またこのネタか、と思う方もいらっしゃるのだろうが、もしかしたら歴史の転換点になるかもしれないこの瞬間に、そのことを書かなくてどうする・・・と自分に言い訳している。
そう、日経平均が、週明け早々の2021年2月15日、月曜日、遂に30,000円台を取り戻した。
出来事としては31年6か月ぶり。物心はとっくについていた時代のこととはいえ、自分自身が投資をできるようになったときには、そんな時代は遥か昔。
ITバブルがはじけ、取り戻しかけた頃にリーマンショックに襲われ、さらに東日本大震災が直撃・・・と、長らく低空飛行を続ける株価表示を眺めていた頃は、まさか生きている間に再びこの大台を超える光景を目にすることになるとは、夢にも思わなかった。
そして今日、再び驚かされたのは、株価刺激材料だった決算発表ラッシュが一段落息つき、30000円の心理的な節目を挟んでしばらく拮抗状態が続くのでは・・・?と思われていた矢先の再びの「急騰」である。
一時記録した最高値は30,714円52銭。最後の30分くらいで何とか正気を取り戻した感じはあったものの、それでも終値は前日比383円60銭高の30,467円75銭。
ここ一週間くらいは、一日の値幅が30,000円を挟んで30,221円77銭~29,515円76銭、と比較的大きかった「1990年8月3日」のレンジの中で株価が推移していたのだが*1、とうとうそれも突き抜け、時代は
1990年8月2日
へと1日遡った。
イラクが国境を超えてクウェートに侵攻し、今は亡きサダム・フセインが、世界の寵児となった日。その後の日本の政治社会にも大きなインパクトを与えた「湾岸戦争」始まりの日でもある。
起きていることだけ見れば大きくは変わっていないように思えてしまうかもしれないが、振り返って見比べると、世界の権力の源も各地域のパワーバランスも一つ一つの国の指導者の顔ぶれも、実にこの間、大きな変容を遂げているわけで、だからこそ、それだけの間、ぽっかりと空いていた窓を埋めた、ということの重大さを感じずにはいられない。
そして、今日の高値からさらに650円超上昇すれば、さらにひと月、カレンダーを巻き戻すことになるわけで、それがまた、雷鳥を探して山を歩き回った、とか、その時の写真をネタにして・・・とかいう青春の記憶の一ページを蘇らせてくれるのかと思うと、もういてもたってもいられなくなる。
もちろん、これだけ過熱した状況を見てしまうと、高揚感よりも不安の方がどうしても先に立つ。
確かに、昨日まで続いていた決算発表ラッシュの中でも、増収増益、それまで行かなくても上方修正、という会社は非常に多かったのだが、それでもまだ半分くらいの会社は前年までの収益、利益を取り戻せていない。
それなりに長い経験の中で、市場を動かすのはファンダメンタルではなくモメンタムだ、という鉄則は十分理解していたつもりだし、
「日経平均30,000円台、というフレーズには恐怖の記憶しかない」
という世代の人々のような30数年前のトラウマが染みついているわけでもない*2。
ただ、それでも、「最高益を更新して跳ねる」、「減収減益でも上方修正したから跳ねる」、「何一つ良い材料は出てないけど、”悪材料出尽くし感”で跳ねる」といった、ある意味、至るところで沸き立ち過ぎた値動きを見てしまうと、到底心穏やかではいられない。
既に”崩れる”兆候もいろんなところで出てきていて、これまで慎重な論調が強かった日経紙でさえ、今朝の朝刊には、「3万8000円台も」なんていうアナリストの浮き上がった予想が出てきているし、しばらく市場のパフォーマンスを上回る水準で含み益を増やしてきた自分のポートフォリオも足を引っ張る銘柄がチラホラ出てきたせいか、ここのところ6日連続でアンダーパフォーム、今日はとうとう僅かながら前日比マイナス、という状況になっている。
まぁおそらく、いつものありがちな話で、ここしばらくの自制心が限界に達し、3月末基準日の配当取りのつもりで比較的値が張る銘柄を買いに行った瞬間に、膨らみ過ぎた風船が破裂してたちまち含み損・・・というパターンかな、と思ったりもするのだが、賢明なる当ブログ読者の皆様は決して真似をされることなく、このまま相場が高値を更新し続けたら、手持ち資金を余したまま買いそびれて途方に暮れる筆者の姿を、逆に奈落に堕ちたらピカピカの銘柄の含み損を抱えて頭を抱える筆者の姿を思い浮かべて楽しんでいただければ幸いである。
*1:チキンレースの末に辿り着いた31年前の夏。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~の記事参照。
*2:今週に入ってたまたまその辺の世代の方々と話す機会が多かったのだが、概ね共通した見解だった。「財」を失った記憶というのは、生涯残り続けるもののようである。