これが悲劇の歴史の一コマにならないことを願って。

「アフガン」といえば、真っ先にムキムキのアクション俳優を思い出してしまうのが、悲しい哉、我々の世代だ。


で、子供の頃のそんな記憶が薄らぎかけた新世紀の初め、「9・11」が、アジアの真ん中、山岳地帯に囲まれたこの国に不幸なスポットライトを当てた。

急進的なイスラム教徒たちが支配していたこの国はテロリスト支援国家と認定され、米、英、NATO軍の圧倒的な攻勢によって瞬く間に「解放」されたはずだった。

数年後、マイケル・ムーア監督が世に送り出したアンチ・ブッシュキャンペーン映画の中では、この国の新政権の主となったカルザイ元大統領も、米国エスタブリッシュ層との”癒着”を疑わせる存在として批判の対象になっているが、そこで描かれていたカブールは既に「戦後」

その後、何度か日本人が犠牲となったテロの舞台になったこともあったし、オバマ政権下での増派&撤退、さらにイスラム国の混乱、といったニュースの流れの中で登場することもあったが、距離的にも地政学的にも日本人にとっては決して近くはない国だけに、中東諸国と比べても日本国内のニュースで取り上げられる機会は少なく、しばらく海外のリスク情報を血眼で追っていた自分も、この国の情勢まで気にする機会はほとんどなかったような気がする。

それがここ数日の間に、降って湧いたような「タリバン侵攻」、そして「カブール陥落」というニュースが出てきて、自分は心底慌てた。

確かにトランプ政権の間は、海外に送り出していた米軍を撤退させるかどうか、という話が常に話題にはなっていたし、そこで撒かれた厄介の種を処理すべく、発足直後のバイデン政権があれこれ対処している、というニュースも頭の片隅にはあったのだが、20年前壊滅的な打撃を被ったはずの、そしてつい数年前も最高指導者が米軍の攻撃で討ち取られていたはずの「タリバン」が、ここまで勢力を回復していたとは・・・。

日本人から見れば「戦勝国」のイメージが強い米国だが、実際の歴史を見れば、戦はそこまで上手ではなく、圧倒的な兵力で電撃戦を仕掛けて序盤に華々しい戦果を挙げても、その後は一進一退の膠着状態、というパターンも決して少なくはない。

そして、「戦後の統治」に関しては、もっと上手ではない、というか完全に下手の部類に入る。

今回の追い立てられるようなカブールからの撤退劇を見て、多くのメディアが、そして歴史を知る人達の多くが1975年の光景を思い浮かべたのはある意味当然のことだろう。

昨日は、輝かしい経歴を誇る第71代国務長官、Antony Blinken氏が追及への「答え」として使った”This is not Saigon”というフレーズが、様々なメディアで取り上げられていたが、

・「大義」の下で軍事介入に舵を切る。
・一定の戦果を上げ、「点」を押さえることには成功するが、その後「面」をコントロールできずに反撃のきっかけを与えてしまう。
・膠着状態で時間が過ぎていく間に、自国内で撤退論が強まり、現場でも厭戦ムードが広がっていく。
・統治を委ねるはずの現地国政府をコントロールできない。権力闘争と腐敗の中で、現地での民心も離れていく。

といった状況は、まさに「南ベトナム」の再来に他ならないわけで、「記憶を重ねるな」という方がおそらく無理だ。

もちろん、細かく見ていけば、Blinken氏が反論を試みたように、半世紀前のベトナムアフガニスタンとでは、介入の目的もバックグラウンドも、侵攻後の経過も当然大きく異なっている。

加えて、ベトナムに比べればはるかに長い期間、戦争状態下での駐留を継続していた割には、戦闘技術の”進化”等の影響もあってか犠牲者の数も相対的には多くない*1

ただ、オフィシャルな情報源がそういった違いを強調しようとすればするほど、「長い時間をかけてやろうとしていたことが水泡に帰した(かのような見え方)」の共通性に目が向いてしまうのも事実なわけで、命を失うリスクを冒してまでも国外脱出を図ろうとするカブール市民の映像に接してしまうと、なおさらその思いは深くなる。

20年という時間は、指導者層が総入れ替わりになるには十分な時間だ。世界の状況、特に「イスラム」に向けられる視線もより厳しいものに変わっている今、いかに悪名高きイスラム急進派組織とはいえ、20世紀末と同じ統治スタイルで国際社会に受け入れてもらえるなどとは考えていないだろう。

だから、多くの人々が危惧しているような状況ではなく、むしろ宗教的な純粋さ、清廉さが良い方向に働くというシナリオに期待を寄せたいところではあるのだけど、「現実はそんなに甘くないよ・・・」という声も当然空からは聞こえてくる・・・。


約半世紀前、華やかな都の陥落で多くの人々が悲嘆にくれたかの国は、紆余曲折ありながらも市場主義経済に舵を切り、今やアジアでは「ポスト中国」の一番手とも目されている。

まだまだ取り残されたままの地域も多いし、政治的にも一党独裁。未だに、硬直的な行政やそれを担うはずの役人の腐敗等、長年指摘され続けている闇が解消されたとは言えない状況ではあるのだろうが、一年ごとに発展を遂げる街並みやそこに張り巡らされた高速通信回線網などに接してしまうと、日本が追い抜かれる日もそう遠くないように思えてしまうし、そんな景色は、おそらくあの時には誰もが想像しなかったようなものだったはずだ。

ここからしばらくは、カブールや旧政府の実効支配地域で起きる様々な出来事が、「悲劇」として、怒りの感情を駆り立てるようなトーンで世界に配信されることは多いだろうし、その多くは実際に「悲劇」だったり、自由主義世界の価値観の下では憎しみをもって眺めるべきことだったりするのかもしれない。

ただ、様々なものを変えていくのも、「時」の為せる業だったりもするわけで、今は、ここまで流れてきた時間と、ここから過ぎていく時間が、長い間戦火と切っても切り離すことができなかったかの国の人々に少しでも平穏と希望を与えるものになるように、と祈ることしかできない。

そして、いつか、自分が生きている間に異国の旅人として気軽に足を運べるような場所になることを信じて、この日の衝撃を心の片隅にとどめておくことにしたい。

*1:とはいえ、絶対的な数としては決して少なくないのも確かなのであるが・・・。

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