「逃亡者」をかばい立てするつもりは全くないのだけれど。

昨年末から今年にかけて、連日話題になってしまっている「カルロス・ゴーン逃走劇」。

保釈中の被告人として日本で公判を待つ身だったはずなのに、年の瀬に突如としてレバノンから電撃的な声明発表。
やがて明らかになった逃走の手口は、プライベートジェットで、しかも、荷物ケースの中に隠れて空港を潜り抜け脱出する、という、スパイ映画さながらの”演出”だったものだから、そりゃ話題にならないはずがない*1

そして、今日の夕刊で、法務省の動きの早さにもまた驚かされた。

「保釈中の被告が逃走する事例が相次いだことを受け、法務省が刑法などを改正して罰則を設ける方向で検討していることが7日、同省への取材で分かった。保釈中の被告が逃走した場合に刑法の逃走罪を適用するほか、刑事訴訟法の改正で裁判所の呼び出しに応じない場合に罰則を設けることを想定している。同省は法制審議会(法相の諮問機関)に諮問する方針。」(日本経済新聞2020年1月7日付夕刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

「保釈中の被告人の逃走」は、ゴーン氏に始まったことではないから、元々こういう話自体はあったのだろうが、年明け以降、森雅子法相から検察当局関係者まで、相次いで出されている「必死」の見解に接すると、やはり今回の事件も、立法に向けた取り組みを加速させる引き金の一つになった可能性はあるだろうな、と思う。

で、この問題に関しては、伝統的な「愛国者」の方々や捜査当局側との共感性が高い方々から、日本の刑事司法制度の在り方に懐疑的・批判的なスタンスの方々まで、様々な人が発言しているが、「保釈中に保釈条件を無視して逃げ出すやつが一番悪い」という点に関しては、思いのほか意見が一致しているように思えるところはある。

もちろん自分も、日本の司法制度の下で生きている者だし、仕事柄、日本以上に刑事司法制度の運用が滅茶苦茶な国が多数あることも十分承知しているだけに、「日本の刑事司法制度が信頼できない云々」ということを露骨に言われてしまうと、ちょっと悔しい。

英米法圏や西欧諸国を除けば、日本など比べ物にならないくらい「推定有罪」の原則で運用がなされ、賄賂でも渡さない限り真っ当な裁判を受けることすら難しい、と言われてしまうような状況は、”比較的発展している”と思われている国々においても未だ存在しているところはあって、グローバル化が進んで、紛争解決機関を選べばどこの国でもそれなりの審理が受けられるようになってきている商事紛争などと比べると、刑事手続、刑事訴訟の世界は、まだまだ”未開”の地が多い、というのが実情だから、いくら西欧的価値観に合致しないからと言って、日本だけを殊更に叩くのは違うんじゃないのかな、と思うところはある。

ただ、この事件が起きた後に、「司法権に服すことを拒むなんて日本をバカにするにもほどがある」という論調を目にしたとき、自分の脳裏には、かつて話題になった「米国でカルテルや贈賄の疑いで刑事訴追され有罪判決を受けた会社の役員が服役するかどうか」問題がよぎったのも事実である。

最近の傾向はよく知らないし、現実に収監されている人も多い、というニュースは時々伝えられているが、ちょっと前までは「収監されたくないから米国にはいかない」とか「たまたま米国に入ったら捕まってそのまま・・・」みたいな話もよく耳にした*2

また、少し話は変わるが、もし仮に、自分が駐在していた新興国で全く身に覚えのない容疑で身柄を拘束され、勾留ないし自宅軟禁のような状況に置かれたとして、そこでどこかの親切な同胞の大富豪が「俺の用意したプライベートジェットに乗って日本に帰れ」と耳元でささやいてくれたら、ほとんどの人はそれに乗っかってその国を脱出しようと考えるだろうし、捕まっていた国によっては「よくぞ帰ってきた」と多くの日本人が喝采することだって十分考えられる*3

「いやいや、日本は適正な手続きの下、公平な裁判が行われる国なのだから、そんな遅れた新興国の話と一緒にされても困る」と言い出す人は当然出てくるだろうが、何をもって手続きを「適正」と受け止めるか、裁判所での審理を「公平」なものと受け止めるかは、それぞれの人の主観に左右されるところが大きい

また、仮に「適正」だの「公平」だの、というのがそのとおりだったとしても、自分に理解できない「言語」によって手続きが進められ、通訳を介してしか関係当事者とコミュニケーションが取れない、という状況に置かれたら、よほど達観した人間でなければ、そこから逃げ出したい、という思いを止めることはできないだろう。

要は、異国に拠点を持ち、異なる文化、言語の下で生きている者にとって、たまたま所在した異国の司法権に従順に服する、というのは、決して合理的な選択肢とはいえないし、今、逃亡した被告人を力いっぱいバッシングしている日本人の中に、異国で似たような境遇に置かれる羽目になる人がいないとも限らない*4

そう考えると、決して当事者ではない以上、皆、今回の事件の帰趨をもっと冷静に見守っても良いのではないかな、と自分は思っている。

そして、もう一つ。

日本の刑事訴訟法では、

「被告人が公判期日に出頭しないときは、開廷することはできない。」(286条)

というのが第一審(事実審)での大原則になっているから、今回の逃亡劇によって、日本国内での公判手続きを進めることはかなり難しい状況になっているし、それが被告人に対する批判の最大の要因にもなっているのだけれど、この条文を「被告人の在廷義務」に重きを置いたものとみるか、それとも被告人の権利保護に重きを置いたものと見るかによって、今後の日本の刑事手続法の見直しの方向性もだいぶ変わってくるような気はする。

検察官が公訴提起した時点で、有罪立証できるだけの証拠が一通りそろっていて、公判でそれに対する被告人・弁護人側の反論が効を奏しない限り有罪になる、というこれまでの実務*5を踏まえるなら、公判期日に被告人を出頭させられないことで不利益をこうむるのは、まさに被告人側にほかならないわけだから、被告人が反論の機会を自ら放棄した以上、罪の軽重にかかわらず、弁護人が在廷すれば公判を続行して判決まで持っていく、という制度設計もあり得るはず*6

現行法の解釈でそんな特例を認める、というわけにはさすがにいかないだろうし、そもそも今回のケースでは、被告人側からも「日本で裁判を受けるつもりはない」という意思が現時点では示されているようだからどうしようもないのであるが*7、明日のレバノンでの被告人の会見が無事行われるようなら、そして、その際に「無実を確信しているので裁判は堂々と受ける。でも、日本には戻らないけどね。」的なコメントが出てくるようなら、また新しい議論が誘発されるような気もして・・・。

ということで、記者会見の直前に「ゴルゴ13」が暗躍しないことを祈りつつ*8、本件を通じて、刑事訴訟の在り方そのものに、もう少し目が向けられることを願う次第である。

*1:直接的に描くかどうかはともかく、こういう素材が大好きなハリウッドが放っておくはずはないだろう、と個人的には思う。「オーシャンズ」シリーズででもネタに使ってもらえると、ちょっと嬉しいかもしれない。

*2:一種の都市伝説みたいなところもあって、どこまで本当なのか、そもそも刑事訴訟手続が始まる前の話なのか、終わった後の話なのかもよく分からないのだが・・・。

*3:そこまで極端でなくても、罰金刑レベルの罪に問われるかどうか、という状況で、身柄拘束までは受けていなければ、そのまま駐在員を日本に引き上げて難を逃れさせる、というケースは十分に考えられるところである。

*4:いくら清廉潔白に生きようと思っても、あらぬところで罪を着せられるリスクからは決して逃れられないのが、この世の現実だったりする。

*5:もちろん、これが刑事訴訟法が本来予定している姿だ、というつもりは全くないが、現実問題として未だにこの構図は変わっていない、と自分は思っている。

*6:もちろん、有罪かつ実刑判決が出た場合、刑の執行をどうするか、という問題は出てくるのだが、そこは、起訴前に国外逃亡した被疑者の話とも何ら変わらないわけで、日本の領域に一歩でも踏み込んだら・・・というスタンスで、切り分けて考えるほかないだろうと思うところである。

*7:この点に関しては、ゴーン氏側もちょっとやり過ぎている感があって、必要以上に日本国民を敵に回した、と言わざるを得ない。

*8:あくまで、あの漫画はフィクションに過ぎないが、世の中では時にフィクションを超えたことも起きることがあるので、個人的にはちょっとハラハラしている・・・。

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