動かすには自分の立場はあまりに弱すぎたし、X氏に圧し掛かっていた負荷やストレスは、そんな「巨象の歩み」では到底乗り切れない、想像を絶するものだったのだろう。

充実した時間はやがて不幸な時間へと変わり、鬱積したストレスの矛先は自分にも向けられた。

そして訪れたのは、組織内の壮絶な不協和音のうねりと、保身に走った上層部が守るべき組織すら捨てて責任を押し付けあうというmadnessな混乱。

結局、最後に待っていたのは、自分が退避を余儀なくされてからわずか数か月で、X氏も組織を去る、という最悪の結末だった。


*****

運動会の徒競走で仲良く手をつないでゴールしていた世代が立派な社会人になってしまっている今、特定のプレイヤーにフォーカスした組織づくりは歓迎されにくいし、「仕事はみんな仲良く公平に。」というお題目が、社内で飛び交うようになって久しい。
「全てのスタッフが、ポリバレントに、いつでも入れ替わって仕事ができるようにするのが理想」という極論がもてはやされることすらある。

だが、杓子定規な残業規制等で「仕事のために使える時間」が年々削られていく今、それぞれのスタッフが持っているベースの資質への評価抜きに一律の「人材育成」をすることは困難だし、高度な仕事になればなるほど、特定の「人」単位で仕事を割り当てていかないと立ち行かなくなる、という現実は直視しなければならない。

そして、「現状を維持する」ことを超えて、「仕事を深度化させ、組織を飛躍的にレベルアップさせる」ためのブレイクスルーまで引き起こすまで目指すのであれば、最後は、人それぞれの「個性」に着目し、高いスキルと熱意を持ち合わせた人間の爆発力に委ねるしか道はない、と自分は思っている*2

初めて「法務」の世界に足を踏み入れた時点で、X氏には既にその世界を担えるだけのベース(スキルとモチベーション、そして健全な正義感。)は備わっていた、というのが自分の見立てだったし、そこからレベルアップしていく過程での吸収力も、他のスタッフと比べるとずば抜けていた。
一担当者の域を超えて案件を一人で切り回すマネジメント能力もいつの間にか身に付けていたし、サポートスタッフを付けた時の指導育成能力も驚くほど高い。
紛れなく、次代まで担えるエースだった。

だから、自分の夢が一頓挫した今となっても、X氏をチームの中心に据え、自分の理想の実現を託してきたことに悔いはない。
会社のレベルや将来性、今のスタッフの陣容からしてX氏が抜けた穴を早期に埋めることは不可能だし、この先10年、20年、”ロス”を引きずる可能性すらあるが、それも今となってはどうでもよいこと。

ただ、それだけの逸材を預かっておきながら、地位や報酬、業界を超えた知名度、といったところまで含めて名実ともに「トップ」のポジション*3に引き上げるまで育て、守ることができなかったこと(むしろ、自分が負わせた重荷のせいで、潰れそうなところにまで追い込んでしまったこと)、そして、お互い必死の思いで作り、育て上げてきたチームのバトンを受け渡す前に、レースそのものを終えないといけないことになってしまった、ということに対しては、本当に後悔しかない。

そうでなくても、「あの時、こうしておけばよかったんじゃないか」という思いにここ数か月苛まれていたところに訪れた「・・・も去る」という報は(ある程度、想定されていたこととはいえ)、心に突き刺さる痛烈な一撃だった。


*****

鬱陶しい長梅雨も、いつかは明ける。

今置かれている環境を考えると、誰からも客観的に、そして的確に実力が評価される環境に転身したほうが、X氏本人にとっても間違いなくプラスだし、この先の可能性も広がるはず・・・。

そんな風に考えたところで何ら悔悟の念が和らぐわけではないし、仮にX氏が今後めざましい活躍を遂げたとして、それが自分の贖罪になるわけでは決してないのだけれど、今はただひたすら、「本物の力を持っている人がふさわしい環境で力を発揮する」という当たり前のことが当たり前に叶うことを、心の底から願っている。

*1:例えば、中途採用をかけた時などに、同じような世代、同じようなバックグラウンドの候補者同士だと、企業内での実務経験より「資格の有無」の方に目を向けてしまう人は多かった。ミスマッチ採用が繰り返されることで、ある程度学習はなされたはずだったが、今となっては知ったことではない。

*2:全てのスタッフにとっての平等性、業務の均質性を追求する、という考え方は、一見するとスタッフを大事にしているようだが、実のところ管理職にとっては、あたりさわりのない、没個性的なルーティンを維持するための術に過ぎないと自分は思っているし、それが行き過ぎると結果的に生身の人間をスポイルする結果すら招きかねないのではないか、と危惧している。悪しき平等主義は優れた資質を持つ者の才能を腐らせることと常に隣り合わせだ、ということは、絶えず心に留めておかれるべきことだと思う。

*3:いかに高い評価を与え続けても、年功序列が色濃く残る大組織の中ではそもそも限界があった。

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