野中郁次郎先生の至言。

今月の日経新聞の「私の履歴書」を一橋大学野中郁次郎名誉教授が書かれているのだが、御年84歳、”Knowledge management”の理論で一時代を築かれた経営学の大家、しかも企業の現場を知り、そこからの米国留学で道を切り開いてこられた方、ということもあって、研究のプロセスの話から学内政治のあれこれまで、興味を惹かれる話が続いている。

そして、話も終盤に差し掛かった連載25回目、「社外取締役」というタイトルで書かれていた内容が、実にそうそう・・・という中身であった。

ずばり、「私がどう行動してきたかはさておき、一般論で言えば、社外取締役は必ずしもうまく機能していないのではないか。」というフレーズから始まるくだりである。

社外取締役がさ末な問題に口を出しすぎると、事務局が準備に追われ、場合によっては取締役会用の想定問答集まで用意するようになる。」(←あるある・・・)
社外取締役は社内の役員や監査役らが気づかないような、大きな視野にたった本質論を展開しなければならない。そして取締役会の議論が細部に入りそうになったら、『あとは任せたよ』と自制するバランス感覚が求められると思う。」
「実際には、企業経営に携わった経験がある社外取締役は細部に目を向け、有識者社外取締役は経営の実態を踏まえない空理空論を唱えがちだ。議論はまとまらず、混乱が起きてしまう。」(←すごくあるある2・・・)
「内容はどうであれ、取締役会で発言すれば議事録には記録が残り、社外取締役として仕事をしているエビデンス(証拠)にはなる。そんな考えで発言する人が多いと聞くが、時間の無駄ではないだろうか。」(←あるある3・・・)*1
(以上、日本経済新聞2019年9月26日付朝刊・第44面、強調筆者)

ここで描かれているような話は、「社外取締役実質義務付け」後の取締役会周りを見てきた人なら、大なり小なり思い当たる節がある話だと思う。
そして、その改善策として「取締役会に付議する内容を精査する」という方向に舵を切れば、十分に議論されないまま生煮えの案件が跋扈することになるし*2、逆に「社外取締役への事前説明を徹底する」という方向にもっていってしまうと、事務方の負担は増すし、議論も形骸化しがちになる。

社外取締役制度は、賢さとバランス感覚を兼ね備えた人間を選んでこそ、うまく機能するシステムなのだと考えている。」という最後の結論まで拝読してしまうと、そりゃあそうなんだろうけど、そんな人が世の中にどれだけいるのよ・・・というまた新たな突っ込みをしたくなってしまうところはあるが、現場感覚を重視する野中名誉教授のような方であればもちろんのこと、「実質はどうなのか?」ということを常に問い続けるヨーロッパ系の発想からしても、ただひたすら米国流に「形を整える」ことを重視しているかのように見える今の社外取締役制度、社外役員制度がこのままでいいのか*3、という疑問は常に出てくるわけで。

その意味で、こういった問いかけは常になされる必要があるし、当局関係者にも、そこに耳を傾ける姿勢は常に持っていてほしいな、と思わずにはいられないのである。

*1:厳しい表現だが、現に年度末に社外役員の発言機会を確保するために、事務方がメモを差し入れていたこともあったりしたので・・・。

*2:米国の実務はよく分からんが、英国などはかなり細かい案件まで大量にボードにかけて議論する、という傾向もあって、最近の日本の傾向にはちょっと首を傾げたくなるところはある。もちろん、事業会社か持株会社か等々、会社の機能や位置づけによっても大きく異なってくる話だとは思うけど。

*3:社内の生え抜き取締役の数が減ったことで、取締役会での牽制効果が薄れ、結果的には、これまで社内のバランスで「暴政」が防がれていた大企業の中で「権力者の暴走」を許すケースが増えつつあるのではないか、というのが自分の印象である(社外取締役がいくら議論の場で鋭い発言をしても、「その場」を乗り切ってしまえばあとには響かない、というのが現実なので)。

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