我々はこの山をどこまで登ることができるのだろう?~田村善之『知財の理論』との格闘の途中にて。

昨年の秋頃に公刊予定であることが発表されるや否や、SNS上でも「発売まで待てない!」*1的な声が沸き上がったのが、田村善之教授の論文集、『知財の理論』である。

知財の理論

知財の理論

自分も、早々に入手することが叶い、冬休みに読み切るつもりで温めていたのだが、先週末に切ってしまったスイッチを入れ忘れたままダラダラと1週間過ごしてしまったこともあって、未だに最後まで読み切れていない。

だが、このタイミングで、Twitter上で「田中汞介」のクレジットで活躍されている知財クラスタの方が、自らのブログ(「特許法の八衢」)で、本書の読後感を丁寧にまとめておられるのに接したこともあり、自分も、少しでも多くの方に本書に目を通していただきたい、という思いを込めて、少し雑感を書き残しておくことにしたい。

patent-law.hatenablog.com

※本書の構成や、後半部分の概要等に関しては、田中氏のブログのまとめをご覧いただければ十分だと思うので、以下では割愛する。

市場志向型の視点から政策形成過程プロセスに向けられた視点、そして「役割分担論」へ。

知財をある程度勉強したことのある方なら、田村教授のお名前を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、「インセンティブ論」ではないだろうか。

自分もちょうどこの分野の勉強に手を付け始めた直後に『著作権法概説』に接し、まさに”田村説から入った”状況で、古典的な自然権論の土台がないまま著作権周りの業界に片足を踏み入れてしまったものだから、その後、様々なぶつかり合い(?)の中で若干の軌道修正を強いられることにもなったのだが、いずれにしても、市場におけるインセンティブに基づいて知的財産法制度が設計されるべき、という観点からの一貫したご主張が、長らく田村教授の代名詞のようになっていたような気がする。

だが、あの頃から20年近く経って出された本書に収められている論文では、そういったシンプルな「市場志向型」の着想に留まらず、その後、著作権法に限らず様々な場面で唱えられるようになった「政策形成過程のバイアス」や、「市場と法」/「市場・立法・行政・司法」の役割分担、そしてそれらを裏付ける「正統性」の探求といったところにまで踏み込んで、終始一貫した視点で「知的財産法制度」のあり様が描かれ、様々な問題提起がなされている。

思えば、今世紀の初頭、自分が手にした『機能的知的財産法の理論』や『競争法の思考形式』、さらには『不正競争法概説』といった書籍の中には、必ずと言って良いほど、単なる机上の条文解釈のレベルに留まらない、立法過程、法形成過程を強く意識した論稿が収められていた。

当然ながら、知識はもちろん、実務経験もほとんどゼロに等しかった当時の自分にはそういったスケールの大きな話を消化できる余地は乏しかったし、いま改めて読み返しても理解できるかどうか、心もとないところはあるのだが、その頃感じた田村教授の論文のスケールを「富士山」に喩えるならば、本書に収められている各論文は、まさに「エベレスト」級、というべきだろう。

田中氏のブログでも紹介されているように、本書の各論文は、既に過去の何らかの媒体に掲載されている。

そして、掲載媒体のうち「知的財産法政策学研究」はある時期から毎号送っていただいているし、その他の媒体も(マニアックな論文集等も含めて)ほとんどは既に購入したり、先生ご本人からご紹介いただいたりしたものだから、これらの所収論文はいずれも一度は拝読したはずのものである。

だが、軽装にリュック一つでは世界最高峰に挑むことができないのと同様に、本書の所収論文は、一度や二度、さらっと読み流した程度では、到底そこに描かれている理論の神髄まできちんと理解することはできないし、(脚注も含めて)質量ともに圧倒的に充実した情報が収められているだけに*2、繰り返し、時を置いて読めば読むほど、新しい気付きも生まれる、そういったものだと自分は思っている。

あいにくのガサツな性分、しかも、集めた雑誌や論文の抜き刷りをきちんと整理してストックしておくようなスペースも持てないしがない身の上ゆえ、「一度拝読した」ものを読み返そうにも、肝心な時に出てこない、なんてこともしばしばあったのだが*3、そういった事情はさておいても、今回、田村教授の体系的な理論に貫かれた論文がまとめられ、書籍として公刊されたことで、一連の論稿にまとまった形でアクセスできるようになった、ということは、実に意義深いことだと思っている*4

「政策形成過程」に関わる人にこそ読んでほしい一冊。

既に述べた通り、自分自身がまだ本書をすべて読み切っていない上に、自分の言葉で消化して、各論文のエッセンスを語れるようなレベルには到底至っていない。

ただ、最近何かとはやりの「政策形成過程への関与」に関心をお持ちの方々には、(知財法に関心があるかどうかにかかわらず)是非、第1章冒頭の論文(「知的財産法政策学の試み」)の第Ⅱ章を読んでいただきたいな、と思っている。

効率性に関わる問題に関しては、かりに市場が機能しているのであれば、市場に委ねれば足りる
「市場が機能していない場合には、権威的決定による介入の方途を探ることになるが、肝要なことは、権威的決定により、効率性の観点からみて最適な制度を設計するということは極めて困難な作業であるということである。」
「そもそも市場が機能していないのか、十分に機能していないとしても権威的な決定により状態がはたして改善するのかということを判断したり、できる限り効率的な制度の設計を構築したりするのに適した機関はどこなのかという視点が必要となる。市場の動向を踏まえつつ、迅速に対処する機関としては立法や司法よりも専門機関のほうが優れていることがある。」
「本当に効率的な決定であるのかどうか不分明なところが残るのだとすれば、なおさら正統な手続によって決定されることが望まれよう。そして、このような政治的責任を負えるのは、司法ではなく立法が優れている。」
「もっとも、だからといって、立法に委ねれば全てが済むというほど話は単純ではない。」
「トータルでは大きな利益となるにもかかわらず組織化されにくい者の利益は、(中略)組織化されやすい者の利益に比して、政策形成過程に構造的に反映されにくいという問題がある。そして、こうした政治過程に拾われにくい利益を擁護するのに最も適した機関は、やはり司法であろう。」
(以上、本書12~13頁)

田村教授ご自身も総括されているように、2008年、「21世紀COEプログラム」終了の節目に公表されたこの論文は、その後、現在に至るまでの”田村理論”のベースラインになっているものであり、田中氏が紹介されている「日本の著作権法のリフォーム論」や、「プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through」*5といった各論へのアプロ―チもすべてここで述べられたエッセンスがベースになっている*6

だから、知財法政策に関わる者としてはこの論文は「必読」ということになるのであるが、上記のような「役割分担」論を理解することには、「知財」のフィールドを離れてもなお、大きな意味がある、と自分は思っている。

何かルールを変えよう、創ろう、とするときに、ともすれば、”自分の得意な領域”や”接点のあるところ”からのアプローチに固執しすぎて、ルールメイクのプロセスを歪めていないか? と首を傾げたくなるような動きは、最近でも各法領域で散見されるわけで、「それをする前にできることはないのか?」ということを、上記のような「役割分担」を意識しながら考えてはどうかな、と思った次第である。

なお、田村教授は、本書のあとがきで、

まだまだ研究は未完成であり、これまでもmuddling throughを続けていこうと思っている」(本書494頁)

と書かれており、本書の最後に収められた論文にも「旅の途中」という副題が付されている*7

既にこれだけの山が築き上げられた上に、さらに高みへ、ということだとすれば、「登る」側としては「いつになったら山頂からの景色を見ることができるのだろう?」ということにもなってくるのだが、高い山だからこそ登りがいもあるというもの。

そして、本書の所収論文公表後も、それぞれのテーマで新しい動きが次々と起きている、というのが、動きの激しい知財法政策界隈の実態だけに*8、、足元で起きていることを刮目しつつ、しっかり地面を踏みしめて食らいついていければな、と思うのである。

*1:本書の発売日は12月20日、定価は本体9,800円+税。それでも当初の予定価格よりは大幅に値下げされており、著者、出版社をはじめとする関係者の並々ならぬ思いがそこに込められているものと推察する次第である。

*2:田村教授の書籍や論文は脚注での文献引用も豊富で、しかもミスリードが少ない的確な引用がなされているため、「文献インデックス」としての資料価値も極めて高い。

*3:知的財産法政策学研究は、Web上にもアップされているのでそちらにアクセスすれば目的は達成できるのだが、「紙」でしか保持していないものに関しては未だにどうにもこうにも、という状況である。

*4:大学の図書館くらいでしかアクセスできない論文集所収の論稿まで「市販」されるようになった、ということの意味はそれだけでも大きいと言えるはずだ。

*5:蛇足だが、自分の本書を踏破しようというエネルギーは、この、ページ数にして150、脚注の数にして484、パート(1)公表から完結まで7年(それゆえ、自分は「未完」だと勝手に思い込んでいた)の超大論文の前に見事に打ち砕かれた。「近年の特許制度史料」も兼ねたような大論文で、到底何とかやり過ごして通り過ぎることはできないものだけに、日を改めて読み直すことにしたい。

*6:この論文に加えて、「『知的財産』はいかなる意味において『財産』か?」(本書52頁以下)で投げかけられた「知的財産」を「財産」や「物」にたとえるメタファへの批判(+知的財産法は「行為規制」法である、という整理)を基礎として頭に入れておけば、それ以降の論稿も比較的読みやすくなるのではないかと思われる。

*7:この論文については、昨年の年頭のエントリーでも少し”つまみ食い”をさせていただいたが(「立法」の議論に参加する上で常に自覚しておきたいこと。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~)、当然まだまだ消化しきれていないので、これも改めて読み直すつもりである。

*8:例えば、著作権法の世界でも、最近は「組織化されにくい」と思われていた側が、むしろ一種の「利益集団」化して発言権を増している現象も起きており、より政策形成過程が複雑化している、と言える状況があるように思われる。以前、京俊介先生が「ロー・セイリアンス」と評されていたような状況(著作権法改正の歴史を振り返りながら読みたい一冊 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)が変わったのか、それとも一過性のブームに過ぎないのかはもう少し見極める必要があるが、そういった点も含めてキャッチアップされていくと、また一段と理論の深みが増すのではないかと思う次第である。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html